九月二十三日(日) 晴曇
本日は、皇大神宮・秋季神楽祭を拝観すべく、早朝に諸雑務を済ませて神宮へ移動。
秋季神楽祭は9月22日(土)~9月24日(月)まで開催されるとの事で、昨日は雨天で参集殿にての開催となるので行かなかった。
今朝は天気が安定しているようなので野外開催と見極め、写真機と脚立をかついで1時間前から内宮神苑まで撮影場所確保へ行くと、いつもの顔見知りの報道カメラマン達と遭遇し、神楽開催時間まで雑談をして時間を潰す。 彼らは職業柄多種多様な情報を持っており、私と違う神宮関係者との繋がりを持っているので、話をしているだけで勉強になる。
不謹慎極まりないと思うが、夜の能の如く篝火を焚いて、幽玄な神楽を拝観しながら一献・・・、と思ってしまうのは私だけであろうか?
満月の夜、慈照寺の縁側にて一献を夢見る感覚とほぼ同じ・・・。
2015年のブログに記載した、神楽の由来を再度記載。(神宮より拝受した神宮舞楽解説より)
☆ 雅楽とは?
今日雅楽と呼ばれている音楽は、飛鳥・奈良時代から平安時代の初めにかけて、支那大陸や朝鮮半島などから日本に伝来した音楽と、我が国で古来より行われた音楽(神楽歌など)の総称。
雅楽は、その伝来や舞の有無によって管弦・舞楽・催馬楽(さいばら)・朗詠・国風歌舞(くにぶりのうたまい)などの別がある。
支那や朝鮮では王朝の交代などに伴って早くに途絶えたが、我が国に伝来した雅楽は宮中の儀式や社寺の祭礼に用いられて、今日まで連綿として伝承されている。
○ 外国から伝来した雅楽
*支那・印度に由来した「左方」または「唐楽」。
舞がないものを「管弦」、 舞があるものを「舞楽」 左舞(さまい)
*朝鮮に由来した「右方」または「高麗楽」。
舞がある「舞楽」 右舞(うまい)
○ 日本に在来した雅楽
舞がない 和歌を用いる「催馬楽」、漢詩を用いる「朗詠」
舞がある「国風歌舞」(神楽歌・東遊など)
☆舞楽について
雅楽に舞が伴うものを舞楽。 舞楽は左方の舞(左舞)と右方の舞(右舞)に分けられる。
左舞は唐楽ともいい、支那・印度方面から伝来したものを指す。
奏楽は三管三鼓といって、笙(しょう)・篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうてき)・鞨鼓(かっこ)・太鼓(たいこ)・鉦鼓(しょうじ)の六楽器編成で、赤色を基調とした装束を用いる。
右舞は高麗楽ともいい、朝鮮方面から伝来したものを指す。
奏楽も左舞とは異なり、笙を用いず、龍笛に代わって高麗笛を、鞨鼓に代わって三ノ鼓を用いる。
装束は緑色を基調としている。
左舞・右舞ともに外来の舞楽だけでなく、これに倣って日本で作られた舞楽もある。
楽曲を奏する所役を管方といい、襲装束(かさねしょうぞく)と呼ばれる装束を着けて鳥甲(とりかぶと)を被る。
管方の筆頭である鞨鼓の所役は襲装束の上に赤い袍(ほう)を着ける。
今季の御神楽は、「振鉾」(えんぶ)、「迦陵頻」(かりょうびん)、皇仁庭(おうにんてい)、長慶子(ちょうげいし)が披露された。
内宮神苑へ到着した頃に曇天となる。 写真撮影するには影ができないのでベストな状態だ。
まずは「振鉾」。 後方の三つ巴が描かれているのは大太鼓で、重厚な音が内宮神苑に響き渡る。
「振鉾」 左方 一人舞 右方 一人舞
舞楽にあたり初めに奏される。
古代支那の故事に由来し、左方と右方の舞人が鉾を振り大地を鎮め安じて、天下太平を言祝ぐめでたい舞楽。
鉾で天地を厭うことから「厭舞」(えんぶ)と称されたものが、鉾を振ることから「振鉾」の字を充てるようになったと思われる。
転じて舞台を祓い清める舞楽とされている。
舞人は襲装束という出で立ちで、左方は赤の袍に金色の鉾、右方は緑の袍に銀色の鉾を執って舞う。
鉾の扱いは鑓の扱いとは違うようだ。
撮影しているだけでも暑い。 この衣装を着用して踊るのは大変な事であろう。 お疲れ様です。
次は「迦陵頻」。 春季神楽祭時は、背中が鳥の羽ではなく蝶々の羽の「胡蝶」となる。
「迦陵頻」 左方 四人舞
極楽に住んでいるという鳥、迦陵頻伽(かりょうびんが)の舞い遊ぶ様を現したもので、起源はインドといわれ、わが国へは奈良時代に伝えられたといわれている。 また、子供の舞である「童舞」とされ、神宮では舞女が舞う。
舞人一人ずつ舞台に上がり、太鼓の拍子に合わせて「出手」(でるて)を舞い、向かい合わせに立ち定まる。 続く「迦陵頻音取」(かりょうびんのねとり)の後、「当曲」(とうきょく)が始まると、それぞれの位置で緩やかに舞う。 やがて曲の中盤からは銅拍子を打ち鳴らし、舞台を一周して鳥の飛翔を表したのち、舞いながら舞台を下りる。
舞人は赤色の装束を着け、鳥の羽を模した型を背負い、桜の花を挿した天冠を着ける。 手に持つ銅拍子の音色は、迦陵頻伽の鳴き声を表現しているといわれている。
大空へ飛び立つ姿のようだ。
後方の雅楽を演奏している方々の屋根の色が気にくわない。 周りの景観に合わせるか、着脱可能なものにすれば良いのに・・・。
実に優雅である。
十五年ぶりの御披露目となる「皇人庭」。 今回初めて拝観する。
「皇人庭」 右方 四人舞
応仁天皇の御代に百済から渡来した人物と伝えられる王仁が、仁徳天皇の御即位に際して治世の繁栄を願って詠んだ和歌「難波津の歌」が曲の起源とされる。
四人の舞人が萌葱色の襲装束を着け、袍の右肩を脱いで舞う。 口を真一文字に結び眉間にシワを寄せた威厳ある表情の面は、祝福の曲に合わせて庭上で舞った王仁の顔を象ったともいわれている。
破と急の曲のうち、急の中には「皇仁小躍」という、御即位の喜びを表した特別な舞の手法がある。 この曲は左方の「喜春楽」とともに、古くから東宮(皇太子)の冠礼(成人の儀礼)の時には必ず奏されていた。
「長慶子」 舞なし
平安時代中期の雅楽の名手、源博雅の作曲と伝えられる。
よく整った格式の高い曲とされ、舞を伴わないものの舞楽曲に分類される特殊曲。
舞楽終了の際には、退出を催す退出音声として奏されており、拍子の早い舞楽吹で奏すことになっている。
退出される管方。
二千年前から変わらぬ伝統と文化が息づいている。 日本が世界に誇れる宝の一つと言っても過言ではない。
”暑さ寒さも彼岸まで”と言われるが、今日は真夏の暑さだった。 撮影中汗まみれ・・・。 朝は涼しかったのに・・・。
正午前に終わったので、神宮会館へ挨拶に行ってから、「麺屋やまと」にて豚骨細麺のネギ豚ラーメンと明太子丼を食す。
帰宅後、録画していた番組を見ながら転た寝を楽しむ。
夜は減量中なのでサラダ、豆腐、なます、カツオ刺身(45点)。
それでは、また。 ごきげんよう。