北面武士

至誠通天

楽しい一時

2015-07-28 | 日記
七月二十八日(火) 晴

昨日、一昨日と二日連続で、南さん、江戸の客人と共に楽しい一献。(初日は伸ちゃんも同席)
最近は、八年来の付き合いである江戸の客人と、プライベートな話をする機会が多くなってきた。
”類は友を呼ぶ”ではないが、良いも悪いも含め、ころいろと繋がっているというのが判明して吃驚仰天。悪い方が多いかも・・・。 ハハハ~! いと楽し。
何はともあれ、益々酒が美味しく感じる。(3人の中で酒を飲んでいるのは私だけだが・・・。)
また近日中に再会出来るので、古き良き時代の話をもっと聞かせて戴きたいと思っている。

週末は土曜の丑の日の延長だったが、鰻屋が満杯&店内食事時間制限があり食せず、ストレスが溜まっていたので、その反動で今日は久しぶりにビーフ・ステーキを食す。 オージー牛肉450g & スペイン産ハム(ハモン・セラーノ)、チーズ、ベーグル、ポテトサラダ、サラダと、熊本から送ってもらった赤葡萄酒を堪能する。 来週はサラダ三昧の食事とするので良いかと、いい訳しながらガツガツ食す。 満足、満足。  身体に良いことないと”わかっちゃいるけど、やめられない”!

食後、一ノ関の舎弟分と電話していたら、先日、舎弟分に昔の小山時代の仲間二人から十数年ぶりに電話があったとの事。
以心伝心か、そいつらの事を大船渡で話しをしていたばかりだったので、舎弟分も驚いていた。
来年あたり、小山でやりたい放題やっていた連中を日本中から集めて、暑くも無く寒くもない頃に小山で一献会を開こうと決定。
日光いろは坂でヌンチャク・木刀を振り回していた6mmパンチの頃が、つい昨日の事のように思える・・・。 光陰矢の如し・・・。 

時代時代で付き合っていた仲間は違うが、その時の仲間と会うと、即その時の自分に戻ってしまうのが不思議だ。
お互いに、人には言えない恥ずかしい経験や、超貧乏な時代を過ごしてきた時代を互いに知っている仲間には、何の隠し事もないし、今では楽しい経験でしかない。 人生は過去~現在~未来と、神宮の如く継続していると痛感する今日この頃。

神道では、「人生に偶然は無い、全て必然である」と大野宮司から教わった。 人は同じ波長を持つ人と必然的に出会う。 
人との出会い、付き合いというものを、これからも大切にしていきたい。 押忍!

少々酔いが回ってきたので、本日はこのあたりで失礼。
それでは、また。 ごきげんよう。 
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御祭(ござい)

2015-07-26 | 日記
七月二十五日(土) 晴

本日、10:00より皇大神宮別宮・伊雜宮において御祭(夏祭)が執り行われた。
当方も神宮参拝禊会・事務局として参列させて戴き、恐悦至極。

09:30に受付を済ませ、いつもの顔ぶれの参列者の方々と奉賛会の方々へ挨拶して、上村善氏と暫し世間話。
朝だというのに暑くてたまらない! 斯様な炎天下での洋式ネクタイ&スーツはサウナスーツといっても過言ではないので、上着はギリギリまで着用せず。  
あまりの暑さに、夏用の祭儀用衣装として直衣か水干を購入しようかと思った次第。 似非神職と呼ばれるかも・・・。



10:00 参列者整列。



遅れて来た参列者をお迎えされる南英雄氏。  駆け足!



伊雜宮奉賛会副会長・南幸生氏による進行にて御祭開始。



これより移動。



修祓の儀、御塩祓い等。 






これより正宮へ移動。







参列者着席。  日陰で涼しい風に吹かれながら、昨年の遷宮を思い出していた。



いつもの地元の錚々たる方々。









芝本宮司より玉串を賜る南英雄氏。


南英雄氏による玉串奉奠。  その後、神宮参拝禊会・事務局と呼ばれ、粛々と玉串奉奠を行わせて戴いた。



上村善氏による玉串奉奠。



祭儀終了後、神職が社務所へ戻られる。



参列者、これより公民館にて直会。



伊雜宮奉賛会会長・大口秀和市長による挨拶。  伊勢志摩サミットが決定となり大忙し。



大目付・南英雄氏。



神宮代理の方による御挨拶。 ノンアルコールビールにて乾杯。
暫く歓談した後、伊雜宮境内で奉賛会が準備している金魚すくいや、かき氷の氷待ちをしている伸ちゃんと談笑。


今年赴任された芝本宮司から京の茶菓子「花兎」と御神酒一本を頂戴する。 感謝合掌
芝本宮司には、同じ「へうげもの」ファンとして、茶道に関する詳細事項を教えて戴き、いつも楽しい時間を共有させてもらている。

午後、着替えてから神宮内宮前おはらい町の陶器の店まで出向いたら、新たに織部風の茶碗が手頃な値段で販売されていたので、即購入。 ここの新規入荷茶碗はすぐに売れてしまうので、良いと思った時に購入しないと次にはもう無い。 昨年末に朝鮮焼のお気に入り茶碗購入を迷い、翌日行ったらもう売り切れていた・・・。
今回の織部風茶碗も一目惚れしたので、何も考えずに購入したが、非常に満足している。 満足、満足!


織部風茶碗。 抹茶を入れて、八十本立で無造作に引っかき回すだけでも美味い。



芝本宮司から頂戴した祇園銘菓「花兎」。  上品な甘さで抹茶の味が引き立つ。(一口食べちゃった・・・)





炎天下というのに、おはらい町は大勢の人で賑わっていたが、皆ちゃんと参拝に行っているのであろうか?
「赤福氷」の店は常時満員で、皆美味そうに食べて幸せそうな顔をしていた。 熱中症予防には最高だ!

夜は「だいちゃん」にて、伸ちゃんと大船渡の現状報告しながら一献。
 
我が母校・九州学院高等学校が、春の大会に続き夏の甲子園大会出場との連絡あり! 目出度し!
目出度い事が二つ続いた楽しい一日であった。

そあでは、また。 ごきげんよう。
 











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赤崎仮設住宅 応援

2015-07-22 | 日記
七月十九日(日) 曇

少し早起きして、人も車もまだ動いてない、かさ上げ工事で殺風景となっている大船渡の旧市街地を一人祈りながら歩いた。
震災前、この地域で大勢の人達の生活が営まれていたのだと思うと心が痛む。
よそ者が地元の事を語るのは憚られるので、ただひたすら現実を忘れぬよう、早急なる復興を祈念するのみである。

本日は大船渡赤崎の仮設住宅地へ「青空応援団」が訪れると伸ちゃんから聞いていたので、舎弟分と共に移動。
仮設住宅地は予想以上に不便な場所に設置されてあった。 多々思うところがあるが、よそ者が言うべき事ではないので・・・。

仮設住宅地へ到着したら、見慣れた学ランを着たバンカラ軍団が目に入った。 その中心にいるのが「青空応援団」団長の平了氏だ。
団長に関しては既に昔のブログで語っているので割愛させて戴く。 

斯様なところで再会出来るというのも縁だと思うが、特に今回の被災地である大船渡での再会には感無量だった。 語り合う時間は短くとも、男としての生き様に大いに共感しているので、無駄な言葉は必要ない。
「青空応援団」以外に北海道から”よさこい”の2グループが訪問されており、仮説住宅前にて気合い溢れる踊りが披露された。



赤崎仮設住宅前にて挨拶される大船渡市長。 



札幌から来訪されたグループ「翔」によるパフォーマンス。 子供達が一生懸命に踊っている姿に心安らぐ。



同じく札幌から来訪されたグループ「極」による”よさこい”  気合い溢れる踊りに舎弟分がガンガン盛り上がっていた。








スピードと躍動感に溢れ、減り張りがある動作と迫力ある踊りに圧倒された。 デブには無理な機敏な動きだ・・・。 



仙台「青空応援団」の登場。 私も青空応援団スタッフTシャツを着て撮影するが、望遠ではないので漠然とした写真となる。




腹の底から声が出ていた。 応援団の気合いも空手の気合いも同じである。








応援のエールを望む方々へ個別応援。  気合いに満ちた素晴らしい応援だ!



これより参加者と共に、全員で三三七拍子!


「青空応援団」一同。 昨年のフランス・パリで開催されたジャパン・エキスポに参加され、凱旋門前にてゲリラ応援をされた面々。
団長と再会を約束し、気仙沼へ移動。  舎弟分も団長の所作に感銘を受けたようだ。



移動途中セブンイレブンに立ち寄ったら、よく見るとプレハブ作りだった・・・。  
気仙沼の港には多くの漁船が停泊していたが、陸の方はかさ上げ工事でごった返していて立入禁止。

気仙沼駅の方の町は津波の被害を受けていないので、昔と同じ街並みのようだ。
今回初めて現場に足を運び、いろいろな事がわかったが、被災後1年目くらいに訪れていたら、被害の傷跡で周りの状況が冷静に見えなかったのではないかと感じた。
 
亡くなられた方々の御冥福をお祈りしているが、生き抜かれた方々の生活が被災前までに戻られる事を痛切に祈念している。 
がんばっぺ! 押忍!

連日のめまぐるしい展開で、頭の中が整理できないまま記述しているので、益々支離滅裂な文章となってしまった。
また機会があれば、再び東北の地を訪れてみたいと思う。

それでは、また。 ごきげんよう。




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大船渡訪問

2015-07-21 | 日記
七月十八日(土) 曇

陸前高田より大船渡へ。
震災後、森伸弘氏が不思議な縁で、大船渡出身で一ノ関在住のUさんと知り合い、大船渡の比較的辺鄙な場所の支援活動を行っていたので、我々も少々だがお手伝いさせてもらった。 Uさんは現在盛岡在住との事。
 
震災一周忌の時、伸ちゃんが仙台で「スコップ団」主催の追悼花火打ち上げに参加した後、一ノ関でUさんと合流し大船渡へ行った時は、あたり一面瓦礫の山との事で、写真を見せてもらった時は言葉もでなかった・・・。 Uさんの話では、瓦礫の上に登ってピースサインで記念写真を撮る不敬な訪問者も多々いたそうだ。 日本人だろうか?

伸ちゃんとUさんが大船渡の”屋台村・喜楽”で飲んでいた時、伊勢から来訪との事で女将さんが喜ばれ、カウンターにいた大船渡消防団団員から、震災後から救助活動時に着用していた消防団の半纏を預かり、翌週の神宮参拝禊会で禊を行って旗手の一人に着用した後に大船渡へ送付。 禊会世話人三方の御理解に感謝。

昨年、”屋台村・喜楽”の女将さんが江戸にいる二人の息子さんと共に、伊勢まで神宮参拝へ来られた。
伸ちゃんと宿泊先ロビーまで御挨拶へ出向き、当時の近況を教えて戴いた。
本来なら大船渡・屋台村は、行政指導のかさ上げ工事で昨年度末で立ち退きとなる予定だったが、本年度末まで延長となったとの事で、その前に一度大船渡を訪問させて戴きますと約束をしたので、今回御挨拶に出向いた。  



大船渡の被災地域に到着。








JR線が復旧していないので、バスにて運行中。




JRバス。


大船渡プラザホテル。 現在ではロビーも含め全室で稼働しているようだ。




海の方は工事中で立入禁止。






かさ上げ作業中。


















「大船渡・屋台村」 大船渡の元気の源と言っても過言ではない。 押忍!


左側入口。


右側入口。


他に二階建てのプレハブ3棟が営業している。


大船渡海来(みらい)ハイボール。  大船渡海来プロジェクト代表・新沼氏が第一弾事業として、東北ではじめてご当地ハイボールを発表し、現在では大船渡市内の約50店舗で飲まれているミント系のハイボール。 
女将さんの店で生ビールを6杯、「北の味処・ときしらず」にてジャンボハイボール1杯と海来ハイボール2杯。




早急なる復興を祈念している。


海側の復興はかさ上げ工事に相当時間がかかるのではないか。 その後の区画整理等、諸々の工程が残っている。










被災して残った家屋が時と共に朽ち果てていく・・・。  

明日は、赤崎の仮設住宅を激励に行く「青空応援団」の団長へ会いに行く予定。
「青空応援団」団長 = 「スコップ団」団長。 彼は尊敬すべき真の武士である。 押忍!
また次回のブログにて。

それでは、また。 ごきげんよう。










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陸前高田訪問

2015-07-21 | 日記
七月十八日(土) 晴

強烈な眠気と格闘しながら、どうにか起床する事が出来た。
09:00頃に江戸の駅へ到着し、東北新幹線・一ノ関行きの切符を買おうとしたら"×"印と"立"の表示・・・。
三連休に加え、夏休みだ・・・。 バタバタしていたので失念していた・・・。
少し遅れの各駅停車の鈍行新幹線(仙台乗り換えと比べると20分遅い)の席を確保して移動。 着席 & 即爆睡! 

一ノ関駅へついたら舎弟分が迎えにきてくれて、そのまま岩手名物・冷麺を食いに行く。
舎弟分とは14年前に仙台で飲んで以来だ。 毎回の事ではあるが、久しぶりに会った気がせず、つい数日前に一緒に飲んだような感じだ。 変わったのはお互い”おっさん”になった事くらいか・・・。  
二十代前半を、栃木・小山で共に修行して遊びまくり、給料前の貧乏な生活を過ごしてきた仲だ。 当時は女の子が周りに大勢いて、東京ディズニーランドが出来たばかりだったので、なにかと楽しい日々を送る事ができた。

初めて会った時は、”こいつは生意気だから絶対いつか殴り倒してやる”とお互い思っていたのだが、元・茨城の暴走族の副ヘッドだったやつの仲介で同席となり、その後いつの間にか一緒に飲んだくれていた。   
当時の仲間達で連絡を取り合っているのは、いつの間にかこの舎弟分だけとなった・・・。

腹を満たした後、大船渡へ行く前に平泉の中尊寺へ参拝に出向く。 奥州・藤原氏へ東北復興を祈念。
中尊寺のブログは別途作成予定。

震災時に舎弟分に電話したら一発で通じたが、電池残量が少ないとの事で安全確認だけして切断。 
当時の生活状態の詳細を聞かせてもらいながら山道を走り抜け、大船渡へ行く途中に陸前高田を訪問。
震災後、秋山大兄がトラックに物資を詰め込んで行ったところで、津波の被害が甚大な町だ。
現在は、巨大なベルトコンベアーで山から被災地まで直接土砂を運び、かさ上げ工事が行われている。
被災から3年4ヶ月経過して、瓦礫はかさ上げ工事で埋められており、津波の傷跡が少しずつ消されている。


車内より。 陸前高田市内を走る巨大なベルトコンベアー。


道の駅。 ここは死者が一人も出なかったとの事で、向後も被災跡地として残されるようだ。








水圧の恐ろしさ・・・。 津波の高さは15.1mと記されてあった・・・。



奇跡の一本松。 










モニュメントとして充分な存在感がある。 海を眺めていたら目頭が熱くなってきた・・・。



左の山を削って橋のようなベルトコンベアーで土砂が運ばれる。






被害エリアが広大過ぎるので復興にはまだまだ時間が必要だと思われるが、黙々と作業を継続するしかない。


これより大船渡へ移動。


移動中。 津波の跡が痛々しい・・・。

大船渡訪問偏へ続く。










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