北面武士

至誠通天

チャイナの切手

2015-09-27 | 日記
九月二十七日(日) 雨

本日は01:30-08:00まで事務所詰めで、帰宅後12:00まで爆睡。
起床後、昼食を摂ってからいくつかの雑務をこなす。

帰宅し、「そこまで言って委員会NP」という番組を見ていたら、”日中関係を悪くしたのは誰だ”というテーマで、
日本と中華人民共和国の歴代リーダーの実績を元に、コメンテーターの論議がなされていた。
各コメンテーターは予想通りの発言ばかりで新鮮さに欠ける。 もっと歴史の裏話に通じた、中立的な専門家の斬新なコメントを欲す。 

ガキの頃、ソールスベリーの「長征」や、ジョンストンの「紫禁城のたそがれ」(旧訳&新訳)に始まり、毛沢東、周恩来、林彪や、大躍進、文化大革命関連書籍や、旧ソヴィエト政治家関連書籍を読み漁った時期があった。

書籍には真実も嘘も多々記載されてあるが、数十冊の関連する本を読んでいると、真実が少しずつ見えてきてくる。  また、正しい歴史背景(生活風習・宗教・文化)を知る事により真偽を見極める事ができると信じている。


江沢民から反日教育・運動が一気に強まり、今では大御所の如き態度でいるが、小平の恐ろしさと比ぶれば、江沢民など洟垂れ小僧程度である。 文革で失脚中も、必要に迫られ中央から呼び戻されたという、尋常ではない人物だ。

毛沢東は政権闘争のみに明け暮れ、実際に現場で活躍したのは周恩来、劉少奇、小平をブレーンとした、朱徳、聶栄臻、彭徳懐、賀竜、徐向前、劉伯承、葉剣英、林彪、陳毅、羅栄桓の十大元帥達だ。 中でも文武両道の小平の存在感は抜群である。

小平は盲目的なイデオロギーのみに捕らわれない現実主義派であり、チベットやウイグル侵略を指揮し、天安門事件で自国民に対して殺戮を命じた軍人政治家である。 江沢民に国家主席の座を渡しても、中央軍事委員会主席の座は最後まで譲らなかった。

小平は国家主席になった時から、経済力を高め軍事力増強を進めてきた。 年に20%近くの軍事費を投入し、脆弱だった海軍力増強と最新の空軍力導入開発とミサイル開発を、江沢民~胡錦濤~周金平へと継続させた

親日の立場は経済援助を得る為だけであって、真の目的は軍事力増強のみであると気づかず、目先の金に踊らされた国家役人や企業が食い物にされてしまった。 当時、警告しても誰も耳を傾けなかった・・・。 

確か1986年、私が初めて支那へ渡った時の土産である切手帳を、約30年ぶりに叔母から逆に頂戴した。 
切手を見ていたら、当時の上海の街並みや人民服を着た暗い支那人達の姿が頭に浮かんできた。 空港での尋問も・・・。
人民元の単位は、一元、一角、一分。 昔、一厘もあったような??  


中華人民共和国建国35周年記念切手。



当時はこのような絵や戦車、ミサイル等の絵が壁や看板に描かれていた。



唐時代 花簪を着けた女。



揚子江へ流れる葛州水力発電用ダム工事。 当時は電力不足で、水力発電所、火力発電所、原子力発電所の建設ラッシュ。



有名な絵師の絵。 誰か知らないが・・・。



中国古典文学名著・牡丹亭。



山水画に描かれるような有名な場所。 峨嵋って何処だ?



梅花。 「光圀伝」を読んで以来、梅花が好きになった。



ランタン。 珍しいデザインだ。



パンダ。 動物園で、象やキリンと同じような全天候型オープン・スペースに放し飼い状態のパンダに、石を投げつけたり、食い物を投げ与えていた支那人に驚いた。 パンダを食べ過ぎて絶滅に追い込んだ人種だからね・・・。



パンダは可愛い! 同じ体型の熊科として親しみを覚える。



1935年1月15日、長征途中の遵義会議において、コミンテルン指導路線が否定され、毛沢東が主導権を確立。 権力闘争の極め!



清時代、アヘン密輸根絶の命を受けた湖広総督・林則徐。



チベット自治区制圧20周年記念切手。  小平、胡錦濤の手により多くの血が流さた。 現在でも続けている・・・。



抗日・反ファシスト戦争勝利40周年記念切手。  日本は中華人民共和国と戦争を行っていない。 不思議だ???



故宮博物院開設60周年記念切手。 ラスト・エンペラー溥儀が、玉座の奥からにコオロギを出して子供に渡すシーンを思い出す。


久しぶりに映画「ラスト・エンペラー」を観たくなった。 
「さらば、わが愛」も京劇の世界を中心に時代の流れを明確に表現した良い作品である。 


生ビールを飲みたいが、今日も我慢! 辛抱我慢!辛抱我慢!
それでは、また。 ごきげんよう。



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シルバーウィーク

2015-09-24 | 日記
九月二十四日(木) 雨

先週末からスタートしたシルバーウィークのほとんどを仕事で費やしてしまい、昨日の「秋分の日」のみ安心して休む事ができた。
早朝06:00起床予定が、二日酔いの影響で二度寝してしまい、目覚めたのが10:00・・・。 当初の予定は国宝「犬山城」へ行って、帰りがけに名古屋の「徳川美術館」へ寄る予定だったが、起床時点で犬山城が夢と共に消えた。 馬鹿丸出しだ。

現在、徳川美術館・蓬左文庫開館80周年記念秋季特別展「茶の湯の名品」 9/19~11/8 が開催されている。
19日に伊雜宮の芝本宮司からメールで上記「茶の湯の名品」へ行ってきたとの連絡があり、すぐにでも行きたいという衝動で心が浮ついていたが、昼夜問わずの仕事三昧のまま週末を過ごした。 22日頃に落ち着きを取り戻してきたので、昨日23日は必ず休むと同僚達に宣言して出かけた。
芝本宮司は15年前の開館65周年記念の「茶の湯の名品」展も行かれており、今年は展示会場を4周回ったとの事。流石、本物の茶人である。 私は1周半、つい刀剣・武具の方へ足が向いてしまう・・・。 茶人でないので仕方ない。



室町時代の「東山御物」、「大名物」、「名物」、「中興名物」のオールスター名品の数々が一斉に出展されていたので狂喜乱舞!
写真撮影は不可だったが、名前と写真でしか見た事なかった品々を、時間の許す限りじっくりと堪能してきた。 
茶入れを触りたい! 両手に包んで感触を確かめたいが無理なので、触ったイメージ感で我慢する・・・。

茶器・茶室(庵)・茶道の歴史を知る事により、弓矢・刀剣を使う戦場とは異なる、政治の世界を垣間見る事ができる。
織田右府も良いところに目をつけられた。 茶の湯のステータスを高めていき、恩賞として土地の代わりに茶器と茶会を開く事を許可された。  滝川一益が恩賞に茶入・珠光小茄子をねだったが却下され、上野国と関東管領を与えられたので、茶の湯の価値が益々上がっていき、戦国武将達の羨望の的となる。
この頃から公家の茶から武家の茶へ、茶の湯の流れが変化した。 

展示品で個人的に好きな茶器リスト(素人故目利きは出来ないが、好きな品をチェック)

室町時代:唐物茄子茶入、黄天目、古瀬戸白釉天目
武野紹鴎:珠光青磁茶碗、紫銅向獅子香炉、白天目
千利休 :利休末期の文(利休形見分けの手紙)、唐物茶壺・判官、茶杓・虫喰、茶杓・泪、三島茶碗・三島桶、染付唐草文茶碗・荒木、竹一重切枝付花生
織田信長:唐物茶碗・松花、唐物茶碗・金花
豊臣秀吉:おね宛書状、青磁香炉・千鳥
織田有楽:三島茶碗・藤袴、一重切花生
古田織部:茶杓・宗句参(前田玄以へ)
小堀遠州:茶杓・窓竹、茶杓・郭公、漢作瓢箪茶入・玉津島
千宗旦 :八字一行書「遇茶喫茶遇飯喫飯」
尾張徳川:十三首和歌、千歳棗、古瀬戸肩衝茶入・虫喰藤四郎、古瀬戸肩衝茶入・本阿弥、黒楽茶碗・横槌、鉄絵雲鶴兎文水指、唐物文茄子茶入・玉すだれ、井戸茶碗・東大寺、柿の?茶碗・京極、織部筒茶碗・冬枯、鉄破風呂、等々

その他、藤原定家書状、漢作茄子茶入・茜屋、井戸茶碗・大高麗、油滴天目、灰被天目。
別途、刀剣類脇差・貞宗。 刀身の幅が広い堂々とした姿に魅入られた。

週末は美術館で購入した「茶の湯の名品」の本と共に伊雜宮へ行き、芝本宮司に御教授願うべくお願いしている。
時代と共に茶器の大きさも小ぶりとなり、支那・朝鮮の焼き物から国産へ変化していく歴史を研究したい。
いままでは何とも思わなかった釜と風炉にも興味が湧いてきた。 歴史研究はいと楽し!


先日、天草本渡諏訪神社・大野康孝宮司より日本酒と蒲鉾を拝受。 感謝合掌 
いつも過分なる御高配を賜り、恐縮致しております。 
九月十三日(日)に天草本渡諏訪神社境内社・十五社宮の御遷座百年記念改修の祝賀祭典が執り行われた。
大野宮司は不屈の精神で病気と闘いながら、神職としての責務を全うされている。 押忍!


大野宮司、犬塚先生、南さんを始め、禊会関係者の先生方、先輩方や仲間達より、多くの事を学ばせて戴き、数々の分野における世間の広さを知る事ができ、幸せに思っております。  正に人と人との出会いは必然であると実感する。


大野宮司より御恵送戴いた御神酒。 今週末まで禁酒ゆえ、来週一献頂戴致します。 押忍!

それでは、また。 ごきげんよう。

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疲労感

2015-09-20 | 日記
九月二十日(日) 晴

八月より継続している本業の問題対応が、そろそろ終盤となってきた矢先、別の国にて新たな問題が発生・・・。
昨日の徹夜対応にて重大な問題は解決したのだが、これからは数多の小さな問題対応を行わなければいけない。

常に受身の対応(専守防衛)で、緊急呼び出しも多々あり、心身共に落ち着かない日が1ヶ月以上継続している。
重陽も十五夜も楽しめず、シルバーウィークも自宅警備を行わなくてはいけない。
明後日22日(火)から24日(木)まで、神宮内宮にて秋の御神楽祭が催されるが、多分行けない・・・。

仕事の合間に来客対応や、来月の行事準備手配と参加者への連絡を行っているが、本業が気になりなかなか集中出来ない。
本業は今週中には一段落すると思うので、その後はいくつかの予定行事を集中して進めていけると思う。

脳みそと精神の容量がレッドキング並に小さいので、複数の行事を一度に考えながら進行する事ができない自分に腹立だしさを感じるが、長年の飲酒と怠惰な生活を送ってきた現状では無理だと痛感する今日この頃。

本日も夕刻に緊急呼出がある可能性があるので、自宅警備中。 メールを読むと微妙な進捗状況だ・・・。


昨夜、洪水被害地へ支援活動で常総市へ行かれた秋山大兄よりメールを受信した。
ニュースで見る画面と違い、現地の生々しい現場を映し出した写真が添付されてあり、心が痛んだ。
秋山大兄は今後も週一程度で現地入りし、支援活動を継続されるとの事。 お疲れ様です! 押忍!








伊勢志摩方面では、森伸弘氏が秋山大兄と連絡をとり、地元の中心となり支援活動を続けている。 伸ちゃんは、自分のメイン活動である「スコップ団」においても同支援活動を平行して行っている。 頭が下がるばかりだ。


メール受信、本日も17:00より稼働の可能性大のようだ。 生ビールを飲みたいが、本日も涙を飲むか・・・。
これより進捗状況を確認して、戦闘態勢を整えなければならない。

それでは、また。 ごきげんよう。
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佳日

2015-09-16 | 日記
九月十六日(水) 雨

天草本渡諏訪神社・大野康孝宮司が、神宮司庁の招待にて伊勢へ御来訪。
午後休取得し、南さんと共に近鉄・宇治山田駅までお迎えに出向き、宿泊先の神宮会館へ移動。
夕刻の鷹司大宮司主催の宴の席が開場となるまでの3時間という限れた時間であったが、久しぶりに大野宮司と会ってお話をさせて戴いた。
明日、大宮司より表彰を受けられるとの事。 おめでとうございます! 


部屋にて寛がれる大野宮司。 アイポンにて撮影。



神宮参拝禊会 代表世話人と神都世話人。 フォーカスが甘く申し訳ございません。



大野宮司御愛用の扇子。 「俺に是非を説くな 激しき雪が好き」 野村秋介先生直筆の扇子である。


各分野にわたる話題で盛り上がり、あっという間に時間が過ぎていく。 開場時間となり、部屋を退出。
会場前に綺麗なコンパニオンの女性達が居並ぶ中、大野宮司は他の招待客の方々と共に宴の席へ吸い込まれていく。
コンパニオンの女性と話しをしたい気持ちを抑えつつ、大野宮司と別れて南さんと共に帰途へつく。


「だいちゃん」にて、南さんと共にノン・アルコールビールを飲みながら来月の行事に関する打合せを行う。
日程作成、昼食会場、ホテル、宴会場の確保は既に完了しているので、同行者の人選を中心に話し合う。
ノン・アルコールビールを飲んだら、一口毎に腹が膨れてしまう・・・。 減量には良いのかもしれないが、美味しくないし厠へ行く回数が倍増・・・。  
別件で、関東の洪水被害支援物資に関する件を伸ちゃんと話し合う。 支援活動は伸ちゃんを中心に広まっている。
打合せ終了後、近くのスナックへ移動。

烏龍茶を飲みながら、”茜霧島”という焼酎を見せてもらう。 白、黒、赤、金は知っているが、茜はママの出身地である都城でしか手に入れる事が出来ないらしい。 飲みたいが、南さんをお送りしなくてはいけないので、涙を飲む。


茜霧島。 この店のキープは赤霧島だらけだが、私は黒霧島のほうが美味しく感じる。


夜間、豪雨の中の運転はセンターラインが見づらくイライラするが、南さんをお送りするまでは平常心を保ちながらの運転。
帰宅時はイライラしながらも、制限速度を守りながらの運転。  関東地方にこのような豪雨が降らない事を祈念するばかりだ。
  
それでは、また。 ごきげんよう。





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長月 神宮御垣内参拝

2015-09-15 | 日記
九月十五日(火) 晴

先月から、予定の見えない忙しい日々が続いており、心身共に気が晴れない。 

最近は、地震、台風、洪水、竜巻、火山爆発と、大自然の猛威が日本全国を襲い続けている・・・。
惑星直列や、日食、月食の後には必ず天変地異が起きる。

有職故実では、陰陽寮に属する正七位下・天文博士や、従七位上・陰陽師、暦博士等が毎夜、星の観測を行っていた。
当時、太歳星君(たいさいせいくん)と呼ばれた木星が赤く光ると不吉な兆候として恐れられていた。
特に支那においては最も不吉とされた星として、特に注意しながら観測されていたようだ。 

肥後の阿蘇山が爆発した。 半世紀程しか生きていないが、あのような爆発を見たのは初めてだ。
薩摩の口永良部島、桜島、霧島火山の爆発も、大地震による大陸プレートの影響かと思われるが、為す術が無い。
これ以上の被害が出ない事を祈る事しか出来ない。

大自然を畏怖しながら共存共栄するという心がけを忘れてはいけない。 


先週末は犬塚先生のお知り合いの禰宜の方が、友人と二人で伊勢へ来訪されたので、神宮正式参拝へご案内させて戴いた。
二見・興玉神社参拝~二軒茶屋餅にて一服~豊受大神宮(外宮)御垣内参拝~皇大神宮(内宮)御神楽奉納、御垣内参拝~おはらい町・おかげ横丁散策~伊雜宮参拝という日程。 一人の方が初めての伊勢御来訪との事でしたので、倭姫宮をはずして、おはらい町・おかげ横丁にて観光を楽しんで戴いた次第。 両手にお土産を抱えて、待ち合わせ場所の神宮会館へ戻ってこられた。


二見・興玉神社の夫婦岩。 台風の度に注連縄が吹き飛ばされるが、翌日には即復旧。 現在、社務所の解体工事中。



おはらい町の伊賀くみひも屋。 可愛い伊賀忍者が出迎えてくれる。



賑わうおかげ横町。


禰宜の方が伊雜宮を好きで好きでたまらないとの事で、信濃から持参された品を伊雜宮へ奉納された。 山内宮司がその奉納品をを受領した後、正宮前に捧げてくれたので大感激されていた。 参拝していたら、仕事帰りの伸ちゃんが一人で境内を歩いて来た。 禰宜の方と伸ちゃんは、犬塚先生との御縁で伊雜宮で必然的に出会う。 そして私は、伸ちゃんを犬塚先生の”息子”と紹介する。
 
その後、伸ちゃんの先導で伊雜宮の秘密の杜へご案内。 禰宜の方は感激して、”ここで一晩過ごす”と言われ、二人が感動に包まれている最中、酒の飲み過ぎで二酸化炭素を人の5倍くらい放出している私は、ヤブ蚊に食われまくりで十二カ所も被弾して、痒みとヤブ蚊との格闘三昧。 他の方々は涼しい顔で散策を楽しまれる。 ここで私の敬神の念の浅さが暴露される・・・。

御田植祭が行われる神田へ行き稲穂の状態を確認。 ここで、二人は写真をバチバチ撮りまくり!


実るほど頭を垂れる稲穂かな。  神戸も大変だが、稲穂も揺れている気配。 発想が偏っていて失礼!

伊雜宮を離れたくなさそうな二人に車に乗って戴き、鳥羽のホテルまでお送りする。 おめでとうございます!
帰宅後、一っ風呂浴びて「だいちゃん」にて一人直会を行うが、隣に村田憲彦が座っていた・・・。
神宮参拝を行った日の生ビールの美味さは格別である。 冷たい日本酒もまたしかり。
一人手酌で冷たい日本酒を堪能し過ぎて二日酔い。 ”わかっちゃいるけど、やめられない!” 馬鹿は死んでも直らない。

それでは、また。 ごきげんよう。
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