献杯
三月二十九日(火) 晴
先週神宮参拝禊会仲間の原尾氏の親父殿が亡くなられたとFBにて知った・・・。 合掌
原尾氏へ神宮参拝禊会の関西方面のまとめ役としてお願いしているのだが、今年は親父殿の健康状態が良くないので参加出来ないとの事で心配していた。 牧氏と共に原尾氏が神宮参拝禊会に始めて参加された時から、伸ちゃんと私は原尾氏に一目置いており、久しぶりに男の中の男というものを感じた。 牧氏や原尾氏は一緒にいると何故か心安らぐというか、自分の叔父貴や仲間と一緒にいるような感覚になってしまうくらい、現代では稀少となってきた漢達である。 関東にも同じ匂いを感じる方々が数名いる。
平成の時代となってからは、原尾氏のような”昭和任侠伝”の高倉健さんや萬屋錦之介、池部良みたいな男がいなくなってしまった・・・。
本日午後、原尾氏よりわざわざ電話を戴いた。 これからも良い付き合いが出来ればと思っているので、次回の一献を楽しみにしている。
勝手ながら、今夜は國の子評論社の小島さんから頂戴した靖國神社の杯に大船渡産の濁り酒をなみなみと注いで、原尾氏の親父殿を偲んで献杯をさせて戴く。 献杯! 押忍!
親が亡くなる程悲しい事は無い・・・。 23年前に私の親父殿が亡くなった時の悲しさは筆舌に尽くしがたい程悲しく、唯々数日間泣き続けた。 親族内で内紛があったが、あまりの悲しさの為に嫡男としての務めが何も果たせず、妹が全てを仕切ってくれた事を生涯忘れないであろう。 現在でも変わらぬままだが・・・。 嗚呼、生涯フーテン故の悲しさかな。
親父が亡くなった早朝に出張先のベトナムから移動して、夕刻に自宅へ到着した日を今でも明確に覚えている。 思い出す度、今でも涙が溢れてくる。 親父殿は私の目標であり、いつの日か超えたいと思っているが、未だに足元にも及ばない・・・。 最後まで甘えっぱなしで、親孝行の真似事もできなかった・・・。
母上が亡くなった時には、高校時代の3年間毎日弁当を作って戴いた事が一番に思い出された。 ”弁当が無いと学校に行かない!”と叫いていた3年間、高校時代の思い出は弁当だけだった。 日々黙々と高校に弁当を食べに行っていたような気がする。 飯は人生において一番重要である。 長き海外生活を経験して一番感じる事である。 帰省の度に好物のおかずを作ってくれた亡き母上には感謝の気持ちしかない。
今年は親父殿の23回忌、祖母の17回忌、母上の3回忌。 江戸の叔父貴と肥後の叔父貴の1周忌。 仲間の親父殿達も無くなっている・・・。
思えば自分も着々と年をとっているのだと最近わかったが、自覚を持てない。 「龍三と七人の子分たち」ではないが、近い将来仲間達と一緒にあのような理性を捨てた、本能だけの生活を送るのも楽しいのではないか?とつくづく思う。 この重箱の隅を突っつくような平成の時代が堅苦しく感じるのは私だけではないのでは?
それでは、また。 ごきげんよう。