北面武士

至誠通天

新年会

2019-01-27 | 日記

平成三十一年一月二十六日(土) 曇時々雪

本日は、南さんの三重県T協会南勢支部の新年会に参加させて戴いた。 私は業界違いだが、毎年参加して撮影を行っているので顔見知りも増えてきた。

T協会会長と南さんを中心に、役員6名、衆議代理1名、参議1名、県議2名、市長1名、隣の副市長1名と、南勢支部協会関係者、計50名弱が新年会に参加された。

禊会仲間の森田英樹氏と田畑豊和氏も参加。 

リゾーツ&ホテル伊勢志摩(旧伊勢志摩ロイヤルホテル)の宴会場「的霧」にて18:00開会。

今回は写真撮影しながら食事も少し楽しむ事ができた。 刺身と肉しか食してないが、双方とも及第点の美味さだったので満足。

森田氏を乗せて車で来たので、ウーロン茶を飲みながら会場を歩き回りながら撮影。

 

開会の挨拶を行われる南代表世話人。  以下写真割愛。

 

参議の吉川ゆうみさんと、県議の中嶋としき氏と共に。  他の方々の写真は割愛。

 

くじ引き大会でたこ焼きマシーンが当たった森田氏。

 

同じく、セラミック・ファンヒーターが当たった豊和君。  ちなみに私はハンディー・クリーナーが当たった。

コンパニオン10名がガンガン酒を運んでくるので、多くの参加者も徐々に酒が入り、会場が盛り上がってきた。 

 

中締めの後、南さんはT協会会長や役員の方々とスナックへ行かれた。 私も誘って戴いたのだが、業界違いの方々ばかりなので辞退させて戴いた。

ご近所さんの中嶋県議と森田氏を家まで送って帰宅。  夕刻からずっと生ビールが飲みたかったので「だいちゃん」の父さんに迎えに来て戴き、まずは一献。

テレビでは大坂なおみが全豪オープン優勝のニュースが流れており、人ごとながら嬉しくなってしまった。 久しぶりのスカッとしたニュースで楽しい酒となった。

メガハイボールをゴクゴク飲みながら、少しずつ酔いが回って良い気持ちとなる。 

明日は写真整理、写真DVD作成、写真プリントを行ってから、南さんへお渡ししなければならないので、ちょいと早めに帰宅。

それでは、また。 ごきげんよう。 

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中途半端さに腹が立つ

2019-01-22 | 日記

平成三十一年一月二十二日(月) 曇

 

ネットでニュースを見たら、下記のような記事が記載されていた。

『韓国駆逐艦による海上自衛隊哨戒機への火器管制レーダー照射問題をめぐり、防衛省は21日夕、新たな証拠としてレーダー照射を受けたときに哨戒機内で記録した電波信号の音を公開した。最終見解も発表し、韓国との実務者協議を打ち切る方針も示した。韓国側は反発を強めそうだ。

公開された哨戒機が収集した電波信号の音は18秒間。哨戒機が記録したものは、一定時間連続して強度を保った音が鳴っており、日本側主張の火器管制レーダーの照射を受けた事実を裏付ける内容となっている。捜索用レーダーの電波信号の音(約20秒)と比較できる形で公開した。

最終見解は「協議を韓国側と続けていくことはもはや困難であると判断した」と指摘。韓国側の姿勢について「事実とは全く異なる主張を繰り返していると結論付けざるを得ない」と批判した。

韓国側が事実関係を重ねて否定していることを踏まえ、日本政府は新たな証拠を示すことで、日本側の主張の正当性を国際社会に訴える狙いがある。』

 

何だこれは? これで打ち切りか? まあ面倒くさいというのはわかるけど、一番重要な事が追求されていないのに腹が立つ。  

一番重要な事は、日本海EEZ内で北の漁船が遭難している時に、何故南のコーストガード(警察)に救助依頼があり、また何故コーストガードと共に駆逐艦(軍隊)までいたのかという事だ。  

日本領海近辺で、北の漁船と共に怪しげな行動を起こしていた事が最重要問題なので、まずはこの件を世間に明確に伝えなければならない。  その問題の先にレーザー照射がある。

すでに数年前から米国もかの国を見捨てているし、日本国政府もとっとと国民が願っているようなアクションを起こさなくてはいけないのではないか? 

敵はレーザー照射という宣戦布告と同等な行為を行っているのだから、2倍返し以上の反撃を食らわさなくてはバランスがとれないだろう。 これ以上甘やかすな!

戦争は経済の延長線にあるので、一歩手前の経済分野で寸分の容赦なく、キッパリと片を付ければ良い。 今後は西側諸国側の国家とは思わぬ事だ。

それでは、また。 ごきげんよう。

  

 

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NFLプレーオフ 2019

2019-01-20 | 日記

平成三十一年一月二十日(日) 晴

 

NFLレギュラー・シーズンも終了し、現在スーパーボウルへ向けてのプレーオフの試合が行われている。

NFL (National Football League)は、AFC (American Football Conference)16チームと、NFC (National Football Conference)16チームに分かれている。

スーパーボウルはAFCチャンピオンとNFCチャンピオンのチームとの試合となる。

先日14日に、私が40年間応援しているロサンゼルス・チャージャーズ(シーズン12勝4敗)と、強豪ニューイングランド・ペイトリオッツ(シーズン11勝5敗)との試合が行われた。

結果は28-41でチャージャーズの完敗であった・・・。 残念無念・・・、これにて本年度のスーパーボウルの夢も終わりとなった・・・。

いつも最後の行く手を阻むのはペイトリオッツのQBトム・ブレイディー41歳だ。 本名:Thomas Edward Patrick Brady Jr.

ペイトリオッツ(トム・ブレイディー)は8回連続AFC決勝進出しており、スーパーボウルも2年目にして出場、通算7度出場して5回優勝しているNFL史上最強のスーパースターだ。  接戦においても、最後の1分でタッチダウンを決めてしまうパス能力と強いメンタルを持つ勝負強さが際立つ素晴らしい選手。

チャージャーズのQBフィリップ・リバース37歳も飛びきり良い選手なのだが、同じAFCにトム・ブレイディーが存在しているので、常にNo.2の成績しか残せない。 実力だけでは報われない、正に運が悪い選手と言っても過言ではないかもしれない。

 

いよいよ次はAFCとNFCの決勝戦となる。

AFCは、ニューイングランド・ペイトリオッツ (シーズン11勝5敗)対 カンザスシティー・チーフス(シーズン12勝4敗)

NFCは、ニューオリンズ・セインツ(シーズン13勝3敗) 対 ロサンゼルス・ラムズ(シーズン13勝3敗)

 

ペイトリオッツQBトム・ブレイディー41歳、チーフスQBパトリック・マホームズ23歳という新旧QB対決だ。

ブレイディーについては割愛。 おじさん達のスーパースター!

 

マホームズは1997年~1998年に横浜ベイスターズで投手をしていたパット・マホームズの息子で、当時2~3歳。 

マホームズは新人だがチームを上手くまとめあげ、若者ならではの恐れを知らぬ完全なるイケイケ・スタイルの攻撃スタイルで素晴らしい成績を残している。

度胸あるパス攻撃は観ていて楽しくなる。 早く海千山千のおじさんとの試合を観たい。

 

セインツQBドリュー・ブリーズ40歳は、セインツに移籍前はチャージャーズに4年間在籍しており、QBとしては身長183cmという低さにも関わらず、パス攻撃をメインに良い成績を残していたが、怪我と現QBフィリップ・リバースの契約でチャージャーズとの契約が合意に達せず、セインツへ移籍となった。

セインツ移籍後、2009年第44回スーパーボウルに出場して優勝という輝かしい成績を残し、現在も素晴らしい活躍を続けている。 おじさんには今後も頑張って欲しい。

前のイーグルス(去年のスーパーボウル・チャンピオン)との試合では、このままでは逆転負けもになりそうな最後の2分頃、味方守備のインターセプトでギリギリ勝利をもぎ取った・・・。

 

ラムズQBジャレット・ゴフ24歳。 ラムズにはNFL第3位のトッド・ガーリーというランニングバックと、NFL第13位のロバート・ウッズと第14位のブランディン・クックスという2名のワイドレシーバーが活躍して抜群の得点力を誇っている。  怪我がなければスーパーボウル優勝も夢ではない。

こちらの新旧対決も楽しみだ。

 

2月3日(日)日本時間2月4日(月)08:00JSTから第53回スーパーボウルがアトランタで開催される。

テレビで試合を観たいので、休暇を取得しようか迷っている・・・。 どうする?

ハーフタイム・ショーにはマルーン5とトラビス・スコット、ビッグ・ボーイが出演予定。

それでは、また。 ごきげんよう。 

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オスマン帝国外伝2

2019-01-20 | 日記

平成三十一年一月十九日(土) 晴

今年は「オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム・シーズン2」に嵌まっている。

昨年放映されたシーズン1の続編で、14~20世紀初頭まで600年間存在したオスマン帝国の最盛期を作り上げた第10代皇帝スレイマンの時代(1520年-1566年)、皇帝に次ぐ地位の大宰相・イブラヒム・パジャ(皇帝妹・ハティジェの婿)と、ウクライナ人の奴隷~寵妃~后妃へと成り上がった悪女?ヒュッレムの争いを中心に、ヒュッレムの、権謀術数を用いた後宮のライバル達(母后・ハフサ、皇妃マヒデブラン)とのドロドロした世界を描いている作品だ。 脇を固める女官長、宦官長や後宮の側女達が良い仕事をしている。

シーズン1でも結構嵌まったのだが、今回のシーズン2の方が展開が早く、観る毎に引き込まれていく。 

基本的にフィクションで、諸外国との軍事・外交・内政等のストーリーに忠実なので面白さが半端なく、毎日録画した番組を就寝前に必ず観ている。

これからの展開が楽しみで、ワクワク感が止まらない。  トルコの酒・アラックを飲みながら、トルコ料理を食したくなってくる。 思えば20年以上トルコ料理を食してない。 

 

このスレイマン皇帝が亡くなり、ヒュッレムの息子・セリム2世が第11代皇帝を継承後、セリム2世は酒と女に耽り、軍事・外交・政務をほっぽりだし、大宰相達に一存する体制となり、以来皇帝は完全な飾り物と成り果ててしまった。 以来、オスマン帝国は徐々に衰退の一途を辿る。

17世紀に軍事力をつけたヨーロッパ諸国の侵攻や、アラブ諸民族の自立で領土が縮小し、19世紀に近代化に失敗。

1922年にトルコ革命で600年続いたオスマン帝国滅亡となる。 最後の皇帝となる第36代皇帝メフメト6世一家は帝国滅亡後にマルタに亡命し、現在、彼の子孫達はイタリア、エジプト、フランスにいるとの事。

現在はオスマン・トルコと呼ばれる事はなくなったそうだが、このオスマン帝国外伝が爆発的人気となってからは、トルコ国内でもオスマン帝国時代の名称を冠したホテルやレストラン等が増えているそうだ。

 

1890年に和歌山県串本沖で起きたエルトゥールル号遭難事故以来、トルコは日本に対し恩義と友情を感じ、世界一の親日国家として現在も友好関係が続いている。

また、2015年にはエルトゥールル号海難事故を題材とした日本・トルコ合作映画「海難1980」が公開された。

トルコでは教科書に記載されているが、日本の教科書には記載されていたのだろうか?  ガキの頃は教科書に落書きばかりしていたから覚えてないのかも?

 

私が娑婆で働き始めて、これから海外出張が増えてくる頃、1985年のイラン・イラク戦争(1980年勃発)時に、テヘラン在留の多くの日本人が出国不可能な状態となった。

それは3月17日にイラク軍が、3月19日20時20分を過ぎたらイラン領空全域を戦闘地域とし、全ての民間機も攻撃の対象となると発表。

日本政府がイラン・イラク両国に救援用特別機の飛行の安全を保証されるよう交渉したが明確な返事が得られなかった。 チャーター機を準備する時間も無い、突然の発表であった。 

ソ連・エアロフロートは自国民を優先し、日本人の搭乗を拒否、オーストリア航空2機、エールフランス機、ルフトハンザ機で40名余の邦人が脱出したが、200名以上の邦人が取り残された。

その時にトルコ駐在の商社マンで、日本・トルコ協会理事を務めておられた故・森永堯氏が、旧知のトルグト・オザル首相(当時)に在留邦人を救うために航空機を派遣して戴きたいと依頼し、オザル首相は”親友の森永さん、心配するな、我々は日本人に恩返しをしなければいけないからね”と答え、派遣を決定してくれたのだ。

オザル首相の指示を受けたトルコ航空が救援のパイロットを募ったところ、その場にいた全員のパイロットが手を挙げたそうだ。

イランには多くのトルコ人も残留していたのだが、トルコ政府は日本人を優先して飛行機に搭乗させ、残された自国民はトルコ大使館が用意した車に分乗し、陸路でイランを脱出しトルコへ移動したとの事。

イラクの警告期限の3時間前に離陸した一番機に日本人198名、期限1時間前に離陸した二番機に17名が搭乗し、無事イランの国境を越える事ができた。

この時のニュースは今でも鮮明に覚えている。 しかし、当時はエルトゥールル号海難事故を知らずにいた・・・。 ユセフ・トルコしか知らなかった頃が恥ずかしい・・・。 

 

1990年8月17日に発生したトルコ北西部大地震では、テヘランで助けられた商社マンや銀行マンが義援金募集に奔走し、日本政府も迅速に救援物資や無償援助の提供、レスキューチーム、医療チーム、耐震診断の専門家、ライフラインの専門家が派遣され、横須賀から救援物資の仮設住宅を積んだ日本海軍輸送艦・おおすみの艦長から次のような訓示があった。

「トルコ共和国はイラン・イラク戦争の祭、危険もかえりみずに二機の航空機を派遣し、テヘランに在留していた邦人215名を救出してくれた。 日本は、いまこそ、トルコの恩に報いなければならない。 トルコの人々の友情に応えなければならない。 先達が遺してくれた日本とトルコの絆を断ち切るようなことがあってはならない。 さあ、すみやかに、トルコへ向けて出発しよう。 トルコには日本の支援を待ち焦がれている人々がいるのだ」と。

日本からの救援物資はトルコへ届けられ、仮設住宅は「日本トルコ村」と呼ばれ、ピーク時には5000人の避難民が身を寄せられていたようだ。

ドアには日の丸が張られ、路地は「東京通り」、「神戸通り」などと名付けられたとの事。

その後、日本でも阪神大震災、東日本大震災、熊本大震災、北海道大震災が発生し、トルコでもアンカラや他の地方でも大きな地震が発生する度、お互い救援活動を行い交流を継続している。

トルコ、台湾、パラオ。 ありがたき国家に感謝。

それでは、また。 ごきげんよう。

 

 

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ボヘミアン・ラプソティー

2019-01-12 | 日記

平成三十一年一月十二日(土) 曇

 

本日は久しぶりに映画館へ行き、「ボヘミアン・ラプソティー」を観た。

伝説のバンドとなったクイーンのリード・ヴォーカルだったフレディー・マーキュリーの実録映画で、クイーンのバンド結成からライブ・エイドの頃までの活躍が描かれている。

彼等がデビューした時には私は中学生で、クイーン・ファンだった同級生の女子が購入した3作目のアルバム「シアー・ハート・アタック」を借用して初めてクイーンの歌を聴いた。

クイーンの存在は知っていたのだが、現在のようにレンタルビデオ店などなく試聴も不可だったので、当時高価だったレコード1枚購入するには相当の勇気が必要で簡単には購入出来なかった。

いつも友人達と話し合って、同じアルバムを購入しないようにしたり、FM放送のエア・チェックの情報を皆で共有して音楽を録音していた時代だ。 

また、ビデオも無かった頃なので、レコード店が開催するフィルム・コンサートへは必ず行き、友人達とかぶりつくように見入っていた。 ジミヘン、サンタナ、ドアーズ等々、未だ70年代ロックが勢いがあり、ヴァン・ヘイレンがデビューする前くらいかな。 

当時はディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、2度目のブームとなったザ・ビートルズやキッスに嵌まっていて、クイーンのキラー・クイーンを聴いた時に、今まで聴いた事の無い独特な音楽センスに驚いたものだった。 以来、好きなバンドの一つとしてフレディー・マーキュリーが亡くなるまで聴き続けていた。 

多感な青春時代に聴いたクイーンのインパクトは多大であり、常にクイーンの歌は私が編集した音楽用カセットテープに必ず数曲入れていた。 

親友のN君はスーパー・クイーン・フリークで、高校生の頃からクイーン来日時にはコンサートを観に行っており、自分のバンドでもクイーンを演奏していた。(友人として甘い点数をあげたくとも、演奏はともかく歌はダメだった・・・というか、酷かった。 ごめん!)  

彼は高校教師となってから、教え子達にクイーンの素晴らしさを伝えて、学生祭では学生と一緒にバンドを組んでクイーンを演奏していた。 彼はこの映画を観て狂喜している事だろう。

 

歌は世につれ世は歌につれの如く、クイーンのヒット曲を聴くと当時の私の生きた時代を一瞬で思い出させてくれる。 

フレディー・マーキュリーがAIS発症後、死を覚悟した立場で歌っていた歌詞の内容が心に響き、また、メンバーにAISを告白した1シーンを観て、彼の生き様に武士道精神を見いだし、止めどもなく涙が溢れてきた。 フレディーの個人的な人生には関与しないが、世界のトップ・ミュージシャンとしての誇りと矜持を感じられる素晴らしい映画だった。

ロック・ファンにお薦めの映画です。  フレディー・マーキュリー、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・ディーコンを演じた役者達がそっくりなのも良し!

それでは、また。 ごきげんよう。

 

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