北面武士

至誠通天

激務継続中

2019-09-22 | 日記

令和元年九月二十二日(日) 曇

 

先々週の台風15号で関東方面、特に千葉県において甚大なる被害が発生した。

メイン送電線鉄塔並びに市街地内電柱倒壊により広範囲で停電が発生し、電線上に倒れた多くの倒木や電柱破損等の原因で、現在でも東電のシステム完全復旧とは言えない状態が継続している。 

今の世の中、電気無き状態では生きていけない時代なので、早急なる復旧を祈念している。

現在においても、大勢の日本陸軍兵士達が倒木伐採撤去を行っているが、その費用は東電が支払わなくてはならないのではないか? また、腐れマスコミは彼等の活動を一切報道しない。 日本の報道機関とは思えない偏向報道だ。

 

館山近辺は4日目に電源が復旧したが、それまで私が所属する会社の設備は、設置してある大型発電機で3日半の間連続発電を行っていた。

途中タンクローリー車2台分の給油を行いながら必死に設備を稼働させていた。 ダウンしたら国内への影響大。 

また、仲間が教えてくれた給油費用が驚きの金額だった・・・。 それでも稼働継続しないといけない業界。

江戸から館山へ出張っていた仲間達はホテルに宿泊出来ず(停電、断水、破損)局舎にて滞在。 

た断水で3日間風呂にも入れず、カロリーメイトや非常食を食しながら迂回路作成に勤しむという、日本陸軍兵士より過酷な状況で稼働していた。 だいたい我々の業務は昔から過酷な稼働が常である。

仲間の一人から、3日目にやっとコンビニで弁当を購入出来たと喜びの電話がかかってきたので、私も祝福の言葉を交わす。

その電話を受電した時、30年前にフィリピンで大地震が起きた時の事を思い出した。

当時、マニラのマカティにあった23階のオフィスが揺れに揺れ、スタッフ全員で階段で下まで降り、そのまま予定していた現場へ子分達と共にサファリ5台を連ねて移動し、途中震源地だったダクパンという町を通過。(通過するまで震源地とは知らなかった)

液状化現象でほとんどのビルは傾き1階部分は潰れて、町は壊滅的な状況にあった。 

死人、怪我人が溢れる、混沌とした生き地獄というものを人生で初めて知った日であった・・・。

大勢の死体が転がっている中、デコボコになった道路を四駆で強行走破し、サン・フェルナンド・ラ・ウニオン経由でヴィガンという町まで移動。  食事は現地のサリサリ・ストアで食す事が出来たので幸いだった。(鰯の缶詰と米、ミネラスウォーター持参)

当日の夜はヴィガンでも停電しており、街中ピリピリした雰囲気の中でエアコンもない蒸し暑いホテルで緊張した一夜を過ごした。 

車の鍵、サバイバル・ナイフ、折りたたみナイフ、ろうそく、懐中電灯、ラジオを確保し、何時でも移動できる体制で一週間を過ごした。 その間、昼間は通常の稼働継続。  過酷な状況だったが、個人的には心底楽しんでいた。

その後もヴィガンからラオアグ、ツゲガラオ、アパリへと北上し、3週間後に南下したら、それぞれの町で1階が潰れた時に一緒に潰されてた人達の死臭が町に漂っていた・・・。 多分東北大震災においても同じ状況だったと思う。 合掌

フィリピンで過ごした2年間、ゲリラによる爆弾攻撃、不発弾設置、危険地域における稼働、地震、子分の交通事故死、地元ヤクザとの数度の喧嘩等々、今思うとよく無事に生還出来たものだと不思議に思う事がある。 御先祖様の御加護に感謝!

家が破壊・損傷しても生きていれば何とかなる。 まずは生きている事に感謝だ! 押忍!

斯様な厳しい状況を経験して、初めて食事のありがたさや、生きている事の素晴らしさを再認識出来るのだろう。

館山で稼働していた仲間も同じような経験をしているので、今回の厳しい稼働を心では楽しんでいたはずだ。 変態仲間だし!


当地においても館山と対向で繋がっているので、館山側とフェイズを合わせながら、日々黙々と迂回路を構築しなくてはならなかった。

その作業中に、当地で重要な海外ルートで新たな障害が2カ所発生し、迂回路構築作業と共に障害対応で連日脂汗まみれの日々を過ごしていた。 精神的なダメージ大で楽しめない・・・。

その間に、南さんの空手道部の教え子の西村氏が、先月タイ・バンコックで開催された空手アジア選手権大会において、シニア部門で組み手並びに型の両方で優勝された祝勝会へ参加。(8月の小中学生全国大会でも運営No.2として大活躍) 

また、同日同料亭において、8月に開催された館友会の打ち上げが行われたので、先輩達へ挨拶を行う。

この時は緊急事態に対応しなくてはいけないので、車両移動故飲酒不可。 ウーロン茶で食事のみを楽しむ・・・。 嗚呼、無情! 

 

その後も本業の大型波状攻撃を受け続けており、過去に撮影した写真の整理等を完全に失念しており、1ヶ月前の写真送付も行っていない・・・。  何てこった。

仕事のストレスで週末は酒をガブ飲みして、翌日には重要案件も頭から吹っ飛んだ状態となっている今日この頃。

昨日は久しぶりに「味館」にて"塩カツオ”を肴に生すだちチューハイをガブガブ飲みながら、”サイコロ・ステーキ”、”土瓶蒸し”を楽しんだ後に、腹固めに”石焼きウナギ飯”を作って戴き、仕事を完璧に捨て去った楽しい一時を過ごす事が出来た。 感謝合掌

 

明日は祭日だが、ちょいと仕事をしなくてはいけない・・・。

早く全ての問題が解決出来る事を心底願っている次第。

人生も文章も支離滅裂!  御免!

それでは、また。 ごきげんよう。

 

 

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安寧を貪る日々

2019-09-08 | 日記

令和元年九月八日(日) 晴

 

台風15号が日本に接近しているが、ここでは一昔前の普通の夏のような暑さと晴天に覆われている。

静岡に上陸し関東方面を直撃するとの事で、甚大な災害が発生しないよう無事を祈念している。

 

9月になってから比較的のんびりとした日々が続いており、平和と安寧を貪る幸せな日を過ごしている。

本業の高稼働率は相変わらずだが、働き方改革のおかげで残業や休日出勤が厳しくなり、特別な問題が発生しない限り平日ビジネス・アワー内でスケジュールが組まれるようになり、中途半端な残業が激減した。 

お天道様の輝く陽光と、少し涼しくなってきた風を全身に浴びながら、原チャリでぷらぷらと散歩したり、相方の犬達と遊びながら犬のおやつを食べさせたり、生ビールをゴクゴクと胃に流し込みながら旬の肴を楽しんだりと、平穏無事な生活が続いている。 感謝合掌

先日近所の居酒屋へ出向いたら、旬の”秋刀魚”があったので注文したが、ニュースで報道されていた通りの脂がのってない細い秋刀魚だった。

旬の魚だが、海流が蛇行して海水温が高すぎるが原因なのか、痩せた秋刀魚だった。  私もこれくらい痩せたいが・・・。

 

牛肉にバルサミコ・ソースを和えた一皿。  赤葡萄酒との相性抜群! 肉は良いね~!

 

今回は猪肉ではなく、ラムチョップ。  美味いが、ラム肉は柔らかすぎる・・・。 ある程度噛み応えがないと、肉を食した満足感が薄れてしまう。   

 

石焼き鰻飯。  最近食したものの中で一番美味しいと感じた一品。

すこしタレがかかった焦げた飯の香ばしさと、自家製タレをかけた鰻とのコンビネーションが、口の中で抜群の相乗効果が発生し、恍惚状態となる。

この日以来ホワイト・ボードの手書きメニューに記載されてないので、次回は数日前に予約して作ってもらう予定。

 

隣国は相変わらず面倒くさい事を言ってるが、日本政府もふんだんに予算をかけて、世界的なロビー活動やカウンター・アクションを実行して、隣国が二度と嘘八百を並べた反日活動を行う事が出来なくなるよう、完全に叩き潰してしまう必要がある。  

既にニューヨークでは日本海と東海の併記が決定されたとの事・・・。 怒り心頭! 外務省は何をやっているんだ? 本当に糞みたいな省だな。

芋ひき外務省に任せていても何も出来ないので、世耕氏を筆頭に実行力ある政治家と官僚を中心にしたタスク・フォースを立ち上げなければならない。 

もうこれ以上隣国のロビー活動を継続させてはならない!  早急に対応しないと手遅れになってしまう。(既に手遅れだが・・・)

これを機に、全てのゴジャを徹底的に打ちのめして、反日運動を壊滅させるべきである。

 

本日は原チャリで散歩した後、ツクツクボウシの鳴き声を聞きながら、「殺しの柳川・日韓戦後秘史」を読んでいる。

柳川次郎が勢力を拡大していた時代は、隣国との縁が深かった在日一世が蠢いていた時代で、韓国政府・朴正煕大統領の側近中の側近・朴鐘圭が、日本で力(暴力)を持っていた東声会・町井久之(鄭建永)や柳川組・柳川次郎(梁元鍚)、会津小鉄会・高山登久太郎(姜外秀)を利用して、当時の日韓の繋がりを強化した。

彼等は表裏ともに影響力を持ち、いろいろなフィールドで暗躍しており、ソウル・オリンピック誘致にも尽力している。

当時は在日一世の祖国への忠誠心が強く残っており、彼等も粉骨砕身祖国の為に活動を行っていたようだ。   

 

現在でも指定暴力団のトップのI会・K会長、K会・M会長、NY組・O組長、七代目G一家・S会長、三代目HF会・N会長、N会・N会長等、大勢の在日組長がいるが、彼等は既に二世、三世の世代であり、またバブル時代を経験しているので、義理人情より金を重視している。 彼等の祖国との繋がりも一世よりも脆弱なのでパイプも細く、同業者とのビジネス繋がりくらいしかないだろう。  ましてや、隣国とはいえ政治家との接触などありえない時代となってしまったからね。

また三世、四世ともなると、母国語を話せない者を多くいるようで、民族のアイデンティティーがどこにあるかわからないのではないだろうか。

多分、祖国への忠誠心よりも、生まれ育った市町村に対する愛着心のほうが強いのではないだろうか?

このまま隣国との確執が悪化すると、彼等の立ち位置も益々難しいものになるに違いない。

戦後の第三国として、隣国も台湾のように真実の歴史を伝えていかなければ、歴史改ざん途中でいろいろな歪みが生じ、現在のような問題が次から次へと発生していくだろう。

隣国の持つ差別思想を是とする儒教と恨が全ての原因なので、解決の糸口を見いだす事は不可能。  こりゃダメだ!

それでは、また。 ごきげんよう。

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令和元年 伊雑宮参拝禊会

2019-09-01 | 日記

令和元年 八月二十四日(土) 雨曇

 

本年も恒例となった「伊雑宮参拝禊会」が、伊勢志摩にて開催された。

午後1時00分 参加者全員で皇大神宮別宮・伊雑宮を参拝し、”中六”にて昼食。 その間、私は麦酒の買い出し。

午後2時00分 禊講習会開始。 横山大兄の国民儀礼の後、大嘗祭関連の説明と古事記における禊の意義等の講話。

       その後、竹ノ内宮司の指導の下”禊講習会”が行われた。

午後3時00分 禊講習会を抜け出し、缶麦酒を冷やすべく村田憲彦と共にM運輸社へ移動し、発泡スチロール箱と氷を調達。

       昨年は一人で行ってキツかったので、今年は村田憲彦に支援を依頼。 感謝合掌

 

 

午後2時00分 上之郷公民館にて禊講習会開始。 司会兼助彦のタケちゃん。

 

横山大兄による国民儀礼。 国歌斉唱。

 

国歌「君が代」。 平安時代の詠み人知らずの歌だが、誠に素晴らしい歌だと心から思う。

 

拝礼。 

 

伊雑宮参拝禊会が多大なる御支援を給わっている、伊雑宮奉賛会副会長・南幸生氏による御挨拶。

 

横山大兄による講話。  古事記における禊の意味を分かり易く解説して戴いた。 

 

受講中の一同。

 

真剣に講話を拝聴。

 

 

 

 

キンタ君も撮影を忘れ、集中して講話を拝受。

 

加藤大兄の人脈の広さと深さには毎回驚かされる。

毎年お誘い戴き感謝しております。 押忍!

 

新宅さん、いつもお世話になっております。 感謝合掌

 

 

 

 

 

一番奥の村田憲彦は眠っているのだろうか?

 

南幸生氏も真剣に拝読中。

 

横山大兄の祝詞と講話の巧さに、毎回拝聴する度に引き込まれていく。 

来年の神宮参拝禊会においても、よろしくお願い致します。

 

引き続き、竹ノ内宮司・道彦による禊講習会。

 

禊行の全体の流れを説明されている。

 

旗手と指揮隊隊長を先頭に整列。

 

この後、鳥船行事の練習。

この頃に上之郷公民館を後にして、M運輸社へ移動し大量の氷を頂戴す。  会長、いつもありがとうございます! 押忍!

荷物を”民宿・豊”へ置いた後帰宅し、ちょいとシャワーで汗を流してから午後6時00分頃にBBQ会場である”民宿・豊”へ移動。

到着したらBBQ大会は既に始まっており、私もキンキンに冷えた缶麦酒をグイグイと飲みながら、美味しい食事と会話を楽しませて戴いた。

犬塚5兄弟(横山大兄、和田大兄、牧田大兄、伸ちゃん、佐藤大兄)のうち、今回参加された横山大兄、和田大兄、伸ちゃんと会話で盛り上がっていたら写真撮影を失念していて、とりあえず集合写真だけは撮影する事が出来た。

下手すりゃ、うっかり八兵衛になるところだった・・・。

 

全員集合! 加藤大兄、竹ノ内大兄、藤野大兄のおかげで、毎年楽しいBBQに参加させて戴き多謝!

 

恒例の藤野大兄、和田大兄による譲君イジり。 中学生の頃に戻ったような笑顔だ。

午後11時00分頃に一旦帰宅し、写真機の電池の充電を行う。

 

 

令和元年八月二十五日(日) 曇晴

 

早暁4時00分起床・洗顔をすませ、再び”民宿・豊”へ移動。

午前4時45分 禊行開始。

地元からは、山本大兄、東岡大兄、小西大兄、伸ちゃん、森田大兄、村田憲彦の6名が参加。

村田憲彦は地元のまとめ役を依頼されていたのだが、誰にも連絡しておらず・・・。 

森田大兄は前日の伸ちゃんとの会話で知ったとの事・・・。 

毎週末、昼間っから飲んでんじゃね~よ!

 

”民宿・豊”前に集合。 二列縦隊にて阿児の松原海水浴場へ向かって駆け足。 エッサー、エッサ! エッサー、エッサ!

 

日の出前の暗い海岸にて拝礼。

これより鳥船行事。

 

鳥船行事を終え、海禊行へ。

 

今年はべた凪だったので、随分と奥まで入っていかれた。

 

あまり遠くまで入ってしまったので、撮影もままならず。 意外と遠浅だったのでビックリ。

 

大祓祝詞奏上、国歌斉唱を終えて、海より陸へ。

 

エイッ! エイッ! エイッ!

 

 

 

 

 

円陣を組み直して、再び鳥船行事。

 

各自、気合いが入っている。

 

道彦・竹ノ内宮司と助彦・タケちゃんの息もぴったり。  年々良くなっているように思える。(上から目線で失礼)

 

分厚い雲で日の出が阻まれているが、全員の心の中は晴れ晴れしている。

 

国常立命~!

 

悪を叩き斬る! エイッ!

 

息吹。

 

禊行完遂。 おめでとうございます!

 

再び指揮隊の号令の下、整列。

 

二列縦隊にて”民宿・豊”まで駆け足。

午前5時30分頃、全員の無事を確認して解散。

午前8時00分 朝食 & チェックアウト。

午前9時00分 全員正装にて皇大神宮別宮・伊雑宮にて集合。

       正式参拝が執り行われる。

 

 

伊雑宮境内にて整列。 これより正式参拝。

 

御正宮へ参進。

 

 

 

御正宮前にて整列。

 

これより正式参拝が執り行われる。

 

代表者5名が御正宮敷地内へ。

修祓の儀、祝詞奏上。

 

御神酒を授けられる。

 

 

 

お下がりの授与。

 

 

これにて正式参拝終了。 近江さん、ありがとうございました。

この後、上之郷公民館において直会。

 

直会開始。

 

横山大兄による国民儀礼。 国歌斉唱。

 

拝礼。

 

南幸生氏による御挨拶。

 

「櫻街道」大西氏による御挨拶。  今回は硫黄島から戻ってきたばかりで、来月は泰国にて遺骨収集予定との事。

 

禊行を終え、清々しい笑顔の参加者一同。

 

 

 

 

 

 

南幸生より拝受した”饗宴”セット。 土器の杯、箸、盆 x 15セットを持ち、希望者を募る竹ノ内宮司。 一瞬にして配布完了。

 

会津国より参加された久保田大兄による禊行の感想。 指揮隊隊長、お疲れ様でした。

 

安芸国から参加された岸田大兄による禊行の感想。 旗手、お疲れ様でした。

 

美濃国から参加された和田大兄。 和田大兄とは、地元の仲間達より頻繁にお会いしている気がする。

 

暫く函館へおられたが、現在は讃岐国へ戻ってこれたとの事。

 

道彦・竹ノ内宮司による〆の御挨拶。

 

参加者の方々におかれましては、尊皇絶対の志を永遠に持ち続けて戴きたいと祈念致しております。

 

皇尊弥栄! 皇尊弥栄! 皇尊弥栄!

本年も禊行無事完遂し、おめでございます。 また来年もよろしくお願い致します。

 

 

伸ちゃんと村田憲彦と共に”あじへい”で昼食(村田憲彦は生ビールと焼酎をガブ飲み)を食した後、一人原チャリに乗って、朝の禊場だった阿児の松原海水浴場をパトロールしていたら、サーフィン体験会が行われていた。

多くの子供達が喜びながらサーフィンを楽しんでいる、ほのぼのとした風景が心を癒やしてくれる。  

 

少々睡眠不足なので、帰宅後に2時間くらい昼寝。

久しぶりに完全なるプライベートな時間を過ごすことが出来た、心身共に充実した週末だった。

加藤大兄、竹ノ内大兄、藤野大兄、他の皆様方、誠にありがとうございました。 多謝!

それでは、また。 ごきげんよう。 

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