北面武士

至誠通天

映画鑑賞

2015-05-31 | 日記
五月三十日(土) 晴

北野武監督の「龍三と七人の子分たち」を観た。 
2時間の上映時間があっという間に過ぎ去ってしまったくらいの面白さで、前作の「アウトレイジ」ではリアルな暴力団を描いていたが、今回の「龍三と七人の子分たち」は昭和の任侠をネタに絶妙なる笑いを醸し出している。  
小出しの笑いが妙に嵌まってしまう、心をくすぐるような面白さだ。
上演開始早々からジワジワと腹の底から笑いがこみ上げてくる、近来まれにみる面白いコメディー映画だった。
懐かしさを感じる者は私だけではないと思う・・・。


藤竜也と近藤正臣の絶妙な掛け合いがたまらないし、他の俳優達も良い味を出している。 失うものの無い者は強い!

ストーリーは、ベタな半グレと旧ヤクザとの対立を面白おかしく展開させている。
Vシネマで同様のシリーズがあったが、こちらは一般向け映画なので残虐シーンはちょっとだけ。 百聞は一見にしかず。

お薦めの映画ですので、是非御覧下さい。

それでは、また。 ごきげんよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同田貫

2015-05-26 | 日記
五月二十六日(火) 晴

天草本渡諏訪神社・大野康孝宮司より同田貫の大身鑓を拝領。
鞘を抜き、鑓を拝観していたら感極まり、涙が止まらなくなった。 感謝合掌
戦国末期の肥後・同田貫の鑓が私の手元にきたというのも何かの縁であろう。 現在の状態より劣化させぬよう、大切に保守保管に努め、最高の状態で次世代へ残せるよう務める事とする。

日本刀、太刀、脇差し、短刀も魅力的だが、個人的には昔から鑓が好きだ。 
戦国時代、戦場では弓矢と鑓と長刀が主流で、太刀、刀は美しい芸術作品で、平時の護身用といっても過言ではない。 
今回、大野宮司から刀と鑓のどちらが良いかと尋ねられた時、感激のあまり何の事だか理解出来ず頭が真っ白になった・・・。 冷静さと取り戻した時、鑓とお願い致した次第。 
鑓を近日中に送って下さるとの連絡を受けた翌日、熱田神宮へ参拝し心の準備を整えた。

向後は鑓一本で戦国の世を生き抜く覚悟を持ち、神宮参拝禊会においても品位を保ち、敬神尊皇の情熱を持って、仲間達と共に粉骨砕身努力継続していく所存。
大野宮司、誠にありがとうございました。


大身鑓 一尺二寸五分余
九州・肥後 同田貫 又八 作 (戦国末期)





戦国時代末期、加藤清正公が朝鮮出征時に肥後同田貫に数多の鑓と刀を数打ちさせたので、価値無き刀剣も多く残っているが、同田貫に特別に作らせた”変わり打ち”の素晴らしい価値ある刀剣も数は少ないが現存している。

同田貫は肉厚幅広で実戦向きの質実剛健の刀で知られており、子連れ狼の拝一刀の使用する刀として一般に知れ渡った。
写真お作品は”変わり打ち”の一尺二寸五分余(約38cm)の大身鑓。


大野宮司は、加藤清正公の三番鑓を持たれている。  因みに加藤清正公は有名な片鎌鑓。
一番鑓は戦隊の先頭、二番鑓は殿(後退時の先頭)、三番鑓は馬回役(清正公の親衛隊隊長)。
この三番鑓を拝見させて戴いた時にも涙が溢れて止まらなかった。 以後、帰省の度にこの鑓を拝見させて戴いている。


大野宮司と三番鑓(肥後・同田貫)、今回拝領した大身鑓の二倍の大きさ。 
名鑓・蜻蛉切や日本号のような華美さは無いが、質実剛健で無骨な猛々しい迫力を感じる。


拝領した鑓を一日中持っていたいが、外出時に持って出ると逮捕されそうなので我慢。 
事務所に持って行くと仕事が手につかなくなるので我慢。
一日中刀身を眺めていたい・・・。  
心満たされた日であるが、また、心引き締まる日でもある。 自制心と平常心保持! 押忍!

それでは、また。 ごきげんよう。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徳川美術館

2015-05-25 | 日記
五月二十三日(土) 曇

名古屋訪問の続き。

名古屋城を後にして、徳川美術館へ移動。

現在、春期特別展「国宝・初音の調度 日本一の嫁入り道具」公開中。
徳川三代将軍・家光公の息女・千代姫が三歳で尾張徳川家二代・光友に嫁入りした時の調度品を展示。
こちらの品々は華麗で素晴らしい調度品であったが、女性の小道具故、全く興味無し。
名古屋の派手な結婚調度品のルーツは、ここから始まっているのかもしれない。

武具以外では、通常に展示してある茶道具(茶碗、茶入、茶杓等)と香道の品々に魅せられてしまった。
古田織部、小堀遠州、織田有楽斎、織田頼長、千宗旦に関わる茶道具一品一品に心奪われ、魂が時空を超えて戦国末期の世へ導かれた。  豊臣秀吉作の茶杓というものまで展示してあったが・・・。

展示品の中で一番魅せられたのは、香木・蘭奢待。 
小さな木片であったが、伝説の香木を拝観出来ただけでも恐悦至極。
尾張・徳川家の茶道は織田有楽斎(信長の弟・長益)の系統なので、織田家との縁が深い。 その縁で蘭奢待を入手出来たのかも。


来月六月十三日から七月二十六日まで、「対極の美 白と黒がおりなす世界」が企画展示予定。
織部焼の茶碗や、織部が常に懐へ入れていた師・千利休の位牌代わりの茶杓”泪”が展示される。
来月は予定が詰まっているので、七月には是非とも訪れようと思っている。










徳川美術館と徳川園。

こちらの展示品は全て撮影禁止。

展示室から展示室への途中の廊下に非常に興味深い戦国時代の歌舞伎図巻が展示されてあったので、係員の許可を得て撮影させて戴いた。 当時の文化、風俗を知るにあたり、第一級の史料である。 












一人の係員に撮影可不可を尋ねたら、その場で却下されたが、どうしても撮影したかったので、違う部屋の係員へ撮影可不可を尋ねたら、美術館の責任者へ問い合わせてくれた。 結果、展示室内ではないという事で許可が下った。 感謝合掌



図巻の各部を抜粋撮影。 以下同様。

南蛮人、支那人、朝鮮人、侍、町人等。 当時のカラフルな武具、服、装飾品が一目瞭然。















最高の美術品を拝観する事が出来、乾いていた心が満たされた。


美術館を出て、徳川園を散策。 












秋の紅葉の時期はもっと素晴らしい眺めとなるのであろう。


徳川園を後にして、物部神社へ移動。




天皇家を長きにわたり支えてきた物部氏。 蘇我氏との政権争いで・・・。


14:00頃に印度・中近東料理屋で、シシカバブ、タンドリー・チキン、チキンカレー、ナンという遅い昼食と摂る。
食後、そのまま帰宅。
久しぶりに充実した一日を過ごす事が出来た。 感謝合掌。

それでは、また。 ごきげんよう。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名古屋訪問

2015-05-24 | 日記
五月二十三日(土) 曇

昨夜、大野宮司より魂に響き渡る恐悦なる電話を戴き、夢見心地となる。
あまりの嬉しさに本日05:30に起床。 昨夜の事が頭を過ぎり、急遽、熱田神宮を参拝する事とする。

御存知の如く、熱田神宮には三種の神器の一つ”草薙の剣”が祀られている重要な神宮である。
織田信長公も桶狭間の戦いの前に熱田神宮を参拝されておられるという、古より武に関わりのある神社。
久しぶりに訪れた熱田神宮だったが、今回は特別な気持ちを持って参拝させて戴いた。



09:10 熱田神宮到着。


心が引き締まる参道。 我が弟(甥っ子?)が指先まで痺れるという”氣”を感じながら参進。



境内樹木の意志も”氣”の一部なのかもしれない。 



尾張国と三河国の献上酒。





迫力ある大楠。



当日、熱田神宮にて結婚式が執り行われていた。 いと目出度き事也。



巫女さんの後姿に見とれてしまった。



熱田神宮本殿。 当日は親日国家・台湾の方々が大勢来訪されていた。 また来てね!


熱田神宮本殿を正面より望む。  
向後、より強い自制心と平常心を保ち続けられるよう、只ひたすら祈念。  



木の枝に草が生えている。 摩訶不思議。

名古屋は我が主君である加藤清正公の出身地である。
また、名古屋城築城にあたり縄張りも張られ、石垣作りにも作事されたので、久しぶりに名古屋城を訪れる事とする。
名古屋城は華麗さと威厳と品格がある平城の石垣だが、あまり実践向きではないように思える。 平和な世にふさわしい城である。


朝鮮語表示は不要。 スペイン語に変更しなさい! (三カ国語で記載すると行政より補助金が出される)



看板を進むと入場券売り場と大手門。 10年ぶりに訪れるが、今回は一人だったのでゆっくりと拝観出来た。



大手門。  現在、さつき大会開催。 多岐にわたる部門でさつきの品評会が行われていた。(写真割愛)


大手門右手の石垣の一部に大きな石が使用されている。 
石が大きければ大きいほど城の格が上がる。



櫓の向こうに天守閣。



昔は堀に水が張ってあった記憶があるのだが・・・、空堀だったのか?



橋を渡り右手に進むと再び大きな石が目に入る。 



現在新築中の本丸御殿。 車寄(入口)が見える。






現在は本丸御殿の一部のみ拝観可能。










狩野派による襖絵。 非常に品質の高い作りに驚きを隠せない。









各部屋金箔を惜しみなく使用している。 





















とても複製とは思えない出来映えに驚愕。 暗闇における金色の魅惑なる発色効果を再認識。





















尾張・徳川家当主との謁見の間。  非常に格式高い部屋だと一見でわかる。



現在も建築中の本丸御殿を望む。(期間限定で工事現場公開中)





天守閣の存在が薄れていく。



左手の櫓から入る。


櫓を通り天守閣へ向かう。





城内に加藤清正公が掘られた井戸。

城内には魅了して止まない、太刀、刀、脇差、短刀、長刀等が展示。(写真割愛) 


天守より現在工事中の本丸御殿を望む。



天守より二の丸を望む。



天守を降りて二の丸へ進む。





二の丸へ移動中、城内一巨大な清正石が目に入る。



堀は工事中?


独特な工法がいくつか見られた。

鑓一本で肥後五十四万石当主となられた、主君・加藤清正公の偉大なる業績を充分感じられ恐悦至極。


この後、徳川美術館へ移動。 次回のブログにて公開。
それでは、また。 ごきげんよう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

B.B.King逝去

2015-05-16 | 日記
五月十五日(金) 雨曇

ブルースの大御所・B.B.キングが亡くなられた。 享年89歳。
謹んで御冥福をお祈り申し上げます。 合掌

私が18歳か19歳の時、映画「ブルース・ブラザーズ」を観て以来、ハードロックからブルースへ傾倒。
3Kingと呼ばれた"B.B.キング"、”アルバート・キング”、& ”フレーディー・キング”に嵌まり、徐々に白人系ブルースの”ジョニー・ウィンター”、”エリック・クラプトン”から”スティービー・レイ・ヴォーン”へと流れていった。
エリック・クラプトン以外は全員鬼籍へ入られている・・・。
若造の時に影響を受けた方々が亡くなられるのは本当に辛い。 

当時、米国でB.B.キングの客席100人程度の小規模な野外コンサートでターキーを飲みながら、ステージに近い席で直に歌をギター・プレイを観て、ブルースという哀愁、情念、ファンキーさを強烈に感じた。 歌で客と会話し、ギターの音色で魂を揺さぶる独特のスタイルはB.B.キング独特のものである。 以来B.B.Kingを筆頭に各種ブルースに愛着を持つようになった。
現在でも在宅時は「Tunein Radio」でロック系ブルースを流している。 シンプルだが飽きが来ない深みのある音楽だ。 

米国で同じ頃、去年亡くなられたジョニー・ウィンターのバーでのライブも観に行ったが、満席で入店出来ず。
そのまま入店出来なかった連中と店の外で、店から漏れる音楽を聴きながらビールを飲み、ライブ終了を待って出待ちしてジョニー・ウィンターと握手をしてもらった。 彼はアルピーノ(白子)で皮膚が透けるほど白く柔らかかった手を、現在でも鮮明に覚えている。
真夜中となった帰途、あまりに喜びすぎて友人のホンダ・マグナ1300で時速110マイル(180km)以上でフリー・ウェイをぶっ飛ばした・・・、怖さ知らずの若気の至り。  現在、日本国内では安全運転に撤しているので、30年近くゴールド免許!


数年前に米国テネシー州・メンフィスのブルースのライブハウスが立ち並ぶ”Beale Street”を訪れた。
メンフィスは敬愛するエルヴィス・プレスリーの生誕の地として有名だが、B.B.キングの生誕の地でもある。
活気あるビール・ストリートの一番良いコーナーに「B.B.King's Blues Club」がある。




まだ開店前の明るい時間にストリートの各店の下見をする。





夜はB.B.King's Blues Clubから1ブロック先まで道路閉鎖となる。 日暮れと共に徐々に人が集まる。 






B.B.King's Blues Clubでビールを飲りながら若手のライブを聴く。













こちらがB.B.King's Blues Clubから1ブロック先の閉鎖場所。

どの店もクオリティーの高いブルースを聴かせる店ばかり。 あまりのハイレベルに感動MAX!


メンフィスとニューオリンズを訪れて、アフリカ系米国人の歴史的背景、生活風土、食事を身体で感じて、ブルースの生い立ちが見えてきたような気がする。 いつの日かもう一度一人で、時間に縛られずにゆっくりと訪れてみたい。

Rest in Peace, Mr.King of the Blues.

それでは、また。 ごきげんよう。











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする