北面武士

至誠通天

江戸出立前

2016-07-22 | 日記

七月二十一日(木) 雨

先週、フェースブックで「みたままつり」の時期だと知り、江戸引揚げ準備の目処がついた16日(土)の午後に靖國神社へ参拝に出向いた。

参道両側には多くの提灯が掲げられてあり、英霊を思う方々のお気持ちを感じながら参進させて戴いた。 社殿近くには、いつもお世話になっている民族革新会議や、禊会仲間達の提灯がずらりと掲げられてあった。 壮観である。

当日は、境内では沖縄民謡や三味線、戦後歌謡曲等の奉納演奏が行われていた。 全体的にほのぼのした感じで、心安らぐ時間を過ごさせて戴いた。

珍しく米国人達の姿が目立ち、アジア系異人も数多訪れており、普通にまつりを楽しんでいたように思えた。

 

来年は私も提灯奉納をさせて戴きます。 横山大兄へ詳細を尋ねていたのだが、今回は自己の問題で失念しており猛反省。

山口会長と秋山大兄へ御挨拶へ伺えず、申し訳なく思っております。

それでは、また。 ごきげんよう。

 

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江戸よ、さらば!

2016-07-18 | 日記

 

七月十八日(月) 晴

先週14日に江戸にて転出届けを出し、今月27日に伊勢志摩へ拠点を移す事となった。 約30年近く本拠地としてきたので、愈々この慣れ親しんだ地を離れるとなると、惜別の情が溢れてくる。

昔あった粋な小料理屋も女将達の隠居とともに閉店され、現在では有名居酒屋チェーン店やワイン・バル、エスニック料理店となっている。 夜間深夜営業の店では支那人従業員のみも多々あり・・・。 これが情緒溢れた江戸の下町かと思うと悲しくなってくるので、今が潮時かもしれない。 

部屋の整理をしていたら、別れた嫁さんに捨てられたと思っていた古い写真が全て出てきたので驚きながらも嬉しさで満たされた。 18歳で実家を出て、その後40歳くらいまでの間、実質14年程度海外で活動していた時の写真を再び見れるとは思わなかった・・・。  現在、大量の写真を整理してアルバム帳へ差し込んでいる。 6mmパンチ・パーマが似合っていた22歳の頃、パンチが伸びきって石川五右衛門のようになっていた頃も今となっては懐かしい・・・。  機会があったら昔の支那やフィリピン等の写真を掲載出来ればと思っている。

  

この数ヶ月間に数多の出来事が発生し、精神的にも肉体的にも疲労困憊の日が続いていたが、最近になってようやく平常な生活を送る事が出来るような環境となってきた。

仕事はほとんど変わらないが、体制が大幅に変更となり、今後は勤務時間が昼間のみで、勤務時間後の完全フリーな時間も隔週となる。 時代は着々と進行しながら変化していると実感する今日この頃。 

時代の変化を機敏に感じながら、流されないように己の信念を貫き、変化に対応する為には必死の努力が必要だと心の底から思った。 常に正確な情報を入手して分析し、筋を曲げない事を前提として素早い行動を起こし、向後必要となるべき事を勉強するという当たり前だと思っていた事が、厳しい状況においては相当なる苦行だと改めて感じた。 とりあえず結果オーライという感じまでたどり着けたのでホッとしている。

 

江戸を去るにあたり、昔よく世話になった門前仲町・魚三の女将さんにも別れの挨拶を行ってきた。 その後、神田の寿司屋の板前さんへも挨拶。

この30年間にお世話になった方々は数知れず。 しかし、ほとんどの方々が鬼籍に入られたり、隠居して他の土地へ移られたりして門前仲町には住在されていない・・・。 

我一族が愛して止まない銀座7丁目ライオン。 現在でも昔の仲間達との集まりはこの店から始まる。

江戸の住民としての最終日は、思い出深きライオンにて叔母と共に亡き叔父貴を偲びながらビールを一献。

 

20年近く前に一度小火が起きたが、この懐かしき内装は全く変わらない。 心を落ち着かせて美味しいビールを味わい、楽しく酔っ払う事が出来る空間だ。 目をつぶると昔一緒にここで飲んだ祖母、親父、叔母達、叔父貴達が瞼に浮かんでくる・・・。 お盆だから娑婆に戻ってきたいるのかもしれない・・・。

 

週末の定番であり、これを食べる為にライオンへ行くと言っても過言ではないローストビーフ。    15:30 と 19:30に焼き上がるので、入店のタイミングが大事だ。

ライオンで満腹感とほろ酔いに浸りながら門前仲町へ戻り、昭和の雰囲気をそのまま残す辰巳新道のカラオケ・スナックにて一献。 スナックのマスターとママに無沙汰の謝りとお別れの挨拶。 心ゆくまで飲んで酔って帰宅。 

充実した江戸最後の日を満喫する事が出来た。 感謝合掌

しかし、大好きだった25年以上続いていた近所のフィリピン・パブはなくなっていた・・・。 一番ショックだったかも・・・。

 

向後も厳しい前途が待っているので、一心不乱に精進していく所存故、諸先輩方々やお友達の皆様の変わらない御支援を賜りたく、よろしゅうお頼申します。

それでは、また。 ごきげんよう。

 

 

 

 

 

 

 

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蒸し暑い梅雨

2016-07-05 | 日記

七月五日(火) 晴

 仕事の業務完了引き継ぎと、再びの仕事の業務開始準備で連日バタバタしているうちに七月となった。 訳がわからぬうちに時間が経過しており、江戸から仕事仲間達が来て今後の業務体制打合せや必要備品の買い出し等を行い、夜はいつものようにスーパー・マニアックな話題で盛り上がりお互いの変態度を競い合うような一献会の日々が続いた。  

本業の連中のマニア(変態)度は、夜空の如く幅広く、闇夜の如く深く黒い・・・。  仙台のお坊さん・Sさん程ではないかも・・・。

本業における過去の実績や仲間達の支援のおかげで、江戸まで面接へ行く必要もなく、電話とメールだけの応答で、なし崩しに業務移行となったので何か落ち着かない感じだ。 多分、これにて個人的な問題はクリアしたと思われるので、当面は新システムに対応すべく真面目に勉強する必要がある。 

今後は有意義な不規則勤務がなくなり、通常の昼間の勤務となるので活動時間が制限されてしまう。 残念!

 

先日、蜷川先生と犬塚先生より貴重な本を御恵送戴いたが、夜は酔っ払ってばかりいるので拝読出来ずに申し訳なく思っております。

やっと蜷川先生の「暗雲・層雲・青雲」に記載された、私がガキの頃憧れていた”馬賊”の話を拝読し、久しぶりに血湧き肉躍る感覚が戻ってきた。 日本人で馬賊の頭領となった小日向白朗氏や、白虎張こと張作霖の軍事顧問だった伊達順之助氏の名前を聞くだけで、男のロマンを駆り立てる血が騒いでくる。 私が海外を目指そうとした一番の基本かもしれない。

犬塚先生より御恵送戴いた本とコピーは未だ拝読しておりませんが、現在世界的問題となっている国内外の宗教問題に関する記事が満載。 こちらも素面の時に集中して拝読させて戴く所存であります。  

宗教で助けられた人と死んだ人の数はどちらが多いのか? 世界史を調べると一目瞭然。  

一神教の原理主義者から見れば、他宗教の者は人ではなく殲滅すべき悪魔。 先日バングラディッシュで起きたテロの犯人達のように、他宗教者とわかれば、羊の首を切るのと同じ感覚で人間の首を切り刎ねる。 怖いですね。 戦国時代の武士も敵方の首を刎ねておりましたが、丸腰の一般人は対象外でした。

世界中何処でも危険なので、注意はしていても襲撃犯が襲ってきたらどうしようもない。 海外で稼働する日本人は、全員その覚悟を持って現地で従事していると思われるので、今回ダッカにて亡くなられた方々に敬意を持って哀悼を捧げます。 

3年前のアルジェリアでも同じテロ事件が起きた。 以後、日本の国際的情報収集能力は向上したのか? 

海外赴任中に貯蓄しか考えてない外務省の役人は現地の商社から情報を貰い、商社は現地の末端で稼働している日本人から情報を貰うという形式から抜け出したと思っていたのだが・・・。  その末端で稼働している日本人が犠牲となっているではないか!

現在の商社マンはリゲインを飲みながら24時間戦えない連中ばかりで、命がけで現地の末端まで行く若者も激減している。 国家として現地に足を運んで情報収集する必要があるのだが人材不足なのであろうか、誠に残念である。 外務省に対して怒りしか湧いてこない! 

今回も支離滅裂な内容を書き殴ってしまった。

私は唯々、国家安寧と世界平和のみを祈念しております。

それでは、また。 ごきげんよう。 

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