十月十三日(土) 曇
長らく御無沙汰致しております。 最近やっと激務から解き放たれました。
来週は久しぶりに江戸へ上がり、野村秋介先生の群青忌へ参列出来る状況となりました。
御無沙汰致しております方々と久しぶりにお会い出来る事を楽しみにしております。 押忍!
今日は十数年ぶりに「志摩スペイン村」へ行ってきた。
全盛期と比べたらスペイン人達(私の隣の棟に居住)の数も1/3~1/4くらいに減少しているが、それなりの緩い場内の雰囲気が、スペインの田舎っぽい感じとなっていて、それなりの雰囲気を醸し出している。(スペインには未だ行った事ないけど・・・)
夏休みはそれなりに多数の観光客が来場していたが、そろそろシーズン・オフとなるので客も減少している。
それにしても駐車場代が¥1200といのは、ちょいと高過ぎるのではないか?
駐車場から入場口へ歩いている途中、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像が立っている姿を見て、何故か懐かしさを感じてしまった。
入場して直ぐにカルメン・ホール(フラメンコ)にてチケットを購入。 今回一番の目的はこのフラメンコ鑑賞。
昔は本格的にギタリスト(Guitarra)や歌い手(Cante)が5人くらいいたが、今はカラオケとなっていて、踊り手(Baile)が女性3名、男性3名でのショーとなっていた。
一人の女性Baileが上手かったのでそれなにに楽しめたが、昔のような情念溢れる迫力ある踊りを懐かしく思う。
サングリアを飲みながらフラメンコを観ていたので、終了後に腹が減ってきた。 いつくかあるスペイン料理店の一つに入り、ベタなスペイン料理を注文する。
食後は園内をぶらつきながらジェット・コースターに乗ったりして、のんびりした時間を過ごす。 客が少ないのでほぼ貸し切り状態。
私の好きだった海賊のアトラクションがなくなっており、代わりにボートで池の周りを一周する子供向けのアトラクションとなっていた・・・。
ドン・キホーテとサンチョ・パンサが入場前広場にてお出迎え。
入場口を入るとお土産ショップが並ぶアーケード。 スペインのお菓子や食料品などを中心に土産物が並べられている。
アーケードを抜けるとプラザ(広場)。 バブルの頃に作られたので今でもしっかりしている。
一日二回のショー(25分)。 ¥500は安いんじゃないの?
勉強と予習を兼ねて久しぶりにフラメンコを観にきた。左から4番目の写真のアントニオ・サンチェスさんがH尾さんに似ている・・・。
イスラム文化、ローマ・カトリック文化、インド系(ジプシー、現在ではロマと呼ばれている)文化の混ざった深い歴史溢れる熱い情念のダンスを期待していたが、
昔のように本格的にギタリスト(Guitarra)、歌い手(Cante)、踊り手(Baile)が並んでなく、経費節減の為カラオケを使用し、女性3名と男性3名のコンビネーションでショーを行っていた。 サングリアを飲みながら、フラメンコをベースにしたショーを満喫した。
月1で街中のバーでフラメンコ・ショーを行えば良いのに、実にもったいない。 夜、葡萄酒を飲りながら本格派のフラメンコを楽しみたいものだ。
ショーが終わって、少し早めの昼食とする。 何軒かあるスペイン料理店の一軒に入り、ベタなスペイン料理を注文。
タコ、トルティーヤ、豚パテはさみパン、鶏肉煮、パン、???
トルティーヤ(スペイン風オムレツ)。 イモが入っている。
エビとイカのアヒージョ。 オリーブオイルでなかったのが残念。
豚肉のパエリア。 個人的にパエリアを注文するくらいなら、町の中華料理屋の油ギトギトの炒飯を選ぶ。
昼頃からパレードが始まるらしい。
遠方が賑やかだ。 パレード開始のようだ。
先頭集団が見えてきた。 一瞬、米米クラブのジェームス小野田かと思った。
コンデジはシャッターを押して0.1秒くらい遅くシャッターが切れるので、タイミングを合わせるのが難しい。
一眼レフの対応性は抜群だが、大きさと重さを考えるとコンデジを使ってしまう今日この頃。
欧州は大きな人形が祭りで使用される。 ドリフのジャンボ・マックスは好きだったが、欧州の人形は可愛くない。
スペインと言えばキリスト教(カトリック)、キリスト教と言えば葡萄酒。 葡萄の収穫祭のようだ。
スペインのリオハ・ワインは美味い。でも高価だ。
私は、今は無き銀座の”ラ・シエスタ”でいつも飲んでいたトーレスを飲んでいる。 小さな牛のフィギアが付いた庶民の葡萄酒だ。
これは牛追い祭りを題材にしているようだ。
牛と言えば闘牛。 マタドールの衣装を着たH尾さん。
何度観てもH尾さんそっくりだ。 この二人はフラメンコ・ショーで切れのある踊りを披露していた。
牛の一輪車で突っ込まれると痛いだろうな。
南米コロンビアにいた頃は、シーズン中はよく闘牛場へ足を運んだ。
各自葡萄酒の革袋に葡萄酒をベースにウィスキーやラム、テキーラ等を混ぜだ特製カクテルを持って行き、闘牛を観ながら酔っ払って、帰りに地元の連中達とピザを食していた日を思い出す。
スペインと言ったらやはりフラメンコ! 明るい太陽の下で踊るようなものでもないが、何とも華やかだ。
良いね!
後ろの山車が"進撃の巨人"のように見える・・・。 何を考えてあんなデカいフィギアを作るんだろうか?
ポーズが決まっているが、ちょいと遠い。
志村けんの”変なおじさん”を踊っているのではありません。でも似ている。
彼もフラメンコ・ダンサーの一人だ。
陽気なラテンの血だな。
観客に踊りを教えて一緒に踊る。 意外と難しいかも。
最近はだいぶ涼しくなってきたが、7月から8月の夏休みのピーク時は暑かっただろう。
近所なのでコンビニとかでしょっちゅう会うが、衣装、化粧、髪型が違うので全く別人に見える。
パレードの後、ジェット・コースターに乗る。 いい年こいて乗るやつはいないらしい。
私が好きだった海賊船のアトラクション乗り場。 今では幽霊船にしか見えない。
スペイン王国が”日の沈まない国”と呼ばれていた、大航海時代の先駆者・コロンブスの塔が立っている。
バルセロナに60mくらいのコロンブスの塔がある。 縮小版の完璧なコピーだ。
塔の天辺に立つコロンブス。
この後、ハビエル城までエスカレーターを利用して移動。
ハビエル城内に設置したあるドン・キホーテとサンチョ・パンサ像。 この横にドン・キホーテの冒険の解説が表示されている。
ドン・キホーテは知っていたが、冒険の内容は知らなかったので勉強になった。
ハビエル城屋上から湾を望む。 村田憲彦の家は見えないか?
誰もが知っているフランシスコ・ザビエルは、ハビエル城で生誕し育った貴族のボンボンである。
ガキの頃、歴史の教科書に落書きした人も大勢いたでしょう。 私もその一人である。
スペイン村のハビエル城は、プチ・スペインの歴史博物館となっており、おおまかなスペインの歴史を知る事が出来る。
マドリッドのプラド美術館も案内している。 エル・グレコ、ゴヤ、ベラスケス等の作品の説明もある。
超有名なピカソの”ゲルニカ”、これはソフィア王妃芸術センターで展示されている。 本物はとても大きいようだ。
ベラスケスの”ラス・メニーナス”(女官たち)。 ベラスケスが自分自身も描いているし、奥の鏡にフィリッペ4世が描かれている。
これは私の好きな絵のひとつでもある。 モナ・リザは3度拝観したが何とも思わなかったが、この絵は観たことないけど初めから魅了された。 早く本物を観たい。
ゴヤの”1808年5月3日”。 ナポレオン支配に対して乱を起こしたマドリッド市民をフランス軍が銃殺するシーン。
ゴヤにしろ、ピカソにしろ、激動の時代を生き抜いてきた絵描きの憤りが感じられる。
ゴヤの”カルロス4世の家族”。 これは絵の一部のみ描かれているが、実物はファミリー全員が描かれている。
当時のバレンシアの生活を描き出されている。
復元さえたバレンシアの台所。 深い歴史が詰まっている。
スペインで発掘された壁画のレプリカ。 素晴らしい絵心がある方が描いたんだろうな。
スペインが世界一になった大航海時代。 日本は戦国時代へ突入。
大航海時代を開いた有名人達。 日本が支那・亜細亜各国のみとの接点があった歴史だった時に、日本史と世界史が一緒になった時代。
戦国時代、キリスト教の影響が恐ろしいほど浸透していた事を一般の方々は知らない。 徳川幕府により完全破棄された事が奇跡と思える。
コロンブス率いるサンタ・マリア号における組織図。 海軍と全権大使が一体化されているような完璧なシステム。
サンタ・マリア号の模型。
日本の安土・桃山時代に織田信長公の支援を受け(日本には無い鉄砲の火薬に必要な硝石を入手する為)、共に隆盛を極めたキリスト教の本家本元スペイン王国(その先にはバチカンがいるが)との交流を、もっと重要視して歴史を研究すれば、何か裏で繋がっている真実を知る事が出来るのではないだろうか。
九州の大友、大村、有馬や織田信長公の娘婿・蒲生氏鄕、日本のキリスト教徒のゴッドファーザー・高山右近、黒田官兵衛、小西行長や、スペインと裏で交渉していた伊達政宗や松平忠輝等、世間には隠している多くの戦国大名がキリシタンだったので、当時のキリシタン人口は相当なはず。 特に細川ガラシャを筆頭に、大名の正室や側室のキリシタンの多い事に吃驚仰天。
キリスト教禁止令を出した豊臣秀吉の茶道頭だった千利休もサント・ルカと呼ばれいたとかいないとか・・・。 聖路加病院もサント・ルカ。
茶道における濃茶の回し飲みもキリスト教会における葡萄酒の回し飲みのような感じだし、狭い茶室は懺悔室のような狭さだし・・・。
いろいろ勘ぐる事が多々ある。
織田信長公暗殺事件にも関わっている可能性も否定出来ない。 当時、織田信長公はキリスト教のイエスを否定し、自分自身が神となる事とした。
この事実はキリスト教を敵に回し、朝廷をも敵に回した。 わし自身は朝廷派としての立場をとるが、実行力を考慮すればキリスト教関係者の可能性が大である。
正に日本史だけ研究していても真実は掴めない。 世界の動きの一部として日本の歴史を研究すべき一番の歴史がスペインにある(ポルトガルは既にスペインに併合)。
真実が明確になるのもスキッとして気持ちが良いが、わからないままでいる事も楽しみとして研究を継続出来るので、それはそれで楽しみでもある。
結局、生涯現役、生涯研究を切磋琢磨しながら、歴史を楽しみながら追求していく事がライフ・ワークと言えるのかもしれない。
でも死ぬまでには真実を知る事を知りたいと思う。 煩悩かな?
それでは、また。 ごきげんよう。