北面武士

至誠通天

オスマン帝国外伝

2018-10-28 | 日記

 

十月二十八日(日) 晴

先日、十月二十五日(木)に皇大神宮別宮・伊雑宮において「調献式」(神嘗祭)が執り行われたが、当方は平日で仕事の為参列出来ず・・・。

事前に南幸生氏宅へ挨拶に訪れ、残念ながら参列不可との旨をお伝えした。  

調献式当日、伸ちゃんが伊雑宮からのお下がりの品々をわざわざ事務所まで持ってきてくれた。  誠にかたじけない!

 

先週は帰宅後、長らく録画溜めしていたBS「オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム」を集中して観た。

内容は題名の如き後宮(ハレム)における女達のネチネチした闘い(日本の大奥)がメインだが、私は昔からオスマン・トルコ帝国に興味を持っており、

長らくイスラム世界の視点から描いた歴史ドラマやドキュメントを観たいと思っていたので、即はまってしまった。

キリスト教・神聖ローマ帝国(ヨーロッパ全域)とイスラム教・オスマントルコ帝国が熾烈な戦争を行っていた時代だが、オスマントルコ帝国の文明、技術力がキリスト教国家を凌駕していた事はあまり知られていない。  

キリスト教関連国が制作した映画で描き出されているイスラム教徒は非常な野蛮人ではなく、どちらかというと当時のヨーロッパ諸国の方が野蛮人に近いのではないだろうか。

このドラマでは、オスマントルコ帝国時代の衣装・装飾品、生活様式や軍事力を知る事ができ、世界的に共通する女同士の陰険な闘いや後宮のシステムを知る事が出来、ドップリとのめり込んでしまった。 

イスラム教の祈りでスルタン(帝王)が”アーミン”と言っていたのに驚いた。 キリスト教の”アーメン”と同じかと思われるが、通常イスラム教徒は”アッラー・アクバル”とか”アル・ハンド・レッラー”、”インシャ・アッラー”くらいしか聞いた事がなかったので、とても新鮮に感じた。

元々、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も出所は同じなので兄弟同士なのだが、何故か全て一神教で別々の神を信じている・・・。

とりあえずドラマではハンガリーのブタを陥落して、次に地中海の要所ロードス島を陥落したところだ。 早く続きが観たい!

 

同じくBSで長らく放送している「クイーン・メアリー2・愛と欲望の王宮」にもはまり続けている。

前回のシリーズではメアリー・スチュワートの嫁ぎ先だったフランス王室を舞台に話が展開していたのだが、今回のシリーズでは故郷のスコットランド女王として、イングランドのエリザエス女王との闘いを舞台としている。  王侯貴族達の宮廷文化と欲深さを明確に表現している興味深いドラマである。

最終的にメアリー女王はエリザベス女王に殺されてしまうのだが、息子のジェームスがスコットランド王に即位し、その後イングランドと連合国を作り、その子孫が大英帝国の王として君臨している。   ちょうど大航海時代の頃の話で、スペイン王国がヨーロッパで最強だった時代である。

戦国時代真っ盛りの頃、欲にまみれたカトリック教国のスペイン・ポルトガルが日本へ布教・侵略に来ている頃で、この後、スペインの不沈艦隊がプロテスタント教国のイングランド艦隊に敗れ、イギリス・オランダが日本へ来訪するようになった。  

織田右府公、豊臣関白公、徳川内府公達はカトリック教国の真意を知っていたので、徐々にカトリック教徒追放を行い、ビジネスのみに特化したイギリス・オランダを優遇するようになった。  日本史と世界史が交わり始めたエキサイティングな時代だ。

イギリス人の三浦按針(ウィリアム・アダムス)と、オランダ人の八重洲(ヤン・ヨースチン)が徳川内府公の家来になったのは万人の知るところだ。

 

別件で「今日から俺は!!」というちょいと緩いテレビ番組が面白い。 爆笑ではないのだが、クスクスっとした笑いを与えてくれる阿呆っぽさが良い。

お暇がある方は是非観て下さい。

それでは、また。 ごきげんよう。 

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野村秋介追悼二十五年 群青忌

2018-10-21 | 日記

十月二十日(土) 晴雨曇

本日は早朝より江戸へ向けて移動。  一昨年の11月以来の江戸上京となる。

昼過ぎに江戸へ到着し、大学2年生の甥と合流。 久しぶりに神田の行きつけの寿司屋でお茶を飲んで寿司を食す。 

2年ぶりに食す江戸の寿司は美味かった! 酒が無くとも美味かった。 

「平成三十年度 野村秋介追悼二十五年 群青忌」の受付時間の16:00まで時間がるので、まずは靖国神社参拝へ。

秋季例大祭という事もあり、境内の舞台では数々の奉納演奏等が行われており、大勢の参拝者で賑わっていた。

参拝後、社務所裏の茶室あたりを散策して遊就館の方へ向かっていると、奉職されている楠林さんとバッタリ遭遇し、長らくの御無沙汰をお詫びする。

少々物々しい雰囲気を感じたので尋ねてみたら、どなたか来賓の方が御来訪なされるとの事。

邪魔をしないように来賓の方をお待ちしていると、黒塗りの車両が滑るように近づいてきた。

社務所前に停車したセンチュリーから、やんごとなきお方がお出ましになられた。

社務所へ入られる気品に満ちた後ろ姿。 以下、ワード検察でヒットされぬよう写真のみを掲載。

 

 

約20分程でお帰りになられた。

この後、少々時間が早いが群青忌会場まで九段下ー飯田橋ー牛込神楽坂まで地下鉄を乗り継いで移動。

 

 

牛込神楽坂駅改札を出たら、群青忌実行委員会スタッフの方が立っておられた。 お疲れ様です。

駅を出たら直ぐ右手が牛込箪笥区民ホールで、入口前に「群青忌」の看板が立てられていた。 

入口を入ったら志村さんがいらっしゃったので御挨拶して、近所にタリーズ・コーヒーがあるとの事で、そちらへ行って受付時間まで待機。 

会場入口。 実行委員会の方々が準備されたパネル、パンフ、看板や荷物の運搬、会場設営を含む諸々の仕事量を思うと、自然と頭が下がる。 激務御苦労様でした!

 

タリーズ店内に入ると、席は満席だったが、奥にあった予備テーブルらしきものと椅子を使用し、紅茶とレーズンバター・クッキーを注文。

店内を見渡すと、約1/3の客が群青忌参列者のようだ。  その後、徐々に1/2程度に増員。

受付時間が近づいてきたので会場へ移動。 受付にて蜷川先生と御挨拶を行い、その後今回初めてお会いする函館の嶋田さんと御挨拶。

もっとゆっくりと話を伺いたかったのだが、お互い参列者の方々との挨拶で忙しくて時間がとれなかった。 次回お会い出来る日を楽しみにしております。

待合所で犬塚先生御一行(神宮参拝禊会参加者の方々)と挨拶と雑談を行った後、会場の席へ移動。

会場を見渡すと、後藤会長、FBお友達にして戴いている姫路の竹垣会長、清水健太郎さん、作家の山平さんらが参列されていた。

会場は満員となり、定刻より式典が開催された。

 

式次第

1.読経

2.開会の辞  隠岐 康 氏

3.追悼二十五年特別映像上映 「野村秋介の軌跡」

4.追悼御挨拶

5.朗読 大熊雄次 氏 「天の怒りか地の声か」

6.追悼映像上映 「群青」

7.閉会の辞  藤巻 強 氏

司会進行: 本多 菊雄 氏 

 

定刻となり、読経が始まる。 凛として澄み切った般若心経が会場内に響きわたる。

 

隠岐康氏による開会の辞。

 

隠岐氏による開会の辞の後、追悼二十五年特別映像上演 「野村秋介の軌跡」が上演された。

臨場感溢れる音声を拝聴しながら、野村先生の生き様死に様が雷のように自分自身に突き刺さり、暫し呼吸も出来ず。

怠惰な生活を過ごしている自分自身を心から恥じる・・・。

 

映像上演の後、来賓の方々による追悼の挨拶が行われた。

 

大原康男名誉教授による御挨拶。  

 

阿形充規会長による御挨拶。

 

野村先生との思い出を語られる阿形会長。

 

犬塚博英先生による御挨拶。

 

民族革新会議 議長、八千矛社 代表、神宮参拝禊会 顧問として、多岐にわたり活動を継続されている。

尊皇絶対 生命奉還 神州恢復 朝敵撃滅

中村武彦先生の意思を継がれ、敬神尊皇の揺るぎない心を持っておられる犬塚先生。 いつもお気にかけて戴きありがとうございます。

 

野村先生を偲び、御挨拶なされる犬塚先生。

 

群青の会 大熊雄次氏による朗読 「天の怒りか地の声か」。

 

 

大熊氏の野村先生を思う熱き心と共に、魂から発せられる声が自分の心に響きわたる。 素晴らしい朗読に感激す。 感謝合掌

朗読の後は、追悼映像上映 「群青」が上映される。

神風特攻隊の映像と野村先生の語りを拝聴していたら落涙止まず。

 

上映が終わり閉会の辞となる。

 

藤巻強氏による閉会の辞。

 

群青忌実行委員会の方々。 お疲れ様でした! 押忍!

 

 

 

 

 

 

 

蜷川先生による御挨拶。 

私は蜷川先生のブログ「白雲去来」を楽しみに拝読させて戴いているが、食に対する気持ちと好みが非常に近いので勝手に親近感を抱かせて戴いている。

特にカツオに関しては、私も肉の次に好きな食べ物で、ほぼ毎日食しているし、中農ソースもガキの頃から好きだった。 音楽の趣味も全く同じ・・・。

歴史に関しても清朝末期の激動期に興味があるので、今年は「黄砂の籠城」を教えて戴き、貸し出されていたDVD「北京の55日」を嶋田さんから私へと送付して戴いた。

来年は横浜を訪れて、蜷川先生から野村先生のエピソードを拝聴したく思っております。 70年代のロックやザ・ゴールデン・カップスの話を肴に一献同席させて戴ければ幸甚です。

群青忌閉会後は直会。 國の子評論社の横山さん、小島さん達と一緒に徒歩10分の直会会場へ移動。

今回は久しぶりに小島さんとも会えたし、古澤さんのボクシング繋がりで、フクイのカレーで有名な福井さんと富山の中川さんと初めてお会いする事が出来た。

野村先生のお導きで、このように同じ心を持つ方々とお会いする事ができ、心より幸せと感じた日でもあった。

我が甥、若干20歳でこれだけ多くの本物の漢達が集う群青忌と直会に参加して、その場の雰囲気を感じるだけでも、大学で学ぶよりもっと人生の勉強になる事だろう。

これより以下、直会における近隣者の方々の写真のみ掲載。(掲載に不都合な方もおられるかもしれないので、知り合いの方のみ) 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに昌子ママにお会いした。 ちょいと無理を言って席に座って戴き写真を一枚。  お元気そうでなによりです。

旧知の方々と話しをしていたら、嶋田さんとお話をする暇もなく直会終了となる。 時間が経つのが早くて吃驚! 

嶋田さんとは是非一度ゆっくりと一献楽しみながらお話をしたく思っておりますので、その節はよろしくお願い申し上げます。

今回は蜷川先生をはじめ、群青忌関係者の方々に心より感謝申し上げます。

 

直会終了後、我がテリトリー(門前仲町、有楽町、八重洲、神田)の神田へ移動し、もう一人の甥も合流して3人でイタリア系ワイン・バーにて一献。

鼻水たらしたくそガキだった甥2名が、江戸で一緒に葡萄酒を飲む年齢になったのが不思議で仕方ない。 オイラも年をとったって事か? 

7種のチーズ盛り合わせ。

 

豚肉のコーンビーフ、テリーヌ、生ハム、オリーブ、サラミ、パン、ピリ辛ハム、赤タマネギ、パンに塗る何か美味かったペースト。

あと牛肉を頼んだが撮影を忘れる。 赤葡萄酒を胃に流し込みながら気持ち良く酔う。

精神的に充実した一日だった。

日が変わった頃に甥達と別れ宿へ戻る。 大爆睡!

それでは、また。 ごきげんよう。

 

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久しぶりのパルケ・エスパーニャ

2018-10-15 | 日記

十月十三日(土) 曇

長らく御無沙汰致しております。 最近やっと激務から解き放たれました。

来週は久しぶりに江戸へ上がり、野村秋介先生の群青忌へ参列出来る状況となりました。 

御無沙汰致しております方々と久しぶりにお会い出来る事を楽しみにしております。 押忍!

 

今日は十数年ぶりに「志摩スペイン村」へ行ってきた。

全盛期と比べたらスペイン人達(私の隣の棟に居住)の数も1/3~1/4くらいに減少しているが、それなりの緩い場内の雰囲気が、スペインの田舎っぽい感じとなっていて、それなりの雰囲気を醸し出している。(スペインには未だ行った事ないけど・・・)

夏休みはそれなりに多数の観光客が来場していたが、そろそろシーズン・オフとなるので客も減少している。 

それにしても駐車場代が¥1200といのは、ちょいと高過ぎるのではないか?

駐車場から入場口へ歩いている途中、ドン・キホーテとサンチョ・パンサの像が立っている姿を見て、何故か懐かしさを感じてしまった。

入場して直ぐにカルメン・ホール(フラメンコ)にてチケットを購入。 今回一番の目的はこのフラメンコ鑑賞。

昔は本格的にギタリスト(Guitarra)や歌い手(Cante)が5人くらいいたが、今はカラオケとなっていて、踊り手(Baile)が女性3名、男性3名でのショーとなっていた。

一人の女性Baileが上手かったのでそれなにに楽しめたが、昔のような情念溢れる迫力ある踊りを懐かしく思う。

サングリアを飲みながらフラメンコを観ていたので、終了後に腹が減ってきた。 いつくかあるスペイン料理店の一つに入り、ベタなスペイン料理を注文する。

食後は園内をぶらつきながらジェット・コースターに乗ったりして、のんびりした時間を過ごす。 客が少ないのでほぼ貸し切り状態。

私の好きだった海賊のアトラクションがなくなっており、代わりにボートで池の周りを一周する子供向けのアトラクションとなっていた・・・。

 

ドン・キホーテとサンチョ・パンサが入場前広場にてお出迎え。

 

入場口を入るとお土産ショップが並ぶアーケード。  スペインのお菓子や食料品などを中心に土産物が並べられている。

 

アーケードを抜けるとプラザ(広場)。   バブルの頃に作られたので今でもしっかりしている。

 

一日二回のショー(25分)。 ¥500は安いんじゃないの?

勉強と予習を兼ねて久しぶりにフラメンコを観にきた。左から4番目の写真のアントニオ・サンチェスさんがH尾さんに似ている・・・。

イスラム文化、ローマ・カトリック文化、インド系(ジプシー、現在ではロマと呼ばれている)文化の混ざった深い歴史溢れる熱い情念のダンスを期待していたが、

昔のように本格的にギタリスト(Guitarra)、歌い手(Cante)、踊り手(Baile)が並んでなく、経費節減の為カラオケを使用し、女性3名と男性3名のコンビネーションでショーを行っていた。  サングリアを飲みながら、フラメンコをベースにしたショーを満喫した。

月1で街中のバーでフラメンコ・ショーを行えば良いのに、実にもったいない。 夜、葡萄酒を飲りながら本格派のフラメンコを楽しみたいものだ。

ショーが終わって、少し早めの昼食とする。 何軒かあるスペイン料理店の一軒に入り、ベタなスペイン料理を注文。 

タコ、トルティーヤ、豚パテはさみパン、鶏肉煮、パン、???

 

トルティーヤ(スペイン風オムレツ)。 イモが入っている。

 

エビとイカのアヒージョ。  オリーブオイルでなかったのが残念。

 

豚肉のパエリア。  個人的にパエリアを注文するくらいなら、町の中華料理屋の油ギトギトの炒飯を選ぶ。

 

昼頃からパレードが始まるらしい。

 

遠方が賑やかだ。 パレード開始のようだ。

 

先頭集団が見えてきた。 一瞬、米米クラブのジェームス小野田かと思った。

 

コンデジはシャッターを押して0.1秒くらい遅くシャッターが切れるので、タイミングを合わせるのが難しい。

一眼レフの対応性は抜群だが、大きさと重さを考えるとコンデジを使ってしまう今日この頃。

 

 

欧州は大きな人形が祭りで使用される。  ドリフのジャンボ・マックスは好きだったが、欧州の人形は可愛くない。

 

スペインと言えばキリスト教(カトリック)、キリスト教と言えば葡萄酒。 葡萄の収穫祭のようだ。

 

スペインのリオハ・ワインは美味い。でも高価だ。

私は、今は無き銀座の”ラ・シエスタ”でいつも飲んでいたトーレスを飲んでいる。 小さな牛のフィギアが付いた庶民の葡萄酒だ。

 

これは牛追い祭りを題材にしているようだ。

 

牛と言えば闘牛。 マタドールの衣装を着たH尾さん。

 

何度観てもH尾さんそっくりだ。  この二人はフラメンコ・ショーで切れのある踊りを披露していた。

 

牛の一輪車で突っ込まれると痛いだろうな。

 

南米コロンビアにいた頃は、シーズン中はよく闘牛場へ足を運んだ。 

各自葡萄酒の革袋に葡萄酒をベースにウィスキーやラム、テキーラ等を混ぜだ特製カクテルを持って行き、闘牛を観ながら酔っ払って、帰りに地元の連中達とピザを食していた日を思い出す。

 

スペインと言ったらやはりフラメンコ! 明るい太陽の下で踊るようなものでもないが、何とも華やかだ。

良いね!

 

後ろの山車が"進撃の巨人"のように見える・・・。 何を考えてあんなデカいフィギアを作るんだろうか?

 

ポーズが決まっているが、ちょいと遠い。

 

志村けんの”変なおじさん”を踊っているのではありません。でも似ている。 

彼もフラメンコ・ダンサーの一人だ。

 

 

陽気なラテンの血だな。

 

観客に踊りを教えて一緒に踊る。  意外と難しいかも。 

 

最近はだいぶ涼しくなってきたが、7月から8月の夏休みのピーク時は暑かっただろう。

 

近所なのでコンビニとかでしょっちゅう会うが、衣装、化粧、髪型が違うので全く別人に見える。

 

 

 

 

 

 

パレードの後、ジェット・コースターに乗る。  いい年こいて乗るやつはいないらしい。

 

私が好きだった海賊船のアトラクション乗り場。 今では幽霊船にしか見えない。

 

スペイン王国が”日の沈まない国”と呼ばれていた、大航海時代の先駆者・コロンブスの塔が立っている。

バルセロナに60mくらいのコロンブスの塔がある。 縮小版の完璧なコピーだ。

 

塔の天辺に立つコロンブス。

この後、ハビエル城までエスカレーターを利用して移動。

 

ハビエル城内に設置したあるドン・キホーテとサンチョ・パンサ像。 この横にドン・キホーテの冒険の解説が表示されている。

ドン・キホーテは知っていたが、冒険の内容は知らなかったので勉強になった。 

 

ハビエル城屋上から湾を望む。 村田憲彦の家は見えないか? 

 

誰もが知っているフランシスコ・ザビエルは、ハビエル城で生誕し育った貴族のボンボンである。

ガキの頃、歴史の教科書に落書きした人も大勢いたでしょう。 私もその一人である。

スペイン村のハビエル城は、プチ・スペインの歴史博物館となっており、おおまかなスペインの歴史を知る事が出来る。

マドリッドのプラド美術館も案内している。 エル・グレコ、ゴヤ、ベラスケス等の作品の説明もある。

 

超有名なピカソの”ゲルニカ”、これはソフィア王妃芸術センターで展示されている。  本物はとても大きいようだ。

 

ベラスケスの”ラス・メニーナス”(女官たち)。 ベラスケスが自分自身も描いているし、奥の鏡にフィリッペ4世が描かれている。

これは私の好きな絵のひとつでもある。  モナ・リザは3度拝観したが何とも思わなかったが、この絵は観たことないけど初めから魅了された。 早く本物を観たい。

 

ゴヤの”1808年5月3日”。 ナポレオン支配に対して乱を起こしたマドリッド市民をフランス軍が銃殺するシーン。

ゴヤにしろ、ピカソにしろ、激動の時代を生き抜いてきた絵描きの憤りが感じられる。

 

ゴヤの”カルロス4世の家族”。 これは絵の一部のみ描かれているが、実物はファミリー全員が描かれている。

 

当時のバレンシアの生活を描き出されている。 

 

復元さえたバレンシアの台所。 深い歴史が詰まっている。

 

スペインで発掘された壁画のレプリカ。 素晴らしい絵心がある方が描いたんだろうな。 

スペインが世界一になった大航海時代。 日本は戦国時代へ突入。

 

大航海時代を開いた有名人達。  日本が支那・亜細亜各国のみとの接点があった歴史だった時に、日本史と世界史が一緒になった時代。

戦国時代、キリスト教の影響が恐ろしいほど浸透していた事を一般の方々は知らない。 徳川幕府により完全破棄された事が奇跡と思える。

 

コロンブス率いるサンタ・マリア号における組織図。 海軍と全権大使が一体化されているような完璧なシステム。

 

サンタ・マリア号の模型。 

日本の安土・桃山時代に織田信長公の支援を受け(日本には無い鉄砲の火薬に必要な硝石を入手する為)、共に隆盛を極めたキリスト教の本家本元スペイン王国(その先にはバチカンがいるが)との交流を、もっと重要視して歴史を研究すれば、何か裏で繋がっている真実を知る事が出来るのではないだろうか。

九州の大友、大村、有馬や織田信長公の娘婿・蒲生氏鄕、日本のキリスト教徒のゴッドファーザー・高山右近、黒田官兵衛、小西行長や、スペインと裏で交渉していた伊達政宗や松平忠輝等、世間には隠している多くの戦国大名がキリシタンだったので、当時のキリシタン人口は相当なはず。  特に細川ガラシャを筆頭に、大名の正室や側室のキリシタンの多い事に吃驚仰天。

キリスト教禁止令を出した豊臣秀吉の茶道頭だった千利休もサント・ルカと呼ばれいたとかいないとか・・・。 聖路加病院もサント・ルカ。

茶道における濃茶の回し飲みもキリスト教会における葡萄酒の回し飲みのような感じだし、狭い茶室は懺悔室のような狭さだし・・・。

いろいろ勘ぐる事が多々ある。  

織田信長公暗殺事件にも関わっている可能性も否定出来ない。 当時、織田信長公はキリスト教のイエスを否定し、自分自身が神となる事とした。

この事実はキリスト教を敵に回し、朝廷をも敵に回した。 わし自身は朝廷派としての立場をとるが、実行力を考慮すればキリスト教関係者の可能性が大である。

正に日本史だけ研究していても真実は掴めない。 世界の動きの一部として日本の歴史を研究すべき一番の歴史がスペインにある(ポルトガルは既にスペインに併合)。

真実が明確になるのもスキッとして気持ちが良いが、わからないままでいる事も楽しみとして研究を継続出来るので、それはそれで楽しみでもある。

結局、生涯現役、生涯研究を切磋琢磨しながら、歴史を楽しみながら追求していく事がライフ・ワークと言えるのかもしれない。

でも死ぬまでには真実を知る事を知りたいと思う。 煩悩かな?

それでは、また。 ごきげんよう。

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