北面武士

至誠通天

平成30年 御礼参り

2018-12-31 | 日記

平成三十年十二月三十一日(月) 晴

本日は大晦日という事で、皇大神宮内宮にて御礼参りを行う。  

天気は晴天なれど風冷たし! しかし、ヒートテック1.5倍を着用しているので大丈夫。 

例年の如く神宮近辺は交通規制が行われており、駐車場は満杯で近辺では軽い交通渋滞が発生していたが、私は御高配を給わりフリーパスで通過。 感謝合掌

内宮へ到着すると、大晦日ということもあり大勢の参拝者が訪れていた。 おはらい町もおかげ横町も人で溢れていた。 

内宮御正宮にて、砂上の楼閣の如き平和と安寧ではあるが、本年も平穏無事に一年を過ごせた事に感謝。

明年は益々世界情勢が激変するかと思われるが、日本国家がその波に飲み込まれぬよう、段階的に強かな真の独立国家として再興する事を祈念。

 

皇大神宮内宮 宇治橋前鳥居にて。 

 

宇治橋より国旗を望む。

 

内宮参道より日本国旗を望む。  美しい!

 

今夜のどんど焼き用の薪。 デカい!

 

神宮御料酒・白鷹。 飲みたい!

 

三重県産清酒。 寿司と熱い酒が欲しくなってきた。

 

五十鈴川の御手水場手前にて。  祭儀用の薪が準備されている。

 

五十鈴川御手水場。 川の水が冷たい。

 

御正宮へ続く参道。  明日は参道に大勢の参拝者の列ができる。

 

御正宮前にて。 

 

参拝者が次々と絶え間なく訪れる。

 

 

遠方より御正宮を拝観。

 

荒祭宮にて。

 

式年遷宮後あたりから、御正宮参拝を終えた方々の多くが荒祭宮へと移動していく。

こちらで個人的な願いを祈念する。

 

御酒殿(みさかどの)左と、由貴御倉(ゆきのみくら)右。

御酒殿は、お酒の神様である御酒殿神を祀り、神宮で最も重要とされる三節祭(神嘗祭と六月・十二月の月次祭)にお供えする白酒(しろき)、黒酒(くろき)醴酒(れいしゅ)、清酒が納められる。  今年も美味しく酒を楽しめた事を、心より感謝致し候。 

由貴御倉は内宮の所管社で、古くは御饌祭のお供えものや果物などを納めておく倉だった。

 

宇治橋より五十鈴川下流を望む。  禊場が見える。 明年の神宮参拝禊会は、3月9日(土)~3月10日(日)開催予定。

この後、移動途中に板橋食堂にてカキフライ定食を食してから、缶コーヒーを1箱購入して皇大神宮別宮・伊雑宮へ御礼参りへ向かう。

鳥居に近づいた時に、伊雑宮奉賛会副会長・南幸生氏とバッタリと出会い、本年最後の御挨拶を行う。

13:00から伊雑宮奉賛会会員の方々がテント設営を行うとの事で、村田憲彦も参上。

近江宮司と古碕衛士へ挨拶した後、道の駅へ行き田畑豊和君親子や知人の方々へ挨拶。

 

伊雑宮奉賛会副会長・南幸生氏。  本年も多大なる御支援を給わり、心より感謝致しております。  

幸生さんには大変な年になられましたが、先月で投薬治療も完了し、体調も以前通りに戻られたとの事なので一安心。

しかし、タバコを止められたので体重が10kg増加されたそうだ。 

本年もいろいろな方々と親交を深める事ができ、また新たな方々との出会いがあり、充実した一年を過ごす事ができ感謝致しております。

明年もまた、変わらぬお付き合いの程よろしくお願い申し上げます。

良いお年をお迎え下さい。

 

いよいよ平成の御代から新たな御代へと禅譲なされます。 この歴史に残る御譲位と御即位が恙なく執り行われる事を祈念致しております。  

それでは、また。 ごきげんよう。

 

 

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師走の終わり頃

2018-12-29 | 日記

十二月二十九日(土) 晴

昨日から急に寒くなり、やっと冬のような気候となってきた。

昨日で仕事納めとなり、気分も正月モードへ突入。 諸々の雑用を済ませて、静かに正月を待つ日々を過ごす予定。 

ダラダラと無為な時間を費やすという贅沢を満喫したい。 出来るかな?って感じだが・・・。

 

日本国軍の哨戒機P-1に対し、南朝鮮軍駆逐艦から火器管制レーダーが照射された問題で、日本国政府と軍が証拠映像を公開した。

連日、南朝鮮側から一貫性のないその場しのぎのようなコメントが述べられいるが、何と見苦しい対応なのかと呆れている。

あの国は恥ずかしげも無く国際法をないがしろにして、全世界に対して見え見えの嘘を発しており、このままだと泥沼に嵌まっていくのは必然。

恥を知れ!と言っても、きっと恥という言葉がないのだろう。  あんなにペラペラと嘘をつける国は世界でも珍しい。 

日本を敵視した徴用工裁判も含め、売春婦問題等の過去に既に清算された問題を蒸し返しているので、これ以上日本に対して無礼な態度をとり続けるのであれば、こちらもそれなりの制裁を行う必要があるだろう。  

これまで日本は、日米同盟のからみで南朝鮮を甘やかしてきたが、現在完全に支那と北朝鮮の手先と化した文政権に対しては、これまでにない毅然とした制裁を行うべきだ。 

制裁方法は記さなくとも、日本国民全員がわかっているはず、と言うか願っているはずだ。  日本の国益の為、即時実施すべきである。

一人で腹を立てても何の影響力もないのだが、日本国政府も同じ思いで実力行使してくれる事を祈念している。

 

腹が立っても腹が減る。  武士は食わねど高楊枝と言われているが、これは高貴なる男のやせ我慢を表した言葉ではなかろうか。

私は精神的なやせ我慢なら行う自信があるが、肉体的やせ我慢は出来ないヘタレだ。  腹が減っては戦は出来ぬ。と、勝手に良い方へ解釈。

基本的に朝食を食す習慣がないので、11:00頃には腹が減ってくる・・・。

休日の昼食は店の開店時間と共に入店し、ほぼ一番客となってしまう。  そして顔を覚えられてしまう・・・。

 

先日、久しぶりに東山物産にてウナギを食した。 

食べログで三重県で一番になってから、他県からも大勢の客が来店するようになり、11:00に行っても30分待ちだ。

大好物の肝焼きは常に売り切れ状態・・・。 安くて美味し!  磯部の中六も良いが、私は東山物産へ行く回数が多い。 2:8の割合かな?

 

最近は徒歩5分で行ける「味館」という居酒屋へ時々訪れる。  何故か? それは、イノシシを食す事が出来るからだ。

大将は地元でイノシシ撃ちを行っており、撃ったイノシシや、罠で捕獲したイノシシの美味い部位を特別に提供してくれる。

イノシシのみならず、大好物の塩カツオや、肉類の味がやみつきになる。

一人用ふぐ刺し。 撮影する前に食してしまった・・・。 堪え性の無さに自分で吃驚。 犬以下か? お座り! 待て! お手!

ふぐには熱い日本酒が合う。

 

酢牡蠣。 やはり牡蠣は生が一番!  

牡蠣には熱い日本酒 or キンキンに冷やした辛口の白葡萄酒だ。 牡蠣の甘みと旨味が口の中に広がる。

 

地タコ刺身。 少量の塩とオリーブオイルがタコの旨味を引き出してくれる。 柔らかくて濃厚な味が口の中に広がる。

熱い日本酒との相性が抜群だ。

 

サイコロ・ステーキ。  言葉は要らない。 気がつけば皿の上には何も残ってない。

 

牡蠣とほうれん草のグラタン。  熱々の出来たてをフゥフゥ冷ましながら食す。 熱い!というか熱すぎる! 少し冷めてから食しなさい、って事か?

チーズの塩分と牡蠣のコンビネーションが旨味を引き立てる。

 

メニューに記されてないイノシシ・リブ。  今シーズンもイノシシ・リブを食す事が出来、恐悦至極。

イノシシ臭さが全くなく、予想以上の柔らかさと肉の旨味で、腹と心が満たされる。

激務の日々を耐えてきた甲斐があった。

 

今回、初めて注文した合鴨ステーキ。

鴨肉もいと美味し! 生ビールが残り僅かとなった頃、大将が赤葡萄酒を一杯プレゼントしてくれた。 感謝合掌

別途、パンを注文する。 これがまた美味い!  満足、満足。

平穏無事な日々と共に、美味しビール、日本酒、葡萄酒と、美味い食事を楽しみ、気持ち良く酔えた事を幸せに思う。 感謝合掌

それでは、また。 ごきげんよう。 

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平成30年 天長節

2018-12-24 | 日記

平成三十年十二月二十三日(日) 曇

奉祝 天長節

起床後に洗顔を終え、身支度を調えてから、皇居へ向かい拝礼。

 

江戸の弟(甥?)二人から、現在皇居にて一般参賀の為に待機中との連絡あり。 

日本を将来を担う若者達が、日本人の心の支柱として鎮座なされる皇尊の下へ、奉祝の為に参上したとは誠に重畳。

二人とも神宮参拝禊会に参加しており、下の弟は前の野村秋介先生の追悼二十五年式典にも参列している。

今後とも勉強を怠らず、いろいろな経験・体験を積んで精進し続けて欲しい。  

 

昼のニュースにて、天皇陛下のお言葉を拝聴。

国民の平和と安寧を毎日祈って下さる陛下の、仁と徳に溢れた大御心が心の奥まで染み渡り、知らぬ間に正座したまま号泣していた。

あまりのかたじけなさに、自然と頭が垂れた。

 

天皇陛下のお言葉

この1年を振り返るとき,例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨,地震,そして台風などによって多くの人の命が落とされ,また,それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り,また,後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが,自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに,被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。

ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは,昭和34年,昭和天皇の名代として,伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。

今年も暮れようとしており,来年春の私の譲位の日も近づいてきています。

私は即位以来,日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い,今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで,引き続きその在り方を求めながら,日々の務めを行っていきたいと思います。

第二次世界大戦後の国際社会は,東西の冷戦構造の下にありましたが,平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ,冷戦は終焉えんを迎え,これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。しかしその後の世界の動きは,必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し,また,テロにより多くの犠牲者が生まれ,さらには,多数の難民が苦難の日々を送っていることに,心が痛みます。

以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え,昭和27年,18歳の時に成年式,次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し,日本は国際社会への復帰を遂げ,次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年,英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し,その前後,半年余りにわたり諸外国を訪問しました。それから65年の歳月が流れ,国民皆の努力によって,我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め,平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が,昭和43年に小笠原諸島の復帰が,そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は,先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め,私は皇后と共に11回訪問を重ね,その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは,これからも変わることはありません。

そうした中で平成の時代に入り,戦後50年,60年,70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ,また,我が国の戦後の平和と繁栄が,このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず,戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに,心から安堵どしています。

そして,戦後60年にサイパン島を,戦後70年にパラオのペリリュー島を,更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。

次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火,平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり,平成7年の阪神・淡路大震災,平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり,多くの人命が失われ,数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ,その中で,人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ,防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また,災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には,いつも心を打たれています。

障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも,私どもの大切な務めと思い,過ごしてきました。障害者のスポーツは,ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが,それを越えて,障害者自身がスポーツを楽しみ,さらに,それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め,国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を,皆が楽しんでいることを感慨深く思います。

今年,我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間,多くの日本人は,赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね,その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら,各国を訪れた際には,できる限り会う機会を持ってきました。そして近年,多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も,将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら,それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ,各国から我が国に来て仕事をする人々を,社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また,外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め,各国との親善友好関係が進むことを願っています。

明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は,常に私と歩みを共にし,私の考えを理解し,私の立場と務めを支えてきてくれました。また,昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし,愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば,私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく,現在の皇后と出会い,深い信頼の下,同伴を求め,爾来じらいこの伴侶と共に,これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今,私はこれまで,象徴としての私の立場を受け入れ,私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに,自らも国民の一人であった皇后が,私の人生の旅に加わり,60年という長い年月,皇室と国民の双方への献身を,真心を持って果たしてきたことを,心から労ねぎらいたく思います。

そして,来年春に私は譲位し,新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において,天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており,皇室の伝統を引き継ぎながら,日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。

今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。

皇尊弥栄!

 

昼食後に南さんの事務所を訪れたが、義理事で不在との事。 とりあえず年末年始の神宮前通行許可証を置いて失礼する。

帰宅後、黙々と年賀状作成を行い、気がついたら17:00過ぎとなっていた・・・。

入浴後、一人で水炊きを食しながらビールを胃に流し込んで、ネットで世界各国のニュースをチェック。 

その後、BSで放映中のロシア歴史時代劇 エカテリーナの録画を2本観てから就寝。

それでは、また。 ごきげんよう。

 

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ちょいと釜山へ

2018-12-22 | 日記

十二月十日(月) 晴

久しぶりの出張で韓国・釜山へ出立。 午後のフライトなので、日常生活の時間帯にてのんびりと空港まで移動。

これまでソウルや忠清南道の田舎町へは17年前に業務で何度も訪れていて、トータルで3~4ヶ月は滞在していた。

ちょうど冬のソナタがブームになった頃だ。 サッカー日韓ワールドカップが開催された頃でもり、江戸の新大久保も活気で溢れていた。

その後、個人的に友人や親類と共に、ソウルに焼肉を食しに何度も訪れているが、これまでに釜山へは一度も行った事がなかった。

昼過ぎ頃にセントレアへ到着して、矢場とんにて生ビールと鉄板みそカツ定食を食す。 

食事中、昨夜トンカツを食した事を思い出した・・・。 まあ、美味いから良いか・・・と思いつつ、少しだけ反省す。

 

今回の釜山は業務で行くので観光地とかは巡れないが、食事だけは楽しむ事ができるので、それを楽しみに出張ってきた。

ピーナッツ娘で有名になった大韓航空機は今回初搭乗となるが、2時間程度のフライトでは着席とともに寝てしまうので、飲み物も機内食も何が出たのかわからない。

前回のアシアナ航空機に搭乗した時も同じで、着陸のショックで目覚めるというパターンだ。 フライト時間は1時間20分。

釜山の空港へ到着して、18:00頃にタクシーに乗ってホテルまで移動したが、ちょうどラッシュアワーに引っかかり全く進まない。

結局ホテルに到着したのが19:20頃で、飛行機に乗っている時間と変わらなかった・・・。 何てこった・・・。

海雲台の近くのホテルへ到着後、腹が減ったので一人で近所を散策しながらレストランを探す。

釜山は港町だけあって海産物のレストランが乱立しているが、私はいつも海産物を食しているので全く興味がない。 肉、肉、肉だ!

15分程徘徊して、やっとサムギョプサルのある店を探し出した! やったぜベイビー! と、心の中で叫んだ。

 

店の扉を開けて、カルビある?って聞いたら、なんとサムギョプサル専門店だった。 あまりの嬉しさにヘラヘラ笑ってしまい、店員さんがちょっと引いていた・・・。

席について注文すると、数種類のキムチが出てくる。 

 

まずはともかくビールだ! いきなり大瓶が出てきて大喜び。 

長時間水分を補給していなかったので、コップで2杯目まで一気。 カスビールはあまり好きではないのだが、乾いた喉にガンガン染みこんで美味かった。

 

出た~! サムギョプサルと化す前の豚肉。 2人前・・・。

 

店のお姉さんが丁寧に焼いてくれる。  早く焼いてくれよ~、待てね~よ~。と、心の中で叫ぶ。

 

サムギョプサルはカリカリにして食すのが美味い。 葉っぱに巻いて、味噌やネギやキムチを入れて、青唐辛子と共に食す。

青唐辛子は時折ししとうみたいなのがあるが、一番辛いチョンヤン・コチュというのを注文。 超辛いがサムギョプサルとの相性は抜群だ。

孤独のグルメの五郎ちゃんの如く、一人で黙々とニコニコ笑いながらサムギョプサルとビールを食しながら飲み続ける。 美味いぜ!

端から見たら気持ち悪い光景かもしれないが、久しぶりの韓国料理をビール5本とともに満喫した。 一人焼肉上等!

満腹となり幸せの絶頂を感じながら、ほろ酔い状態でホテルへ戻る。 途中コンビニに寄って、ビールとミックスナッツを購入。

 

シャワーを浴びて旅の汚れを落とし、ホテルからの夜景を見ながらビールを飲む。

テレビを観ていたら韓国の懐メロ特集をやっていたので、歴史研究家の視点で酔っ払いながら観ていた。

時折、戦前戦中の歌が歌われていたが、全く日本と変わらないような演歌だった。 戦後から少しメロディーが変わってきた。

”歌は世につれ世は歌につれ"という演歌の花道のフレーズが思い浮かんできた。

突然、明日は仕事という事を思い出したので、仕方なく就寝。  オンドルが効いていて部屋が暑いので、少し窓を開けて寝る。(オンドルの調整がハングルで記されているので使い方がわからない)。

 

十二月十一日(火) 曇

09:00 ホテルのフロントにタクシーを呼んでもらって、釜山の局舎まで移動。

地元の局長や所員達と挨拶をして研修開始し、16:00頃に研修は滞りなく終了。

これで今回のノルマは100%達成、めでたし、めでたし。 業務報告完了!

 

ビルのトイレに貼ってあった注意事項。 こういう事をするやつがいるから注意するのか? ジョークなのか? シナなら確実にいるのだが・・・。

 

釜山のスタッフと共に昼食を楽しむ。 クッパを食したが、この店は餅米を釜飯のように調理していた。

夕刻となり皆に挨拶をしてホテルへ戻る。

17:30にホテルへ戻ったら、ホテルのロビーで昔の仲間2人と遭遇。 なんと、忠清南道から車で7時間かけて釜山まで会いにきてくれた!

L氏は私とタメ年で、17年前の局舎立ち上げ前から共に稼働してきた親友だ。 彼等の熱い心に感動し、涙腺が緩んできた・・・。 

タメ年という事もあり、お互い切磋琢磨しながらいつも競い合っていた。 当時の仕事、酒、食事、遊び、と全てにおいて全力で向き合っていた頃を思い出す。

私も海外では日本代表として恥ずかしくない所作と、喧嘩に負けない気力体力を持って、現地スタッフと共に行動を共にしてきたので、彼らは文句を言わずについてきてくれた。

10年前にソウルへ行った時も、彼等5人が車で3時間半かけて会いにきてくれて一献楽しんだ。 そして当日深夜に帰っていった。

昔の思い出が走馬灯のように頭に浮かんでくる。

何はともあれ、今夜は宴だ! 大破轟沈を覚悟して18:00出撃。  

 

17年前は誰もマッコリを飲む人がおらず、眞露の25%ばかり飲んでいて、私がマッコリを注文すると店の人が外に買いに行っていた。

最近はマッコリがブームのようで、生マッコリ(賞味期限2週間弱)750ml が出回っていた。 微炭酸でスッキリと飲みやすい危険なドリンクだ。

この日、私とL氏の二人で20本以上飲んだ。(20本まで覚えているが、あとはわからない)

 

釜山という事で、有名な海鮮鍋(チゲ)を食す。 このデカさで中サイズだ。

 

海鮮鍋が食べ頃となる。

 

同時に海鮮チム(辛味噌炒め)も注文。 もやしの中にカニが入ってる。

 

奥さん達と共に遠路はるばる来てくれた友人J氏(左)と、タメ年の親友L氏(右)。

昔はよくL氏の家に招待されて、飲んだくれて彼の家に泊めてもらっていた。 奥さんにもだいぶ迷惑をかけた。

海鮮を食べていると何故か肉を食べたくなり、全員で焼肉屋へ転戦。

タクシーに無理矢理5人乗り込み、焼肉屋まで移動。 日本じゃ絶対無理だ。

 

韓国に来て焼肉を食さねば意味が無い! デジカルビ(豚肉)とカルビ(牛肉)を注文。

昔は女性店員を呼ぶ時にアジュマと呼んでいたが、現在ではイモと呼ぶらしい。 彼等と話をしていたら、少しずつ韓国語を思い出してきた。

 

肉は美味い! さほど腹が減ってなくとも美味い! これも葉っぱに包んで味噌つけて、チョンヤン・コチュと共に食す。

イモ~! チョンヤン・コチュ チョセヨ~!  マッコリ チョセヨ~! マッシゾヨ~! チョワヨ~!

昔の話で盛り上がり、私の道路交通法違反に関する事や、ハチャメチャだった悪い夜遊びの話がでてきた時は懐かしいやら恥ずかしいやらで、3人で大笑い。

忘れていた事が徐々に思い出されてきて、話が尽きなかった。 若気の至りは70歳までO.K.!

 

韓国では安価なデジカルビが一般的に食される。  牛肉は高価なので特別な日しか食さないとの事。

昔はよくドラム缶をテーブルにした店で、みんな(当時は6名+私)でデジカルビを食していた。 ちょいと甘めだが、柔らかくて味がにじみ出てくる。

この10年の動向や昔話を肴にマッコリがガンガン空になっていき、益々心地良い酔いが深まっていく。

食後にカラオケに行き、クレージーケンバンドがカバーしていた韓国の歌”無条件”を全員で歌い楽しむ。 歌詞がハングルだったので困った。

昔はハングルを読めるようになった(ローマ字と同じ組み合わせ)が、読めるだけで意味がわからなかった・・・。 

小一時間くらい飲んで歌って疲れた頃に、J氏夫婦は酔いが回って先にホテルへ帰還。

残った3人でホテルの近所までタクシーで戻り、ウナギ・チム(ウナギの辛味噌炒め)を出している屋台風店舗で再び一献。

 

付きだしがキムチではなく、変な虫や変な貝が出てきた。 酔っ払っているので変な虫をバリバリ食すが、味がよくわからない・・・。 ゴキブリか?

ここでもマッコリをガブガブ飲んだ。

 

ウナギの辛味噌炒めが美味かった。 酔っていても美味いと感じたので、しらふだともっと美味いかも。

暴飲暴食と共に尽きぬ話で盛り上がり、結局ホテルへ戻ったのが翌01:30。 大破轟沈状態でシャワーを浴びて爆睡。

 

十二月十三日(水) 晴

08:00起床。 典型的な二日酔いだが、身体に鞭打って洗顔を済ませて荷造りを行う。 まだマッコリが胃に残ったような感じだが、不思議と気持ち悪くない。

09:00にL氏とロビーで待ち合わせて挨拶し、再会を約束した後、タクシーで空港まで移動。 道が混んでなかったので20分程度で到着。

酔い冷ましに空港内のレストランでソルロンタン(二日酔いに良いスープ)を食す。 

空港で手続きを済ませ、二階の人が少ないスペースのテーブルに座ってPCを開けてメール確認。 

この2日間でいろいろな事が起きていたので吃驚。

昼前の便で帰国し、自宅へ到着したのが夕刻。 風呂で大汗をかいてニンニク臭を絞り出した後、だいちゃんにて安着を祝う。

体重も1kg増加しており、明日から再び地獄の日々が始まる・・・。

それでは、また。 ごきげんよう。

 

 

 

 

 

 

 

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スペインから帰国

2018-12-22 | 旅行

十二月一日(土)~ 十二月二日(日) 晴

楽しい時間はあっという間に過ぎていき、もう帰国の日となってしまった。

06:00に起床し洗顔を済ませ、最終荷造りを行う。

07:00にタクシーにてホテルからバルセロナのエル・プラット空港まで移動。 土曜日という事もあり、渋滞なしで快適なスピードとともに、役30分ほどで空港へ到着した。

空港へ思ったより早く到着したので時間を持て余してしまい、一服を兼ねてスペイン最後の食事を食す。

スペインではバーガー・キングが多くの店舗を展開しており、空港でも1店舗見かけた。(早朝だというのに結構客が入っていた) 

朝からハンバーガーはキツいので、軽いイタンリアンの店へ入り、ペンネにミートソースをかけて食す。 相方はピザを一切れ。

お天道様に申し訳ないと心でつぶやきながら、ビールを1本注文。

 

欧州の飲食店は洒落てるな~、と常々感じる。 

 

ビールと好物のペンネのミートソースを食す。  見た目より量があり満腹となる。

 

相方のカフェ・コン・レチェ(カフェオレ)とマルゲリータ。

 

チェックイン・カウンター。  何時の間にこんな場所で撮ったんだ?

 

厳しい手荷物検査を済ませ、出発ゲートへ進む。 一番端のゲートだったので遠かった。 

この写真も何時撮ったんだ?

 

10:15 バルセロナ発-15:10 ヘルシンキ着のフライトに乗り込む。

 

管制塔が見える。

 

アディオス! エスパーニャ。  マドリッドの王宮だけが悔やまれたが、これも仕方なき事と言い聞かせながら帰国の途につく。

 

モンブランあたりの山々の上空からの一葉。

 

ヘルシンキ空港にて焼きたてのソーセージとパンを食す。 

これが滅茶苦茶美味かったので、あと1個食すかどうか迷ったが、これ以上の体重増加は危険と察知し却下。 ビールとの相性が抜群!

 

相方が注文したソーセージ。  出来たての熱々なのが良い。

 

17:15 ヘルシンキ空港発 - 09:50 (+1日) 名古屋着のフライトに乗り込む。

機内でインド映画を観たが面白くなかった。 踊るマハラジャのようなミュージカル風のインド音楽が好きなので、陰気くさい内容に心も沈む。

次に観たのが、L.A.の有名なマフィア、ミッキー・コーエンと彼を追い詰める刑事が主演の映画で、期待以上に面白かった。 

ミッキー・コーエン役のショーン・ペン(元マドンナの旦那)が年齢を重ねて良い味を出していたので、これからの活躍を期待したい。

その後はニンテンドーDS2に没頭し、ゲームをしながら寝たり起きたりを繰り返しながら到着までの時間を過ごす。

 

機内食、ビーフだったかな? 美味しくないので一口のみ食し、パンにバターを塗って赤葡萄酒で胃に流し込む。

昨夜マドリッドで購入したチョコレートをデザートに食し、なんとなく胃袋を満たす。

 

朝食? 寝ていたので見てない、もしくは覚えていない。 機内に立ち飲みバーでもあれば、数時間楽しく過ごせるのに・・・、とつくづく思う。

あ~、腰が痛い! あ~、身体と心がイライラする。

 

新潟上空より富士山を望む。 到着までの1~2時間がやけに長く感じる。 腰が痛い。

その後、無事にセントレアへ到着。 ノーチェックで通関を通り、イモトのWiFiを返却してから帰途につく。

昼過ぎだったので、途中でうなぎを食すべく店へ寄ったが駐車場が満杯だったのでスルー。

そのまま伊勢まで下り、伊勢警察署隣の麺屋やまとにてラーメンを食す。

 

伊勢 麺屋やまとのピリ辛ネギチャーシュー。  豚骨スープで超細麺。 私のお気に入りの一品だ。

帰宅後、荷物を広げ整理を行ってから洗濯。 洗濯が終わるまで、録りためたテレビ番組を観ながらゴロゴロと無為な時間を過ごす。

夕刻にひとっ風呂浴びてから、一人安着を祝う。

 

 

「だいちゃん」にて、旬の真珠貝の貝柱をつまみがら生ビールを楽しむ。 ビールが胃に流し込まれた瞬間、今回も無事生還出来た事を実感。 感謝合掌

この時点でハレからケへと戻ったと実感。  明日から一週間分の大量のメールと、仕事の内容確認という地獄の日々が始まる・・・。

今回の旅行のブログ写真の8割以上は、相方が撮影したものです。

私が撮影しないような空港内、機内食、駅構内、各店舗や視点の違う写真等を撮影してくれるので、自分であまり撮影しなくなった。 

一眼レフ撮影よりもiPhone撮影がメインになってきたような気がする。

それでは、また。 ごきげんよう。

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