北面武士

至誠通天

熊本を体感

2016-10-12 | 日記

十月九日(日) 晴

昨夜の大雨とは打って変わり、青天白日の清々しい朝を迎えた。 

のんびりとした朝を過ごし、義弟、妹、弟と共に熊本県護国神社へ参拝に出向く。 熊本城内を走り抜ける時に崩れた石垣、櫓、塀等が目に入り心が痛む。 

隣接する藤崎台球場にて高校野球の試合が開催されており、護国神社は敷地内駐車場を提供。

倒れた狛犬が痛々しい・・・。

 

被災後に寄付金を送られた方々。  皇學館からも寄付されております。

英霊に感謝し、熊本の安寧を祈念。

この後、熊本で有名なラーメン屋「大黒」にて昼食を摂る。

いきつけの「大将軍」は日曜日が定休日なので、本日は有名な「大黒」にてラーメンセットを食す。   店に到着したら10人待ち、食後に列を見たら15人待ち。  他県ナンバー車が駐車場にずらり・・・。

典型的な熊本ラーメンの味であり、ホルモンの味も良し。  いと美味し! 満足、満足。

これより加藤神社参拝へ向かう。

主君・肥後守様を参拝。

 

加藤神社境内から望む熊本城・・・。   痛々しい姿に落涙止まず・・・。   

熊本県民の誇りであり、精神の支柱である熊本城の惨状を見て、喜びながら写真撮影していた観光客を一瞬手討ちにしようと思ったが、神域という事もあり自制した。  せめて堀の下へ投げ落とせばよかった・・・。

支那・朝鮮人かと思ったら日本人だった。 腹ただしい事この上ない。  

加藤神社境内の石垣も斯様な姿となっている・・・。

下の写真が観音様が掘られていた石。

神仏習合、本地垂迹の時代を感じさせます。  

 

コンクリート造りではなく、当時の木材で造られた宇土櫓は無傷でダメージを受けていない。 この石垣も見かけはダメージを感じない美しい姿を残している。

 

加藤神社から二の丸公園へ移動。 石垣が崩れている・・・。   未だに熊本城本丸は立ち入り禁止。

 

二の丸を散策中、居合の練習をしていたグループがいた。  巧い方、そうでもない方、楽しく拝見させて戴きました。

 

 

 

 

 

最後の方は、奇麗な拍子で流れるように巻藁を切断されていた。   眼福つかまつりました。  これも大野宮司のお導きかも。

 

その後、昔は馬場で昭和時代は市民プール、現在は土産屋が集まった「城彩苑」へ足を伸ばす。   

ちょうどイベントが開催されており、ハワイアン・ショーや花魁道中が始まる前であった。

提灯が並ぶ日本的風景をバックにフラダンスを踊るハワイの人。  優雅な踊りに引き込まれる。

ハワイに行きたい。  只でさえ頭がボーっとしているのに、益々頭がボーっとなるハワイのビーチで、何も考えず3日間過ごしたい。 楽園とはハワイの事也。

 

クレージーケンバンド系のヘタウマな絵が描かれたコップが良い。   イイ~ねっ!

 

美しい花魁に一目惚れ!  平成の高尾太夫か?  写真撮りまくり~!

 

 

二組の花魁が、鎬を削って道中艶やかバトルを開始する前。 禿はおかっぱ頭にしなさい! 新造の髪型も違うだろ!  亡六は適役だ。

 

右側の花魁グループ。  あまり好みでない方の写真は少ししか撮らない傾向にある。 亡八若過ぎ。

花魁道中を見たかったが、皆帰りたがっていたので後ろ髪をひかれる思いで帰宅する。 

震災後、奇跡的に画面右手の石垣一列だけで支えられて倒壊しなかった飯田櫓。   

加藤清正公の一の子分・飯田覚兵衛殿が死守する、熊本城の守りの要である。  修理が進んでいるようでなによりだが、油断大敵。

 

ブラックモンブラン。  ガキの頃よく食ってて、あたりが出るともう一本。 懐かしい味がした・・・。

 

帰宅後、ひとっ風呂あびて支那料理を食べに行く。  いつも行く店が2軒とも予約でいっぱいという事で、妹の知っている店へ行く。

熊本ホテルキャッスルで四川料理の達人・陳建一の下で修行したシェフの四川風やみつき鶏が抜群に美味かった。

 

北京ダックも及第点。 甜麺醤が良い味を出していた。   些か紹興酒を飲み過ぎたようだ。

満腹となったが、この後再びラーメン「よしとも」で塩スペアリブを食しながら生ビールを一杯。 〆にラーメン。

熊本最後の夜を満腹状態で終える。   一族皆元気に過ごしているようで安心した。 お世話になりました!

感謝合掌

それでは、また。 ごきげんよう。

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