大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

私本東海道五十三次道中記~藤沢宿から茅ヶ崎(其の四)

2012年11月01日 10時08分20秒 | 私本東海道五十三次道中記
車の往来が賑やかな国道一号線に沿って茅ヶ崎へと進んで行きましょう。羽鳥交番前信号を過ぎるとまもなく本日の歩行距離3.5㌔地点です。

この地点を過ぎてすぐのところに旧東海道の13番目の一里塚跡が現れますが、その姿はなく標柱だけが立っています。この一里塚辺りから街道の風情を色濃く感じさせてくれる「松並木」が適当な間隔をおいて姿を現します。

13番目の一里塚跡

江戸時代からの松並木ではなく後世に植えられたものでしょう。見事な枝振りとはいかないまでも、単調な国道一号線に彩りを添える松並木です。

街道の松並木

そんな松並木を見ながら進んで行くと、右手に二ツ家稲荷神社の境内が現れます。近くの信号表示は「二ツ谷」となっているのですが、この稲荷社の名前は「谷」が「家」になっています。
由緒書きによると江戸時代に大山詣で帰りの道者や信者たちが宝泉寺へ詣り、さらに江ノ島・鎌倉方面へ向う途中の休憩所(立場茶屋)として二軒茶店があったことからといわれています。又、「二ツ家」が本来の地名であったとも伝えられています。

ここ二ツ谷信号を左へと進んで行くとわずかな距離でJR辻堂駅です。私たちの次の駅である茅ヶ崎へと先を急ぐことにします。二ツ谷を後に2つ目の信号が「大山街道入口」と記されています。大山へは行く筋もの道が付けられていたものと思われますが、大山街道入口と正式に名付けられた信号を見るのは初めてです。そんな信号脇に「奉巡礼西国坂東秩父」と刻まれた石標がぽつんと置かれています。

石標面には読みづらいのですがこんな歌が刻まれています。「あふり山わけ入る道にしおり置くつゆの言の葉しるべともなれ」
「大山」は別名、「阿夫利(あふり)山」又は「雨降(あふ)り山」ともいい、農耕民にとっては大山および阿夫利神社は雨乞いの神として信仰を集めていました。

そんな信仰の山への巡礼者にその道筋を示す小枝をおき、その方向を指し示したといいます。言葉ではその方向を教えることができませんが、この小枝を辿れば大山に行き着くことでしょう。というような歌の意味だと思います。

こんな道標が置かれているところから、藤沢市にお別れしていよいよ茅ヶ崎市へと入ります。そして国道一号にそって再び松並木が始まります。

街道の松並木

このあたりから再び街道らしさに花を添えるように松並木がつづきます。
この先、赤松町交差点を過ぎると日本橋から55㌔の標識が現れ、松並木もいったん途切れてしまいます。

東小和田交差点を過ぎると、次に茅ヶ崎の古刹「上正寺」が山門を構える上正寺前交差点にさしかかります。それでは上正寺の境内へ進むことにいたしましょう。

上正寺山門

親鸞聖人の立像が山門脇に立ち私たちを迎えてくれます。趣のある山門をくぐると比較的広い境内の奥にご本堂が構えています。山門をくぐりすぐ左手に大きな石灯籠が置かれています。この石灯籠は幕末の上野彰義隊戦争や関東大震災、戦災で被害を受けた寛永寺さんの再建復興寄付のお礼として当寺に寄贈されたものだそうです。境内にはこの種の石灯籠が8基置かれています。

上正寺ご本堂

それでは上正寺を辞して旧東海道の旅をつづけてまいります。道を進むと次に小和田交差点そして小桜町交差点を過ぎるとまもなく日本橋から56㌔の標識が現れます。

小和田池袋交差点・松林小学校入口交差点、菱沼歩道橋の下を過ぎていくと、道の両側に再び松並木が続くようになります。松並木が途切れてしばらく進んでいくと松林中学校入口交差点があります。
松林中学校入口交差点を直進して茅ヶ崎市本村二丁目歩道橋を過ぎていくと、また松並木が続くようになります。時折現れる松並木は街道歩きに妙な安らぎを感じさせてくれます。

すでにこの辺りで本日の歩行距離は5.5㌔を越えています。「日本橋から57km」の標識を過ぎて茅ヶ崎高校前歩道橋の手前まで来ると、右側に「東海道の松並木」と題した案内板があります。案内板によると、この辺りの松並木は樹齢400年ほどもあるようで、江戸時代よりも前の戦国の時代から生えている古木です。この辺りも国道1号線の両側には松並木がつづきます。

茅ヶ崎高校前信号を渡り、さらに続く松並木の下を歩いていきます。その松並木がいったん途切れるあたりに市立病院入口の信号が現れます。その信号を渡ってすぐ左手に海前寺の石柱が歩道脇に立っています。

細い路地を60mほど進むと海前寺の山門が構えています。門前には「曹洞宗 海前禅寺」と刻まれた石柱が立っていて、門の両脇には仁王像がなんの覆いもなく置かれています。

海前寺山門
海前寺ご本堂

ここ海前寺の墓地には昭和9年(1934)から昭和23年(1948)まで日本ボクシング界で活躍した「ピストン堀口」の墓があります。日本フェザー級王座、東洋フェザー級王座、日本ミドル級王座を獲得した方なのですが、その戦い方がまるでピストンのような連打を得意としていたようです。
享年36歳という若さで他界してしまったのですが、その死因が列車にはねられての轢死だったようです。墓碑銘に「拳闘こそ我が命」と刻まれています。

ピストン堀口の墓

海前寺の墓地からは丹沢の山並みとひときわ高い「大山」の姿を眺めることができます。日本橋からおよそ55㌔の距離を歩いて初めて見る大山の雄姿です。

海前寺を過ぎるともう茅ヶ崎の中心部へはもうすぐです。JR相模線を跨ぐ陸橋を過ぎると右手にスーパーマーケットのイオンが現れます。そのイオンを過ぎると国道一号線の左側の角に「茅ヶ崎一里塚」が復元され置かれています。お江戸日本橋から数えて14番目の一里塚です。

一里塚手前の松並木
茅ヶ崎一里塚

藤沢宿から歩き始めてほご7.5㌔の地点にあたります。本来であれば藤沢宿の次の宿は平塚宿なのですが、体力的に平塚まで辿りつくことができず、間の宿として栄えていた茅ヶ崎で今日の街道歩きは終了いたします。
藤沢宿から茅ヶ崎までの旧街道の旅は街道らしい松並木がつづき、つい単調になりがちな街道歩きに花を添えてくれました。

次回はここ茅ヶ崎から大磯への街道歩きをご紹介いたします。

私本東海道五十三次道中記~藤沢宿から茅ヶ崎(其の一)
私本東海道五十三次道中記~藤沢宿から茅ヶ崎(其の二)
私本東海道五十三次道中記~藤沢宿から茅ヶ崎(其の三)





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