大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

私本東海道五十三次道中記~藤沢宿から茅ヶ崎(其の一)

2012年10月28日 16時51分11秒 | 私本東海道五十三次道中記
お江戸日本橋から12里(48㌔)に位置する藤沢宿は一遍上人開祖の遊行寺(清浄光寺)の門前町として古くから栄え、東海道が整備された慶長6年(1601)以降は旅人はもちろんのこと江ノ島道を辿って江ノ島弁財天詣での講中客や遊山客でたいそう賑わっていました。



安藤広重が描いた藤沢の景には遊行寺橋の向こうに遊行寺の甍が見えています。現在でも遊行寺橋からは同じような景色が眺められるのですが、絵の中に描かれている江ノ島弁財天の一の鳥居は現在は見ることはありません。

藤沢宿内は遊行寺坂の江戸見附から始まり、京口までおよそ1.3㌔にわたってつづいています。それほど規模は大きくなかったようですが、宿場町らしく本陣、脇本陣はそれぞれ一軒づつ、旅籠数はお江戸の天保時代には49軒を数えていました。

かつての旧街道は現在では遊行寺坂の30号線から467号線へと名を変えて海側へ向かうのではなく、むしろ山側へと進む道筋がつづきます。

467号線は幹線である国道一号線とはちょっと風情が異なります。それほど道幅も広くなく、地方都市特有の香りが漂う街道らしい街並みや佇まいを感じます。藤沢宿内の散策を始めるとすぐに467号線の右側に古めかしい佇まいの商家が現れます。街道らしい雰囲気を醸し出す建物です。明治の末期に建てられ藤沢宿に唯一残る「店蔵」です。その名は「桔梗屋」という「紙」を扱うお店です。

桔梗屋の店蔵

そんな街道を進んで行くと、藤沢公民館前の信号を過ぎた左手に「小松屋」というラーメン屋さんが見えてきます。このお店は江戸時代にはここ藤沢宿で「飯盛旅籠」を営んでいた「小松屋さん」とのこと。一応ここでは「小松屋」の名前を憶えておいていただきましょう。

小松屋さんの店構え

小松屋さんを過ぎるとかつての藤沢宿の中心ともいえる地域にさしかかってきます。まずここ藤沢宿に一軒あった「蒔田本陣跡」が467号線の右側に、そしてここから100mほど進んだ左側に問屋場跡が現れます。

この問屋場跡がある場所の手前の信号を渡り、467号線の左側へと移動することにします。問屋場跡からおよそ100m歩いた左側に藤沢市消防署本町出張所があります。その角を左に進むと前方に「常光寺」の山門が構えています。

常光寺山門

山門とその背後のこんもりとした木々の様子から静かな落ち着いた雰囲気の寺構えを感じます。その山門の左わきに置かれているのが「藤沢警察署創設百年碑」です。

藤沢警察署創設百年碑

石碑には「明治5年8月 常光寺に邏卒屯所が設置され 以後境内地の提供により警察出張所 警察署に昇格 大正14年洋風庁舎を建築し昭和39年4月 本鵠沼の新庁舎に移転するまで90年間署が置かれていた 発祥の地である」と刻まれています。

木々に覆われた境内は凛とした空気と静寂に包まれています。本堂へと進む参道の脇には2基の「庚申供養塔」が置かれています。かなり古いもので「万治2年」と「寛文9年」のものです。
万治2年というと、あの江戸の大火としてしられる「明暦の大火(1657)」の2年後の年です。

庚申供養塔
常光寺ご本堂

常光寺境内及びその周辺には天然記念物に指定されている樹林があります。境内のかやの大木は県の名木百選にも指定されています。

かやの大木

ご本堂に隣接して墓地が広がっています。その墓地の一角に「野口米次郎墓」があります。大木の根元に置かれた墓はモダンというか、記念碑を思わせる姿で置かれています。

野口米次郎墓

説明書きによると、「明治八年愛知県に生まれ、二三年単身渡米、新聞記者となり、のち英国に渡る。詩集を出版するなど両国の詩壇で活躍し、三七年日露戦争の報道のため帰国、兄が住職を勤める常光寺や鎌倉円覚寺に暮らしました。慶応大学で教鞭をとり、世界各地で日本文芸について講演し、また広重・春信などの浮世絵や正倉院宝物について英文出版、さらに日本での最初の英文案内書『Kamakura』を出版したりして日本の文化・文芸を世界に紹介し、“ヨネ・ノグチ”の名で親しまれている。昭和二二年疎開先の茨城県で没した。」とあります。

尚、米次郎の息子がかの有名な彫刻家である「イサム・ノグチ」なのですが、おそらくこの墓石の奇抜なデザインは息子のイサム・ノグチ氏によるものなのでしょうか?

常光寺ご本堂の裏手は小高い丘になっています。緩やかな傾斜の石段を上って裏山へと回り込みます。そしてやや下りの道を進むと右手に広場が現れ、その広場の奥がさらに階段となっています。

裏山へつづく細道

こんな場所に入ってもいいのかと思うようなところなのですが、階段を上ると木々に覆われ木漏れ日がほんの少し射し込む場所に小さな祠が一つ置かれているではありませんか。その小さな祠の周りには庚申塚や供養塔が乱雑に置かれています。

弁慶之首塚祠

この小さな祠に納められているのが「弁慶之首塚」なるものです。

其の弐へつづく

私本東海道五十三次道中記~藤沢宿から茅ヶ崎(其の二)
私本東海道五十三次道中記~藤沢宿から茅ヶ崎(其の三)
私本東海道五十三次道中記~藤沢宿から茅ヶ崎(其の四)





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