9月に入りいくぶん暑さも和らいだかな?と思われた9月4日(火)に某旅行会社主催の東海道五十三次街道巡りの「保土ヶ谷宿から戸塚宿(約9.8km)」間の下見に出かけてきました。
保土ヶ谷宿の出立時間を正午に設定していたため、9月初めとはいえ真夏を思わせる陽射しが真上から降りそそぐ時間帯です。出立場所は保土ヶ谷の江戸方見附から1kmほど先のJR保土ヶ谷駅なので全長2kmの保土ヶ谷宿内のうちほぼ半分の区間は割愛させていただきます。
さあ!いよいよ江戸から数えて4番目の宿場町である「保土ヶ谷宿」の中心部分へと進んでいきましょう。JR保土ヶ谷駅の北口のローターリーを抜けると、旧東海道の道筋にあたる「さつき通り商店街」の入口にさしかかります。活気のある商店街とは言えない佇まいがつづきます。これまで歩いてきた各宿場町の商店街で見るような「街道らしさ」をそれほど感じない街並みです。
さつき通り商店街
ときおり現れるかつての助郷会所跡にいたっては、標柱はあるものの自動販売機の脇に置かれた「ビン缶・ペットボトル入れ」に赤字で「助郷会所跡」と記され、ご丁寧にも自動販売機とボトル入れの下部には「海鼠塀」らしき模様まで描かれています。それなりの努力は認めつつも、ほんのちょっと街道の雰囲気を考えた意匠にしてもらったほうがいいのではないでしょう
か?
助郷会所跡の自動販売機
そんな「さつき通り商店街」を進んで行くと、金沢横町の小さな四つ角にさしかかります。進行方向左手の角に街道らしさを感じさせてくれる4基の道標が往時を偲ぶようにひっそりと佇んでいます。
4基の道標
右から
①円海山之道〔天明三年(1783)建立〕
②かなさわ、かまくら道〔天和二年(1682)建立〕
③杉田道〔文化十一年(1814)建立〕
④富岡芋大明神社の道〔弘化二年(1845)建立〕
この道標の左わきに番所風のお休み処が置かれています。ここでは保土ヶ谷宿に関するパンフレットを無料で入手することができます。
保土ヶ谷宿お休み処
金沢横町を過ぎるとまもなくJR線の踏切にさしかかります。踏切を渡ると旧街道は国道1号線に突き当ります。この合流地点には保土ヶ谷宿の本陣跡があります。ここで旧東海道は大きく右へ折れ、難所と言われる「権太坂」方向へと進んでいきます。
苅部本陣の門
保土ヶ谷本陣は苅部本陣(かるべほんじん)と呼ばれていたもので、現在は通用門だけが残っていますが、往時建坪が270坪もあり部屋数18、畳数140は東海道の本陣の中でも十指に入るほどの規模でした。通用門前の塀が崩れ、修復中なのですが、実は昨年の東日本大震災で塀が壊れてしまったそうです。
国道1号線を進行方向に向かって左側の歩道を歩いていくと、次に脇本陣の藤屋跡、そして脇本陣の水屋跡、更に旅籠屋の本金子屋跡とつづきます。
本金子屋跡
宿場時代の唯一の建築物である本金子屋が今でも残っています。ただし、江戸時代のものではなく明治になって新築されたものです。江戸時代には先の本陣から本金子屋までの区間に14軒ほどの旅籠、水屋が軒を連ねていたようです。そんな時代があったことなど忘れ去られたように、現在ではマンションが連なっています。
本金子屋を過ぎてしばらく歩くと左手に金色の擬宝珠を備えた今井川に架かる仙人橋が見えてきます。その仙人橋の袂には「歴史の道 一里塚跡・上方見附跡」の解説板が置かれ、その脇には「東海道保土ヶ谷宿の松並木と一里塚」と題した解説板もあります。
復元なった保土ヶ谷一里塚
東海道保土ヶ谷宿の松並木と一里塚
東海道保土ヶ谷宿の松並木と一里塚
東海道保土ヶ谷宿の松並木と一里塚
この辺りが保土ヶ谷宿の京都側の出入口にあたる上方見附だった所のようで、小振りの一里塚も復元されています。保土谷宿の一里塚は江戸から8番目にあたり、かつては五間(9m)四方の塚が築かれ、塚の上には榎が植えられ旅人の休憩場所としても利用されていました。
仙人橋の擬宝珠
そして今井川に架かる仙人橋を渡り、なだらかな傾斜の向こうに佇むのが「外川神社」の社です。外川神社は、保土ヶ谷宿内の羽州湯殿山の講中の先達であった清宮興一が、湯殿・月山・羽黒の三山の霊場を参拝し、明治2年、この地に羽黒山麓の外川仙人大権現の分霊を勧請したもので、以来、小児の虫封じ、航海安全に利益があるとされていました。明治初年、神仏分離令の発布によって祭神を日本武尊とし、外川神社と改称しました。
外川神社
外川神社石標
外川神社から再び旧東海道筋へ戻り、進むと岩崎ガード交差点に保土ヶ谷歩道橋が架かっています。
一里塚から見た松並木
歩道橋を渡って、国道1号を更にその先へ進んでいきます。反対側の保土ヶ谷町2丁目バス停を過ぎた所で道が二手に分かれている保土ヶ谷2丁目交差点があります。角には「歴史の道」の道標が立っています。
樹源寺山門
樹源寺境内
樹源寺境内
国道一号線からいったん分岐して旧東海道を進むと樹源寺バス停が見えてきます。このバス停の先の右手に折れる石段を上って行くと樹源寺です。鎌倉時代に建てられた医王寺が焼失した後、江戸時代初期の1628年に、あの本陣を経営していた苅部家により身延山久遠寺の末寺として開山したようです。
其の弐へつづく
私本東海道五十三次道中記~保土ヶ谷宿から戸塚宿~(其の二)
私本東海道五十三次道中記~保土ヶ谷宿から戸塚宿~(其の三)
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保土ヶ谷宿の出立時間を正午に設定していたため、9月初めとはいえ真夏を思わせる陽射しが真上から降りそそぐ時間帯です。出立場所は保土ヶ谷の江戸方見附から1kmほど先のJR保土ヶ谷駅なので全長2kmの保土ヶ谷宿内のうちほぼ半分の区間は割愛させていただきます。
さあ!いよいよ江戸から数えて4番目の宿場町である「保土ヶ谷宿」の中心部分へと進んでいきましょう。JR保土ヶ谷駅の北口のローターリーを抜けると、旧東海道の道筋にあたる「さつき通り商店街」の入口にさしかかります。活気のある商店街とは言えない佇まいがつづきます。これまで歩いてきた各宿場町の商店街で見るような「街道らしさ」をそれほど感じない街並みです。
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ときおり現れるかつての助郷会所跡にいたっては、標柱はあるものの自動販売機の脇に置かれた「ビン缶・ペットボトル入れ」に赤字で「助郷会所跡」と記され、ご丁寧にも自動販売機とボトル入れの下部には「海鼠塀」らしき模様まで描かれています。それなりの努力は認めつつも、ほんのちょっと街道の雰囲気を考えた意匠にしてもらったほうがいいのではないでしょう
か?
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そんな「さつき通り商店街」を進んで行くと、金沢横町の小さな四つ角にさしかかります。進行方向左手の角に街道らしさを感じさせてくれる4基の道標が往時を偲ぶようにひっそりと佇んでいます。
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右から
①円海山之道〔天明三年(1783)建立〕
②かなさわ、かまくら道〔天和二年(1682)建立〕
③杉田道〔文化十一年(1814)建立〕
④富岡芋大明神社の道〔弘化二年(1845)建立〕
この道標の左わきに番所風のお休み処が置かれています。ここでは保土ヶ谷宿に関するパンフレットを無料で入手することができます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/49/67aa8dc921bd1fa6ed5a2fd25fae4247.jpg)
金沢横町を過ぎるとまもなくJR線の踏切にさしかかります。踏切を渡ると旧街道は国道1号線に突き当ります。この合流地点には保土ヶ谷宿の本陣跡があります。ここで旧東海道は大きく右へ折れ、難所と言われる「権太坂」方向へと進んでいきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/a1/01c38fca336d9ea5e24abb9985a83475.jpg)
保土ヶ谷本陣は苅部本陣(かるべほんじん)と呼ばれていたもので、現在は通用門だけが残っていますが、往時建坪が270坪もあり部屋数18、畳数140は東海道の本陣の中でも十指に入るほどの規模でした。通用門前の塀が崩れ、修復中なのですが、実は昨年の東日本大震災で塀が壊れてしまったそうです。
国道1号線を進行方向に向かって左側の歩道を歩いていくと、次に脇本陣の藤屋跡、そして脇本陣の水屋跡、更に旅籠屋の本金子屋跡とつづきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/53/ad266b8fced1cbcfa5e8deace39ef041.jpg)
宿場時代の唯一の建築物である本金子屋が今でも残っています。ただし、江戸時代のものではなく明治になって新築されたものです。江戸時代には先の本陣から本金子屋までの区間に14軒ほどの旅籠、水屋が軒を連ねていたようです。そんな時代があったことなど忘れ去られたように、現在ではマンションが連なっています。
本金子屋を過ぎてしばらく歩くと左手に金色の擬宝珠を備えた今井川に架かる仙人橋が見えてきます。その仙人橋の袂には「歴史の道 一里塚跡・上方見附跡」の解説板が置かれ、その脇には「東海道保土ヶ谷宿の松並木と一里塚」と題した解説板もあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/79/35027d2f75e302471410393536c2b262.jpg)
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この辺りが保土ヶ谷宿の京都側の出入口にあたる上方見附だった所のようで、小振りの一里塚も復元されています。保土谷宿の一里塚は江戸から8番目にあたり、かつては五間(9m)四方の塚が築かれ、塚の上には榎が植えられ旅人の休憩場所としても利用されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/4a/602c7938573ecb3e03736e731653b421.jpg)
そして今井川に架かる仙人橋を渡り、なだらかな傾斜の向こうに佇むのが「外川神社」の社です。外川神社は、保土ヶ谷宿内の羽州湯殿山の講中の先達であった清宮興一が、湯殿・月山・羽黒の三山の霊場を参拝し、明治2年、この地に羽黒山麓の外川仙人大権現の分霊を勧請したもので、以来、小児の虫封じ、航海安全に利益があるとされていました。明治初年、神仏分離令の発布によって祭神を日本武尊とし、外川神社と改称しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/73/d03594359befa26f2bd5e556f8ec2d6d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/ed/30e9f0cc4ff3b65243eeabeb9e1f61bb.jpg)
外川神社から再び旧東海道筋へ戻り、進むと岩崎ガード交差点に保土ヶ谷歩道橋が架かっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/c2/1236ff1afd3f64164b5d3e1bbe015999.jpg)
歩道橋を渡って、国道1号を更にその先へ進んでいきます。反対側の保土ヶ谷町2丁目バス停を過ぎた所で道が二手に分かれている保土ヶ谷2丁目交差点があります。角には「歴史の道」の道標が立っています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/b5/b2c3c6f2092ae051a0144b16f554758c.jpg)
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国道一号線からいったん分岐して旧東海道を進むと樹源寺バス停が見えてきます。このバス停の先の右手に折れる石段を上って行くと樹源寺です。鎌倉時代に建てられた医王寺が焼失した後、江戸時代初期の1628年に、あの本陣を経営していた苅部家により身延山久遠寺の末寺として開山したようです。
其の弐へつづく
私本東海道五十三次道中記~保土ヶ谷宿から戸塚宿~(其の二)
私本東海道五十三次道中記~保土ヶ谷宿から戸塚宿~(其の三)
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