ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

命って、そんなに簡単ですか?

2014-09-15 | ~ 出 産 ~
少々強引ではあったが母子ともに退院。
母がこのような強行に及んだ第一の理由は、七日帰りを避けるためである。
出産日を0ゼロ日として、1、2、3…と7日目の退院に退院する事は、七日帰り(なのかがえり)と言われ、初七日を連想させ、古くから忌み嫌われている。
「今じゃ、そういうこと言う人も少ないんですけど…」
そう看護師さんは言っていたが、私はこういう迷信や謂れをとても気にする。
二つ目の理由は、お披露目会の日取りにあった。
すでに食事の予約を取ってしまっていたのだ。お盆を過ぎた24日吉日大安。慶事が多いとされ「お食事の予約はお早目に…」というわけで、私の入院中に予約を入れたらしい。
「最悪、アンタら居らんでもいいかな…って」
主役と準主役が不在で宴が盛り上がるのか…、疑問である。
さて、退院二日目のお披露目会。久しぶりの対面で、主人は私から大目玉を喰らい、母からは「母乳ってね、ちょっとのストレスで出なくなるのよ」チクリ、チクリと説教されていた。
お説教が利いたかどうか、今後の行動、態度が楽しみである。
「ちょっと、退席します」
授乳の時間である。娘を連れて、壁一枚向こう側の自室の授乳ルームへ急いだ。
個室に籠って、さて授乳…と胸を晒して…。
よほど初孫が嬉しかったのだろう、義父様の普段以上に大きな声が響いてきた。
「早かった、早かった。あっという間だった、これなら次も、」
次という、遠い未来の話をしていた。
正直、出産したばかりであの激痛の記憶が鮮明に残っている中、次という未来は考えたくなかった。しかも、年齢的にも、身体的にも、精神的にも…次は、考えられないと思った。
「孫は、将来ピアニスト…」と生まれたばかりの子に遠い未来の期待を掛け、次も「大丈夫、大丈夫、ポンと」簡単に妊娠、出産が出来ると思っている。
この年齢で結婚出来たことだけでも嬉しいと言っていたのに、結婚したら、今度は子供…、
命を宿しただけでも奇跡だったのに…。次から次へと欲求が増えて…。
私は、妊娠出産育児の辛さを、男性に分かって貰えないもどかしさと、入院中のストレス、睡眠不足で、参っていた。そんな時、
「私、母乳経験ちゃないから分からんけど…」
見かねた実母が私の入院中の苦労話を言って聞かせていた。

ここまでは、そして、ここからは、

2014-09-14 | ~ 出 産 ~
「確実じゃないだけど、今日こそは退院できる、かもしれない」
翌朝、私は母に退院報告をした。
「でも…義母様には、まだ連絡せんでね」
昨日は義母の所にまで連絡して、糠喜びさせてしまった。
確実に退院と決まるまで、母には連絡を待ってもらった。
退院前の沐浴タイム、そして、その直後の授乳。
これを飲まないと…、
「やっぱり駄目みたい…」
退院できない。
この日は母も沐浴を見学、授乳に付き添った。
「甘いッ。あんた、甘いのよ、こういう時は…」
私の生みの親は強かった。
娘の小さな口にグイッと哺乳瓶の口を銜えさせ、
「飲みなさいッ、飲むの、紗花ッ」
ぐいぐい、
「ちょ、ちょっとぉ、お母さん…」
哺乳瓶に入っている搾乳を無理やり飲ませた。
空になった哺乳瓶を誇らしく机の上に置いて、
「退院の準備、しなさい」
私は病衣を脱いで、
娘を着替えさせて、
コンコン、
「あら、今日は飲めましたねぇ」
空の哺乳瓶を下げてもらい、退院…となった。
この時、母となるには、ここまで強く在らねばならぬのだと分かった。
少々強引な退院であったが、
「次は、四日後の母乳外来で、」
その日までに体重が増えてないと、それこそ再入院…。
ここまでは、看護師さんや助産婦さんの助けでなんとかやって来られたが、
明日から母と娘の頑張りだけが頼りで、本当の育児はここから始まるのだ。

生きるということ、その現実

2014-09-13 | ~ 出 産 ~
お乳を、吸う、という運動は小さい娘にとって重労働なのだろう。
飲んだら、コテッと寝てしまう。
鬼瓦みたいな顔で泣いていたのがウソのよう…。
このまま目を覚まさなかったらと心配になって、
「紗花(さやか)…紗ちゃん」
娘の名前を呼ぶと、
「うぅ…ん、きゅぅ~」
娘が手足を伸ばして、私に応えて、また、眠った。
減り続けた体重は5日目にして2445gまで戻った。
私の体調は万全。このまま順調にいけば…、退院。
「あっと、退院前の沐浴タイムだ」
退院前に沐浴して、きれいになって、
「あ~ぁ」
沐浴も小さい体には、堪えるらしい。
コテッと寝てしまった。
「紗花…お願い。飲んでぇ、飲んでくれないと…」
沐浴後の水分補給にお乳を飲まないと脱水症状になると言われ、
…駄目だった。母の願いはすやすや眠る娘には、届かなかった。
この小さな体で退院させて、この夏の暑さを乗り切れるか?
そんな不安を看護師さんは、私に突き付けた。
「定期的に水分(お乳)を飲まないと、また低血糖になりますよ」
生後間もなく、娘は低血糖に陥った。
糖水を与え、数値は正常になったが、
「もし、この暑さで脱水症状に陥ったら…」
再入院である。
正直、私は退院したい。疲れた。ゆっくり眠りたい…でも、
「今日、シャワーって使えますか?今日、退院って思って…予約してなかったんです」
シャワーを浴びて、リフレッシュ。
退院を伸ばして、母乳の状態を整え、娘の状態を整えようと、頭を切り替えた。
自分のことより、誰より、何より、我が娘が最優先だった。

紗ちゃん、吸うて、吸うて、吸うて

2014-09-12 | ~ 出 産 ~
数分後、看護婦さんが哺乳瓶にミルク30㏄を持って駆け付けてくれた。
初めての哺乳瓶でも、よほどお腹が空いていたのだろう、上手に吸って、
ジュバ、ジュバ、ジュバッ
「上手に飲めたね」
あっという間に30㏄は空になった。
ミルクを飲み終わって、満たされたのだろう、その後、娘はぐっすり眠っていた。
顔をくしゃくしゃに鬼瓦のように泣いていた娘がたったあれだけのミルクで天使に変わった。
満たされた天使の寝顔を見て、私は、ホッとした。
安らかな寝顔をみて、ぽっと、胸が熱くなり、
びくんッ、びくんッ、胸が弾けるのを感じた。
「あれ?金田さん…ちょっといいですか?」
私の胸の変化にいち早く気が付いた看護師さんはビニール手袋を装着し、胸を触診し始めた。
「張ってる…」
四日目にしてようやく…遅咲きの花は実った。
数滴、私のお乳を採取、成分を計ってくれた。
測定結果、分泌も申し分なく、母乳状態良好。
「頑張って吸ってくれてたもんね」
三日三晩、不眠不休で私のお乳タンクを吸い続けてくれたおかげで、胸は刺激され、出る、ようになったのだ。
「小さいのにガッツがあるわ…この子」
看護師さんたちは、うちの子を見てくれていたんだと思った。
私たち親子を、見守って下さって、
「本当に、ありがとう…ありがとうございます」
何より嬉しかった。娘を褒められるとこんなにも誇らしいのか、と思った。
自分が褒められるより、何十倍も何百倍も、嬉しいと思った。
娘の頑張りによって、ミルクは取り止め。
そして、改めて、完母となった。
ちゅー、ちゅー、ちゅー。
お乳を吸う娘を見る度に、母娘の乳のみ戦争が思い出され、じんわり、涙が浮かんで来る。
「紗ちゃん、吸うてくれて…ありがとうね」

大丈夫って…何が?

2014-09-11 | ~ 出 産 ~
「ちょっと…しばらく、来んでよ」
入院してから主人は仕事帰りに必ず顔を出し、父に借りたK4ビデオを回し続けた。
娘の体重が減って…、集中して授乳をしたい。
そして、主人との面会よりも休息を取りたい。
しかし、主人は娘が生まれた悦びでいっぱいで…。
私の苦悩、言葉なんか、まるで届いてなかった。
「なにが?」
まるで、分かってない。
結局、
「大丈夫、大丈夫。元気だにか」
どんどん、体重が減っているのに、
何が、大丈夫なの?
実際に乳のみ戦争を目の当たりにしていないと…、
実際に体験しないと…、
女の辛さ、母の苦しみ…って、全く分かって貰えないことが、分かった。
そんな軽い調子で、生まれたての小さな体とこの大きな命が守れるのか?
いつまでも状況が呑み込めない夫に私も堪忍袋の緒が、ぶちッ、切れた。
「明日から、来なくていいからッ」
主人に病外退去命令を出し、
主人からの電話も遮断した。
電話を遮断したら、メール攻撃が始まったが、それらも完全無視。
「とにかく、体重を増やしてあげないと…」
私は完母を諦めた。
それでも、看護婦さんたちは、母の、私の母乳を信じてくれていた。
「お母さんが、もう(母乳育児が)ダメだと思ったら、これ、押して下さい」
授乳タイムが来て、
ぴッ、
私は迷わず、ナースコールのボタンを押した。
「すみません、ミルク…下さい」
そして、ミルクを温めてもらった。

こういう時こそ…、

2014-09-10 | ~ 出 産 ~
夜泣きが始まったのは、そろそろ生後二週間を切ろうとしていた頃だった。
PM7時の沐浴が済んで、
その直後、
うぎゃぁ~、うぎゃ、うぎゃ、うぎゃッ
ご近所中、響き渡るような泣き声で叫ぶ。
これが始まるともう誰にも止められない。
自分の泣き声に、
さらに興奮して、
うぇ、うぇ、うぎゃぁ~ーッ
「そんなに泣くと…苦しいでしょ」
と諭しても、すかしても、駄目だった。

育児経験者、我が地母神様も「お休みぃ」
たったと二階寝室で寝てしまった。

11時の授乳タイム、
「お乳ですよぉ」
飲み終わって直後、
うぎゃぁ~。
叫ぶ。
「オムツかな?」
取り替えても、愚図る。
お乳足りないのかな?
もう一度、おっぱいを吸わすが、
べぇッ、
私の好意に、あっかんべ、する。
おっぱいじゃない、となると、
抱っこ?
ゆらゆら抱っこしても、
うぎゃぁ。
添い寝?
うぎゃぁ。
いろいろ試しても、
やっぱり、

うぎゃぁ。

もう、疲れた。
眠りたい。しかし、娘はまだ愚図りたい。

うぎゃ~ッ。

誰に似たのか?
根性のある娘で三時間は泣ける。
「やれやれ、寝た…」と、
時計を見ると、次の日になっていた。

私も寝よ…と、こくっと寝…、

「うぇッ、うぇ、うぇ」

突如、嘔吐(えず)いた。

「さ、紗花ッ!」

ガバッ、と飛び起き、
紗花を見る。すると、

「お前かッ!」

夜泣きの相手で、廊下を行ったり来たり。
いろいろ試している間に、こっそり入った侵入猫が…、

「ウゲッ」

部屋で、毛玉を吐いた。

老猫がよろり移動して、

「ッ!!?(きゃぁ~ッ)」

「ウエッ」

寄りによって愛娘の隣で吐いたぁッ。

吐瀉物を拭いている間に、よろよろ…と廊下に出て、
締めの一発、
「うえッ」
吐いた。

「Oh~、My God」

しかし、二階の神は気付かない。

「あれ、紗ちゃん…」

気が付いたら、オムツが濡れていた。

替えないと、気持ち悪いよねぇ、

べろんとオムツを取ると同時に、

ばぁーッ

開放的な娘は、うんちとちっこ両方後方発射。


「すっきりだぜぃ♪」

豪快な娘をきれいにして、
飛び散ったモノをきれいにして、

私もシャワー浴びてきれいなって、
「やれやれ…長い夜だわ」
部屋に戻るとすやすや眠る娘と、
私の枕をベッドに眠る猫がいた。

「二人ともすっきりした顔して…」

これから、この天使たちは、
私にどんな試練を課すのか。

「ちょっとどいてよ」
猫のベッドの枕を間借りして、私もようやく床に就いた。

朝が来て、
「タルトに、紗ちゃんに、大変だったのぉ」
真夜中の惨事を神に嘆く。

と、

「え、そうなん?」
全ッ然ッ、気が付かなかったらしい。

本当に気付いて欲しい時こそ、
神は、気付かない、と悟った。

育児、頑張りますッ!

親として…、

2014-09-10 | ~ 出 産 ~
この病院では完母を推奨している。
とりわけ、初乳(産後2~3日間で分泌される)の中に赤ちゃんを病気から守る免疫物質が飛行に多く含んでいる。アレルギー予防にもなるという。
さらに、お乳を“吸う”時、口の周りの筋肉、舌上下、あご、頬の筋肉…顔の筋肉を総合的に鍛えてくれる。つまり、表現力溢れる、表情豊かな子になる、という原理である。
さらにさらに、母体にも利点がある。空っぽになった子宮は産後脂肪がどっぷり、デロンと大きなままなのだが、赤ちゃんがお乳を吸うことで大きくなった子宮が小さくなるという。
つまり、子宮収縮機能の役目を果たしてくれ、母乳育児は産後の回復、体型の戻りが早める。
さらにさらに、さらには母と子の絆を深めるためと、ミルク代を浮かす事に貢献する。そのためにも新米母は必死に自分の胸を搾った。こってり搾り取られ…、退院時の体重は妊娠ピーク時より-7キロ減少していた。良いこと尽くめである。
私は当初、出産だけが高齢に響くと思っていた。しかし、実際にはそうではなかった。
37歳と8ヶ月に「次は…」という第二子の期待と高齢の重圧(プレッシャー)は精神的にキツかった。日々溜まるストレスが完母の妨げとなり、出産後二日三日で分泌されるといわれるお乳、しかし、私の場合、三日三晩吸い続けても、まだ分泌が弱かった。
娘の夜泣きの原因は、空腹。
「いわゆる、飢餓状態なんですよ」
言葉で表すことが出来ないから、叫ぶしかない。
“おぎゃーッ(お腹空いたよぉー)”
餓えた娘に、栄養を与えられない辛さは、母として堪えた。
体重2654gと小さく生まれた娘は、さらに小さくなって…、
入院二日目、2490g。
三日目では、2445g。
「ごめんね、ごめんね…お乳でなくて…ごめんね」
四日目には、2365gまで減ってしまった。
私の頭の中に、あの事件、可愛そうな理玖君の姿が思い浮かんだ。
『厚木の男児白骨遺体事件』…五歳の理玖君は「ぱ…ぱぱ…」
十分な栄養を親から与えられず、餓死、放置され、白骨化した状態で発見。
折角この世に生まれたのに…、何のために生まれてきたのか…とても悲しいかった。
産んだからには、生まれたからには、責任を持って親が栄養を与えねば…と思った。

生まれてからが…、

2014-09-09 | ~ 出 産 ~
子宮口に切り込みを入れていない産褥婦でも円座、これは欲しくなる一品だ。
※産褥とは、妊娠前の状態に戻る期間をいい、通常6~8週間といわれている。
「あれ?そう言えば私…」
破水して病院に入ってから、排尿をしてない。
15時間以上も膀胱に尿を溜めた状態であった。
膀胱はパンパン、排尿したいはずが、出ない。
「じゃ。管、通しますね」
管を通す前に、何度か試みたが、一滴も出ない。
仕方なく、
「痛ッ」
尿道に管を通して、看護師さんに膀胱をぐりぐり押され、出してもらった。
「あの…、膀胱力って、いつ回復するんですか?」
個人差がある。
心配しないで、尿力復活までスタッフが何度でも管を通して用を足すお手伝いをするという。
ちなみに、私は二回、管を通して貰って、その日の夜、自力排尿が出来るようになった。
尿を出して頂くとすっきりするのだが、何分、管を通されると痛いし嫌で堪らなかった。
だから、意地で、トイレで粘って、出した。
出す時、子宮口を縫い付ける糸がバッチン切れるのではないか、と内心ビクビクしたが、ジャック先生の縫製はしっかりしていて、そんな心配は無用だった。
次の日、コンコン、
往診に顔を出したジャック先生は「大丈夫?便は?」
「今朝、出ましたぁ」
水を2リットルは飲んでいただろう。さらに、ヤクルト、ミルミル、アロエジュースにヨーグルトで、出産二日後にして便力が回復させた。
ただ…毎日の快便は母乳の影響だろう…二日に一回となった。
産後、身体的な疲労はピークに達し、性格に支障が来たし、もう精も根も尽き果てた。
休みたい、しかし、乳飲み子に休みなど、ない。
“生まれてからが、大変よ”
今まで、へその緒を通して自動的に栄養補給が出来たが、腹から出たからには、私が直接、娘の口へと栄養を運ばねばならない。三時間おきのお乳…なんとかして出さねばならない。

受難の始まり

2014-09-08 | ~ 出 産 ~
「私にもう一度お相撲さんに成れと言うの?」
その問いかけに対して、主人の代わりに実父はこう言った。
「何度でも相撲取りになれば良かろう。ノルマは3人だ」
天から授かりし使命、ようやく宿った命にノルマを課す父は、鬼か、悪魔。
それにしても、妊娠の辛さ、出産の痛みが分かって貰えないとは淋しいものだ。
夫婦疎通、共鳴共感、分かち合うためにも立ち合って貰えば良かったと思った。
出産したら「安泰、安心、安全」と思っているのは、この男たちだけであろう。
地上に生まれてからが、試練、苦難、災難、困難の連続。人生の荒波は誕生から、始まる。
これらの受難を乗り越えるには体力がいる。しかし、産後は、極端に体力が消耗している。
日常生活に支障を来すほどであった。
第一に、歩行困難となる。
第二に、着席困難となる。
第三に、尿力、及び、便力がゼロに等しくなる。
実際、「部屋が空きましたので…」と運ばれてきたのは、産褥婦を運搬する車いすだった。
この日は出産ラッシュで満室、前の方の退院を待って、三時過ぎ、LDRからようやく出ることが出来た。案内された部屋は一番奥のトイレ完備の個室だった。
「どの部屋でも構わない」と最初言っていたが、当たった部屋が四人部屋じゃなくて、本当に良かったと思った。退院までの六日間母子同室、病室内缶詰め状態となるが、その間、目指せ完母(完全母乳育児)で、出せ出せ母乳でこってり搾られる。おぎゃー(乳出せぇー)と、おっぱいは小さい娘に掻き毟られ、おちょぼ口はチューチューと分泌の弱い乳を吸い上げる。乳は傷だらけ、己の馬鹿力で搾乳し、乳輪の外周はアザだらけ。この傷を癒すのは、ナースステーション前の自販機で購入可能な軟膏『ピュアレーン100』だけであった。
お乳は産後二日三日で分泌するが、十分に分泌するまでの期間、「ぎゃー、ぎゃー」と乳児は喚く。生まれたばかりの赤子の泣き声があちらこちらで木霊する…真夜中の産科病棟は違った意味で怖かった。一番怖いのは、我が子の声である。声に特徴を持つ我が子は超音波でも発しているのでは無いかと思うほど甲高い。どこまでも通る声である。産声はあんなにか細かったのに、今では館内じゅう響き渡る声で「おぎゃー(メシよこせぇー)」と喚く。
生命力溢れるこの甲高い声は、産後の疲れた心と体には、かなり堪える。
やれやれ…泣き止んだ。少し体を休ませねば…と、
「よっこら…デッ」

産後ケア

2014-09-07 | ~ 出 産 ~
生まれてすぐに芽生える、生きようとする力、その生命力に感動した。
「お母さんだよ」
肌と肌を突き合わせて、初めてのコミュニケーション。
こうして母子の絆を深めるのだという。これを、カンガルーケアというらしい。
ケア中、
「う゛」
子宮内空っぽで残ったのは脂肪だけのはず。しかし、このデロンとした脂肪の中に、もう一人赤ちゃんがいるのでは?双子だったのか?と思うくらい、陣痛の痛みがぶり返してきた。
「す、すみません…、じ、陣痛が戻ってきたんですけど…」
ちらり、陣痛促進剤の点滴を見て、看護師さんがこう言った。
「これが無くならないと…」
陣痛促進剤は子宮収縮活動を促すもので、産後も外せないという。
つまり、この点滴が空になるまで、効果抜群の腰痛促進剤は続く。
「え?いつ終わるん?」
ちらり、経過予定時間を見たら、4:30~(最終)と書いてあった。
出産が終わったのに、陣痛の苦しみが継続するなんて…。
この第二の陣痛の最中、初孫の対面に満面の笑みを浮かべて実父がビデオカメラを持って入ってきた。音信不通だった母が孫の誕生の一報を入れ、父がすっ飛んで来た。
出産直後の私は徹夜でげっそり、髪は乱れ、半乳状態で娘を抱き、腰痛に耐える産褥婦を我が父は撮影している。孫だけ撮影すれば良いだろうが、ケア中のため、私の胸までしっかり映り込む。娘の胸なんてどうでも良いのだろうが、ズームイン、ご自慢の4Kカメラはどこまでも真実を映す。妊娠中に増えたシミまで鮮明に映してあった。
もう…どうにでもしてくれ。
初孫の誕生で状況判断が出来なくなっているのだ、今回だけは大目に見てやろう。
「いやぁ、これなら二、三人と、ぽぽんといけそうだ」
お産を体験することの出来ない男たちは、好き勝手なことを言う。
義父様、言っておきますけれども、陣痛の時間が短かったからって、お産か軽かった、訳じゃないんですよ。破水していたので、一刻も早く娘を出さないと危なかったの。
それに、陣痛促進剤は腰痛促進剤。二度も三度も耐え得る腰痛じゃないんです。
妻がこんなに痛がっているのに、それでも主人は二人目を所望した。