砂部弥生遺跡と東神吉弥生遺跡
砂部遺跡(いさべいせき)は、神吉中学校の少し東で、古代加古川西岸の自然堤防上に位置しています。
そして、東神吉弥生遺跡は、昭和41年、東神吉町西井ノ口で加古川バイパスの工事中、遺物を含んだ層が発見され、弥生時代前期ならびに後期の弥生遺跡であることが確認されました。
東神吉遺跡も標高5メートルの古代の自然堤防上に位置しています。
砂部遺跡の近くで、『加古川市史(第一巻)』は、「・・・両遺跡は、もともと一つの村であったと考えてよいであろう」と結論づけています。
共に大きな弥生遺跡です。
升田山古墳の住人か
升田山古墳群は、当然ですが住居跡ではありません。墓地です。
被葬者は、生前、升田山古墳の南の平野部で生活をしていた住人、すなわち、砂部・東神吉(集落)の支配者と考えるのが自然と考えるのですが。いかがでしょうか。
*写真:発掘中の東神吉弥生遺跡(柴田圓治さん撮影)
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