神野町をゆく(57) 西条旧石器遺跡
現在、山手中学校のある台地は、印南野台地から北に突き出した半島のよな地形であり、その先端部に城山(じょやま、82.2㍍)があります。
2万年前の、この辺りの風景を想像して下さい。
この半島部分の両側には海が入りこんでおり、まさに海に突き出た半島でした。
海は、さらに現在の加古川に沿って、奥にまで入っていました。
昭和24年、群馬県の岩宿遺跡の発見により、縄文時代以前(旧石器時代)に日本列島に人が住んでいたことが証明されました。
*旧石器時代とは今から約3万8千年前から1万6千年前の約2万2千年間をいいます。 人々はまだ土器を持たず、主に打ち欠きによって作られた石器(打製石器)や動物の骨や角を用いて作られた骨角器(こっかくき)を使い、狩猟や採集活動を行っていました。(ウィキペデアより)
加古川地方でも、日岡山・七つ池(志方町)・潰目池(平岡町)等で、旧石器人の生活の跡が発見されています。
神野町でも、旧石器人の生活の跡が城山の南面で確かめられました。
この地は、海の幸・川の幸が得やすい場所であったのでしょう。
さらに、よいことには、ここは台地のため洪水の心配はありません。
当時の旧石器人にとって、城山は絶好の生活の場であったと考えられます。
城山(旧石器)遺跡は、西条の墓地のある辺りから東に広がっています。
城山の水源地の登り口に説明板(写真)があります。
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