ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

升田山を歩く(22) 升 田 堤

2020-05-01 11:21:08 | 升田山を歩く

    升 田 堤

 写真は、升田山の山頂からの南の平野部の写真です。

 升田から船頭(せんどう・ふなもと)までの加古川の西堤をご覧ください。

 升田堤です。

 

  図は、「正保播磨国絵図(解読図)」です。

 池尻から下流に二つの大きな流れがあります。

 二筋の加古川は、二ヶ所の渡船が必要でした。

 それに、升田堤の西部の地域の人々は、東岸の地域より洪水に苦しみました。

 姫路藩は、ここを美田に変え藩の収入をはかることを計画したのです。

 藩主・榊原忠次は、升田で西加古川をせき止め、船頭(せんどう・ふなもと)までの堤の強化を命じました。この工事に動員された役夫は、60万ともいわれています。*今の加古川の本流は「東加古川」の流れです。

 万治二年(1659)八月、難工事がほぼ完成した時でした。猛烈な暴風雨が襲いました。

 一夜のうちに堤は壊れ、元の河原にもどってしまったのです。

 藩から、「この工事は重要である。人足が不足なら15~60才までの者をすべて動員せよ。異議を唱える者は追放せよ・・・」と、厳しい命令が出ました。

 その後、さすがの堤も短期間で完成させました。

 この時の記録が、妙願寺に残されています。

 *写真:升田山山頂から加古川市西部・加古川の風景

 *図:「正保播磨国絵図(解読図・部分)」

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