別府町をゆく(86) 別府町・写真集(35) 別府村事件
大正11年、「人の世に熱あれ、人間に光あれ・・」と高らかに宣言が掲げ、全国水平社は結成されました。
差別反対運動の取り組みは高まりました。翌年の大正12年5月、加古郡・北別府支部も結成されました。
さっそく、この年の8月に差別事件がおきました。
青年に対する差別の憤りが村民あげての闘いになりました。
この抗議行動は、「別府村事件」と呼ばれています。
教照寺を本部として「・・・・謝罪状を手に入れるまで、生きて帰ろうとは思わない・・」と決意をかためました。
この抗議行動で、村内男子は出動した警察隊と衝突し、ほとんどの青年が検挙されました。
そして、12名が有罪の判決を受けました。
謝罪を再三にわたり要求したが、全て拒否されたのです。
このまま泣き寝入りしては「子孫末代まで、頭が上がらない。身を犠牲にしても目的を達成しなければ・・・」と考えた末の行動でした。
抗議行動は「相手が手を出さぬうちは手をだすな・・」など統制のある行動でしたが、犯罪者として扱われたのです。
偏見を改めようとするの人々にとって、やむにやまれぬ行動であったのですが、当時の警察権力により弾圧されました。
今年は別府村事件から100周年です。「別府村事件」は、その後あまり語り伝えられなかったためか忘れ去られようとしています。
別府町の歴史を一歩前進させた事件でした。
*『手枕』(別府小学校創立百周年記念誌)参照
写真:「別府村事件」の顕彰碑
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