尾上町をゆく(58) 加古川市、し尿処理場問題
し尿は肥料として使用していました。そんなに昔の話ではありません。しかし、そんな時代は終わりました。
昭和30年頃から、衛生問題と化学肥料の普及により、し尿処理場建設問題はいっきに行政の課題となってきました。
加古川市の場合、さらに猛烈な人口増が問題を深刻にさせました。その経過を「加古川市議会史(記述編)」にみてみます。
し尿処理場建設は待ったなし
・・・加古川市は、まさに「糞づまり」で、まったなしの対策が迫られました。市会で用地買収費が予算化されました。
しかし、候補地としてあげられた養田(加古川市尾上町)地区との話し合いは、「迷惑施設」を拒否する地区住民により、合意にいたりませんでした。(昭和38年1月)
いろいろと場所の選定がおこなわれましたが、結局適当な場所は見つかりませんでした。
再び、養田地区との話し合いが持たれましたが、再度の交渉も妥結せず、昭和30年度から屎尿の一部は海洋投棄にふみ切らざるを得なくなりました。
ようやく、昭和40年10月に旧陸軍飛行場跡地の一部買収ができましたが、その後も、漁業組合・開拓組合・土地所有者の利害が錯綜し、交渉は難航しましたが、難産の末決着し、昭和40年12月24日市議会で承認されました。
場所は加古川市養田字養田開拓、地価は、坪5000円でした。
その後も、急増する人口に屎尿処理能力は追いつかず、昭和45年5月27日、西本町地区では屎尿があふれ出す騒ぎがおこりました。
昭和52年には一部海洋投棄を再開しましたが、その後施設は徐々に整えられていきました。
*写真:し尿処理場(養田)、
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます