尾上町をゆく(51) 陸軍航空通信学校尾上教育隊(1)
加古川は小軍都であったが、幸い大きな空襲から免れた、「もし」もう少し戦争が長引いておれば、大災害は免れなかったと思われます。
陸軍航空通信学校尾上教育隊(1)
浜国道がすぐ隣ですが、騒音は気になりません。静かです。
陸軍航空通信学校尾上教育隊施設跡(写真)は、松の木漏れ日の中で戦争があったことを伝えています。
陸軍航空通信学校尾上教育隊跡
加古川市尾上町の浜の宮公園(松林内)には、陸軍航空通学校「尾上教育隊」の兵舎の跡が残っています。ここで学んだ少年兵たちが住んだ兵舎の名残です。
ここの生徒であったKさんは、「外出できたのは一度か二度、夜は上官の制裁が日課のようでした」と厳しかった生活を証言されています。
航空教育隊は、昭和13年7月5日、朝鮮の平壌(ピョンヤン)で編成され新兵の教育を実施しました。
昭和16年2月5日、加古川に移駐し、その後、紹和18年9月17日、加古川航空通信学校として改編しました。
さらに、昭和20年5月3日、加古川で編成「陸軍航空通信学校」の教育隊として改編し、通信隊は、主として少年飛行兵の教育を担当しました。
1800名(跡地の説明板では、1500名)が在校しました。
また、昭和19年4月1日に新設された陸軍幹部候補生第1期生(旧制中学校三年修了以上)が入校しました。
*戦史研究家(上谷昭夫氏)の研究、参照
*写真:通信隊航空学校の跡地(現状)
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