石の宝殿の謎(2部) 石の宝殿界隈を歩く(18)
工楽松右衛門(2)・松右衛門は港づくりの名人
高田屋嘉兵衛は、エトロフを探検した後、箱館へ帰ってきました。
幕府の役人・三橋藤右衛門と箱館の港の件に及びました。一挙に具体的な話になります。・・・・・
藤右衛門は「嘉兵衛、箱館に築港はできるか」と、たずねたのです。
「箱館の浦を、いまのままにしておけない。箱館がいかに良港であっても、今後、三十艘、五十艘という大船を碇泊させるには十分ではない・・」と。
その時、嘉兵衛は、(工楽)松右衛門が港づくりの名人であることを、名前を出して言うのでした。
・・・・
ところで、「その松右衛門とやらは、箱館に来てくれるのか」と、藤右衛門はき尋ねました。
嘉兵衛は、「松右衛門が蝦夷地と松前を往来する廻船業の人だから、およびくだされば、やや齢はとっているとはいえ、よろこんで参りましょう」と答えました。
嘉兵衛は、(工楽)松右衛門の説得のため、兵庫の港に帰りました。
嘉兵衛、松右衛門を説得
さっそく、嘉兵衛は、松右衛門の店に寄ります。
嘉兵衛は、松右衛門に箱館港建設について、について話しました。
「なんじゃ、公儀御用かい」
松右衛門旦那は、いやな顔で反問しました。が、最後に「わかった」と、返事をし、箱館港づくりに応じました。
この時、松右衛門は61才でした。(次回へ続く)
*写真:工松右衛門(高砂神社境内)
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