石の宝殿の謎(2部) 石の宝殿界隈を歩く(11)
天川橋は残った
前回の続きです。姫路市の御着まで足を延ばします。
石工・仲右衛門は、江戸時代末に活躍した石工の一人で、巨大な石材の細工を得意としていました。
天川橋(姫路市御着)も彼(石工・仲右衛門)の作品として知られています。
天川橋の写真を撮りに出かけました。でも、現在の天川橋は、新しいコンクリートの特徴のない橋に変わっていました。
以前に石工・仲右衛門の記事をしました。読者のNさんから「天川橋は、御着城跡に保存され、HPにも詳しく紹介されている・・・」と、ご連絡を頂きました。
さっそく、探索に出かけました。
りっぱな仲右衛門のつくった旧天川橋が御着城の裏側(北側)にありました。
以下は、姫路市教育委員会の説明です。
「・・・姫路藩が文政十一年(1828)に、この地(御着城跡)より南西200mの旧西国街道の天川に架橋した。
竜山石製の太鼓橋、全長26.6m、幅4.4m、高さ約5mで橋脚5本。
印南郡石工、瀬肋・仲右衛門の作。姫路藩儒者近藤顧一郎撰の銘文が刻まれてある。
橋の東北詰めには高札場があった。
昭和47年(1972)9月9日の出水で中央部橋脚が崩れ橋桁が落下したため撤去し、昭和53年(1978)10月、現在地に移設保存した。
高さは地形に合わせて低くしてある。地形中央部の低いところは御者城の濠跡。
平成13年2月 姫路市教育委員会
*写真:保存されている天川橋(御着城裏)
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