石の宝殿の謎(2部) 石の宝殿界隈を歩く(19)
松右衛門、竜山石で箱館港をつくる
(高田屋)嘉兵衛は、小船でも渡れるエトロフ航路を開くが、これを契機として幕府は蝦夷地(北海道)経営に深くかかわっていきます。
蝦夷地経営の拠点としての箱館の港が重要になて、松右衛門は、嘉兵衛からの要請もあり、箱館の港づくりに応じました。
・・・享和三年(1803)、箱館は、松右衛門の設計によって、地蔵町(函館山の麓)の浜に築港し、文化元年(1804)に巨大な船作業場(港)をつくりました。
その作業場は、「船たで場」といい、木製の船底に付着している虫や貝をいぶして駆除し、同時に損傷しているカ所を補修するところで、現在のドックにあたります。
ドックの建設には比較的軟らかな石畳が必要です。
松右衛門は、耐火力もある竜山石(たつやまいし)を、大量に箱館に運び、「船たで場」をつくりました。
現在の函館の町づくりのはじまりは嘉兵衛が、そして、港をづくりは松右衛門が最初に手がけました。
船食い虫については『菜の花の沖』で、司馬遼太郎は次のように説明しています。
・・・「舟の敵は船食い虫という白い紐状の虫である。(中略)管から海水を飲んだり吐いたりして、酸素を摂取しながら、船底の木を食べ続ける。ともかく、すべて退治するしかない」と・・・
その後松右衛門は、エトロフ開発や蝦夷地交易に使ったこの箱館の地所を高田屋嘉兵衛に譲っています。
*挿し絵:箱館真景図絵(文久2年・1862)函館中央図書館蔵(挿し絵の上部の山は函館山)
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