OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

ねむの花

2020年07月10日 | 文化・芸術

病み切りて静かに逝きぬ合歓の花 はる

 

最後は長く患って逝ったという。

剣道柔道の高段者でもあったので、身体強く最後は往生際が悪かったか、生への悦びがあったのか。

7月7日、秩父は合歓の花があちこちにあって淡い紅を咲かせていた。

1977年まで生きていた伊昔紅。

生前には知らず。兜太の存在を知った頃か。その風体を一目見たかった。

息子の兜太にかくれている感があるが、面構えも兜太よりいいかもしれぬ。

 

その妻となったのも「はる」さんという。伊昔紅は本名元春。

「壺春堂」という医院の名は、今も残る王一亭の扁額「一壺春」にあるように、

一壺春耐可忘形 伯倫若有長生術

から採られたか。

それとも、懸壺済世、壺公の仙人からの「壺春堂」だったのか。

「春」は、自分の名、そして奥さんの名までもそこにはあるのだから。

 

伊昔紅の字はきちっと書けば書けて、いい。

ここにあるのは、軽く書いたもよう。伊昔紅のものだという。

冴え返るわが掛け声の何処へいく

 

新コロナが収まったら、秩父での地に足付けた生き方をここから吸収したい。

記念館として開館はしたものの、また改装途中でもある伊昔紅・兜太の生家だが、

夜、電気がついていたので覗いたら、保存会の方が快く招き入れてくれた七夕の夜。

また、ゆっくりと行きたいところだ。食事は伊昔紅から俳縁のある吉見屋のうなぎか。

 

北京から帰ってきて、仕事がない私は知人が設計した施設の現場監督になった。もちろん素人であるが、やればどうにかなるもんである。

そんな一時、左手首付近をちょっと切ってしまって、血が止まらない。

そこで伊昔紅の跡を継いだ千侍先生に治療してもらったことが懐かしい。

 

 

コメント
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