OGUMA    日々軌 小熊廣美の日々新

規格外の書家を自認している遊墨民は、書は「諸」であるという覚悟で日々生きている。

気楽に綴らせていただきます。

兜太逝きこの世さびしくなりぬ

2018年02月21日 | 日記
兜太先生が逝ってしまった。
この世の生命あるものが一瞬しゅんとして萎えたような感覚。

私は俳句の弟子でもないが、あの豪快繊細、素朴さ快活さを宗とし、気にしてきた大御所であった。

四半世紀以上前、私が中国遊学時代に日中和歌俳句シンポで宇咲先生を仲立ちに先生と面識を持った。帰国後、知り合いの設計した大きな福祉施設のゼネコン側の現場監督として秩父で日銭を稼いでいた一日、皆野の山中の民宿で、海程の句会が行われていて、安全靴はいたまま飛び入り参加、恥をかいたりしたのも懐かしい。その後、海程の若手の皆さんの句会に参加、いろいろ学ばせていただいた。

実家で母とキウイの話になって、「あのキウイは美味しかったねー」と。
あるイベント時、兜太先生のご自宅に先生を送り届けて、実家近くの皆野の山で育て奥様の皆子さんが大切に保存していたキウイをたくさんいただき、あの時のキウイの味は私も忘れられないおいしさであった。
そのことは一度前に書いた。

そんなこんなで時代は過ぎて、戦中派の先生の憂慮する時代になった。
昨年は、初めてであるが兜太先生の句を池袋コミカレで発表。随分縁遠くなり、そのまま伝えず。また不義理をしてしまったままだ。
代表句は目にするだろうが、「頭痛の心痛の腰痛のコスモス」はどうだ。これを書かせていただいた。

毎月、先生のふるさと秩父に行くが、これからなお先生を思うことがおおくなるのだろう。
弟子でもなく多少の縁をいただいたが、いまでもあこがれの心の師であった。
どこか受け継いで、生きていく。

宇宙はまた日本も春めいてきている。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする