お寺さんぽ Ver.03

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木に南と書けば…”楠”である (楠木正成)3

2009年12月17日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
南北朝時代を勉強中…ということで、時代の英雄「楠木正成(くすのき・まさしげ)※写真」についてお送りしております。
随一という戦功を上げ、数年のうちにこの世を去ることとなった、”歴史に残る戦術家”の活躍をご覧下さい。

交互に皇位へつくこととなっていた、「亀山天皇」の血族である”大覚寺統”、「後深草天皇」の血族である”持明院統”
両陣営が対立する中、後に吉野朝廷(南朝)を開くこととなる「後醍醐天皇」が即位。
精力的に活動する彼は実権回復のため倒幕を目指しますが、正中元年(1324)の倒幕計画に失敗。
続く元弘元年(1331)の計画も事前に漏れ、ついに”三種の神器”と共に京都を脱出したのでした。


奈良へと向かった「後醍醐天皇」
四十九の僧坊を持った笠置寺のある、笠置山にて挙兵したのです。
(※あちこち移動した結果、結局ここに落ち着いたというのが正確ですが)
しかし、兵を募った「後醍醐」の元に馳せ参じたのは、期待に反して付近の土豪ばかり。
幕府に不満はあったものの、まだその威光は健在だったのです。

そんな頃、「後醍醐」はある夢を見るのでした……
(※スピリチュアル風にお読みください)

庭に、一本の大きな常磐木(ときわぎ)がありました。
特に南に向けての枝が良く繁っており、その下には多くの貴族らが居並んでいます。
その木影に南面した玉座には、まだ誰も座っておりません。
なんだろう、と不思議に思っているうち、二人の童子が現われ…
これこそ天皇の玉座である
そういって、ふと消えたのでした…。

ここで目覚めた「後醍醐」
その夢を色々と考えるうち、
「木に南と書けば”楠”である」
と、気付きました。

そこで、付近の者に尋ねてみたのです。
「このあたりに楠という武士はいないか」
「河内国の金剛山ふもと赤坂に、”楠木多聞兵衛正成”という武士がおります」
「そうか、連れてまいれ」
…というやりとりがあったか、なかったか……。

ともかく、なんらかの歴史の奇跡によって、正成は「後醍醐」と運命の出会いを果たしたのです。
さして実績の無い彼でしたが、さすがに時代の英雄。
言うコトが違います。

私が生きている限り、ご聖運は必ず開けると思し召し下さりますよう…

こうして、地元に戻った正成は赤坂にて挙兵を準備。
同じころ、「後醍醐」の皇子「護良親王」も金峯山寺のある吉野山にて挙兵準備を進めるのです。
これら一連の事件が、いわゆる「元弘の変」なのでした。

⇒ つづく。
  次回は「存在さえも不確かな正成さま」 (4/16)
  

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※はい、こちらが元ネタです。
 深夜の時は見る機会があったんですけどねー。