お寺さんぽ Ver.03

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血統・コネを活用する上杉景虎 (御館の乱)4

2008年09月21日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
こないだより、軍神「上杉謙信」の後継者争いとして有名…なのかな、どうかなという「御館の乱(おたてのらん)」についてお送り致しております。

生涯で妻帯しなかった謙信には、上田長尾氏「長尾政景」からの養子「上杉景勝(うえすぎ・かげかつ)」、上杉・北条の越相同盟の際に本来は人質として送られてきた「北条氏康」の八男「上杉景虎(うえすぎ・かげとら)」という二人の養子がおりました。
(※今回写真は「上杉景虎」の兄「北条氏政」)
謙信の死後は利害打算、入り組んだ人間関係がため、それぞれ養子を擁立した二派は国内を真っ二つにして争うこととなってしまうのです。

天正六年(1578)三月、軍神「上杉謙信」死去。
素早く行動を開始した景勝は「春日山城」の本丸を占拠。
内外へ”謙信の後継者”であることを宣言し、約三万両といわれる遺産をも手中にしたのです。


一方、出遅れてしまった感のある、もう一人の養子「上杉景虎」
関東に覇を唱える北条家の息子さんだけあってか、なんだか呑気な感じなのです。
ともかく、負けずに兵を集めた景虎は、春日山城下の大場の地で景勝勢と激突。
その後、妻子を伴って「春日山城」を脱出し、前関東管領「上杉憲政」の屋敷へ向かうのでした。
こちらこそが、管領府「御館(上越市)」なのです。

ひでるさんはここがどうにも解せないんですが、御館って「春日山城」から目と鼻の先程度の位置なんですね。
しかも「館」という名称そのまま防御地点としてはほとんど機能しない程度なので、もっとちゃんとした城に入った方が良かったと思うのだけれど…”囲まれた”ということも書いてあったので、その隙がなかったのかなぁ。
あるいは、旧権威に頼った?はたまた「上杉憲政」を守護するため?
まぁ、いいか。
ともかく、こちらに立て籠もった景虎勢は景勝に対抗したのです。

こうして、越後から上野、さらには富山まで広がった上杉家は、それぞれを支持する二派に分裂。
ここに”謙信の後継者”を巡る、大規模な内乱へと発展してしまうのでした。


基本的に北条氏と縁深い関東軍役衆、そして長尾氏と因縁のある上杉一門は「上杉景虎」を、越後に散らばる国人衆らの大半は「上杉景勝」を、それぞれ支持しております。

まず、「上杉景虎」には関東方面の最高位であった「北条高広(きたじょう・たかひろ)」「北条景広(きたじょう・かげひろ)」親子を中心に、越後旗本衆「神余親綱(かなまり・ちかつな)」、景虎の側近「本庄秀綱」(※揚北衆の本庄氏とは別家)などが支持しておりました。
なお、景勝の実家上田長尾氏とは根深い確執があったとされる一門の筆頭格、古志長尾氏「上杉景信」も景虎を支持しております。
こんなんは興味深いですね。

さて、越後の有力な国人は「揚北衆(あがきたしゅう)」と呼ばれておりました。
彼らは坂東八平氏(桓武平氏)の流れを組む鎌倉御家人の末裔で、どちらも名門家が多かったため、下剋上で突然越後に君臨することとなった長尾家にはなかなか従わなかったのです。
…その最大派閥「中条家」を継いでいた婿養子、「鳥坂城(?)」の「中条景泰」は景勝を支持。
(※実父「吉江景資」の次男で、「吉江資堅」とは兄弟です)
川中島ほか主要な戦には必ず参加していた猛将「本庄城」の「本庄繁長」、「安田城」の「安田長秀」、後に旗頭となる「色部長真」も皆景勝を支持。
なお、色部家の家中では景虎を支持した者も多かったらしく、生き残りを賭けた家中の混乱が伺えます。

さらに、「五十公野城」の「新発田長敦」「新発田重家」兄弟は当初は景虎を支持していましたが、後に揚北衆を取りまとめて景勝側へ寝返り、大きく勝利に貢献しております。
しかし、その恩賞を不服として、後に重家は「織田信長」に通じて挙兵することとなるのですが…。

ほか、武田勢を二度も倒している「村上義清」の嫡男「笹岡城」の「村上(山浦)国清」、謙信の養子(※本来は能登・畠山氏からの人質)にして景勝の側近「上条城」の「上条政繁」らは共に景勝を支持。
(※「上条政繁」は信濃方面の司令官に任命されるなど重用されますが、後に「直江兼継」との確執で出奔)
奉行を務めていた、元越後守護上杉氏の直臣「鉢盛城」の「千坂景親」、越相同盟の際、人質として小田原へ赴いていた「柿崎晴家」らも景勝を支持。
さらに詳細は不明ですが、「柿崎晴家」はこの乱最中にて落命している様子です。
(※別説で信長に内通して誅殺というのもあります)

ほか、近江からの新参衆で謙信の側近、越中「魚津城」の守備「河田長親」、「石動城」の守備「吉江資堅」らは当初は中立の立場を保っていたおりましたが、後に景勝を支持しているのでした。

このように、上杉家中では国人衆に支持された景勝勢が目立っておりますが、景虎もその血統を最大限に活かし、国外からの支持を集めるなど決して侮れない勢力であったのです。

⇒つづく。
 次回は「連携!景虎を支援する周辺大名たち」(5/6)

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 うん、やっぱり育ちの良さというか、のんきさを感じるんです。