お寺さんぽ Ver.03

現在は更新をお休みしています。

鬼武蔵「森長可」と蘭丸くん (有能な秘書官・森蘭丸)2

2008年01月31日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は…「織田信長(※写真)」のとかいうより”小姓”と言われて真っ先に名前があがる(かもしれない)、戦国時代の有能な秘書官「森蘭丸(もり・らんまる)」です。
…だよね。

さて、織田家に仕えた蘭丸の父「森可成(もり・よしなり)」は武勇の才を発揮して城を任されるまでになりますが、近江・宇佐山城にて浅井・朝倉連合軍の攻撃を受け討死してしまいます。
その時、「森蘭丸」はまだ5才程度の子供だったのでした。

兄、嫡男である「森可隆(もり・よしたか)」は既に亡く(※父より早く討ち死に)、家督を継いだのは次男「森長可(もり・ながよし)」でした。
なお、この時の長可はまだ13歳程度の若者です。
しかし、父に劣らぬ類まれな武勇を発揮、伊勢長嶋一揆攻めで功を立てると、武田攻めなど各地の織田家主要合戦へ西・東と従軍して活躍。
いつしか、”鬼武蔵”と呼ばれるほどの猛将へと成長するのです。
ただ、このお兄ちゃんは弟「蘭丸」とは違って荒々しい猪突猛進な猪武者タイプであったらしく、華々しい活躍と共に失敗も多かったようなのです。
情にももろく、後に主君・弟の仇討ちに間に合わないうえ留守にしていた信濃の地を占拠されてしまったり、長久手合戦では部下の仇討ちにはやって討死してしまうのでした。

一方の主人公「蘭丸」ですが、歴史の表舞台へ登場するのはだいぶ後のこと。
小姓として側仕えになったらしい、天正八年(1580)頃なのです。
年齢にすると15歳程度の筈ですから、あの時代では初陣を済ませて大人の仲間入りをしたくらいですね。
…ちょっと意外ですよね?
なんかイメージ的に、もっと小さい頃から仕えていたのかと思ってました。

その経緯は資料ないので不明ですが、父・兄の活躍あってのことか、「蘭丸」に才を見いだしたのか、不明です。
あるいは、どちらの要素も含まれているのかもしれません。
なにしろ信長は、人質として連れられた「蒲生氏郷」の才を見抜いて小姓として取り立てた方ですから。
やはり、なにかしら「蘭丸」には感ずるものがあったのかもしれません。


信長付きの小姓として仕えるようになった蘭丸。
小姓というのは、単に世話係・雑用係というだけでなく、取り次ぎ(奏者)、諸事の奉行、使者などがあります。
伝わっているエピソードは後付けっぽいですが、何名かいる小姓の中でもかなり優秀だったのには違いないらしく、実際にわずか1年後である天正九年(1581)には近江で五万石を与えられるのでした。

※ちなみに、お名前をさんざん「蘭丸」と書いてますが、それ後世にイメージからつけられたものである様子。
実は、「乱丸」というのが本当であるみたいなの。
また、本来の名「森成利(もり・なりとし)」にも他に「森長定」などがあり、不確かです。
(※兄「長可」を考えると、「長定」のが正解かも。←信長の一字を拝領した?)

兄・長可は織田軍で重きを成し、弟・蘭丸は主君信長の側近として辣腕を振るうなど、父以上に順風満帆だった森家。
そのまま進めば、この「蘭丸」も先輩「堀秀政」のような存在になったかもしれません。
…が、しかし。

⇒ つづく。
  次回は「恐怖の主君「織田信長」と蘭丸くん」(3/3)

[関連記事] 【織田政権セット】
⇒ 人間五十年…の幸若舞「敦盛」
⇒ 滋賀県 「姉川古戦場」 (史跡探訪シリーズ)
⇒ 信長の正妻「濃姫」(京都・総見院)
⇒ 魔王の弟 「織田信行」 [    
⇒ 米のような必需人「丹羽長秀」 前編 後編
⇒ 天才軍師「竹中半兵衛重治」 (1)(2)(3)(4)(5)(6)
⇒ 海賊大名 「九鬼嘉隆」 [   
⇒ 文武二道・会津に適う人物 「蒲生氏郷」 [      
⇒ 信長に背いた男 「荒木村重」 [  
⇒ 坂本城址 (滋賀)
⇒ 迷う明智光秀「おみくじを引く人間心理」
⇒ 明智光秀の誤算「歴史を動かした手紙」
⇒ 謀反の理由は?「本能寺跡地」



 ★宜しければ応援クリックお願いします。  ⇒ 【人気blogランキング】


戦国BASARA2 英雄外伝(HEROES) ダブルパック(初回生産:戦国BASARAミニカレンダー同梱)

カプコン

このアイテムの詳細を見る

※ゲームにも登場する蘭丸くんなのです。
 何か妖しげな魅力があるんでしょうねぇ。