故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

賽の河原

2021-08-17 07:25:44 | よもやま話

「最初はいつも」(絵のタイトル)こうさ。
初めて女子を抱いたときも。
ありがとうと言われた時も。


積む石を 持てる幸せ 噛みしめる

今日のタイトルは、「賽の河原」です。
ここに来て6年、隣のばあちゃんは必死に(いや楽しみで)畑の草をむしり続けた。
畑の真ん中に少しだけ作物を植えた。
いつ見ても、草一本生えていない畑は見事であり感心した。

今年になって、ぱったりと草むしりをやめた。
息子さんから、「施設にぶっこむぞ」と言われたのが効いたのか、
妻が言うように、自分でも限界を感じていたのだろうか。

早朝、ばあちゃんの畑を眺めていた。
草で埋まっていた。
今なら、まだ間に合う。
丈の高い草を何分割に切って鋤込める。

カフェと自宅を含め、7軒と2反の畑の草刈をしている。
さらに2反の草刈は、自分の体力との相談となる。
仮に、草を刈り鋤いたとしても、来年は草で埋まることだろう。

「賽の河原」とは、言い得て妙である。
世間の苦労は、皆そんなものである。
放蕩息子を、ヤンキー娘を両親は投げ捨てただろうか。
命がある限り、守ったはずである。

明日ゴルフに行く。
体力温存と思ったが、やるしかない。
80歳過ぎの姉さんが、固くなった畑を鋤いてくれと頼みに来る。
わずか2時間の作業である。
畑には、野菜が植えられ花が咲いている。
あとは、出来るのである。

2021年8月17日

賽の河原とは、
(仏)小児が死んでから苦しみを受けるとされる、冥途の三途の河原。
石を拾って父母の供養のため塔を造ろうとすると鬼が来て壊す、
これを地蔵菩薩が救うという。
転じて、いくら積み重ねても無駄な努力。
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雨が降る、風が吹く

2021-08-16 06:28:43 | よもやま話

似顔絵のタイトルは、「雨のち晴れ」です。
毎日が、不安と満足の繰り返しです。
どちらも詩(うた)になる。


刈った庭 杏しそ巻 頬張った

長雨が続きます。
そして、低温です。
我が家のゴーヤの葉もまばらに伸びています。
今日のタイトルは、「雨が降る、風が吹く」です。

お盆には、静かにして働かないものよ。
妻が言います。
草刈がしたくても、出来ない日が続きました。
故郷は、連日水浸しです。
心配をしてくれる友人から電話がありました。

私は、歌うのが下手です。
だから、最初に歌う。
皆が、選曲をしている間に歌いきる。
あとは、皆さんの歌を聞きます。

雨が上がりました。
意を決して、草刈を始めました。
盆に帰れなかった隣の空き家の草を刈りました。
我が家の庭と山への道を刈る。
タンク2杯分。

風はないけど、通り過ぎたような気がします。
雲は動かないけど、歌が通り過ぎていきます。
世界中の言語で、「花が咲く」を合唱していました。
圧巻でした。

田んぼの稲が実る時です。
穂を垂れ、風にゆすられます。
一瞬、田んぼに風が作る絵画が現れ消えていく。
葉に乗る虫がしがみつく。

いつものように、朝餉にかかります。
待ち構えたように、ゴルフボールを弾きます。
風を切り裂き飛んでいく。

2021年8月16日
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終活

2021-08-15 02:27:54 | よもやま話

友人の孫娘です。
タイトルは、「決めちゃってくれました」です。
見たこともない孫の素敵な笑顔です。
幸、多かれ。


今日のタイトルは、「終活」です。
2009年に週刊誌で「終活」という言葉が使われたことから、広まったようです。
近い人の介護をし、見送る年齢です。
送られる順番が近い自らの生活も整理をつける時期なのでしょう。

働いて(勤めて)いる時は、明日もあると信じて馬車馬のごとくがぴったりでした。
男の人も女の人も同じでしょう。
むしろ、女の人が大変ではないでしょうか。
いくつもの役割をこなしておられます。
戦争がない今でも、男の寿命が短いのは女の人に少しだけのご褒美かもしれません。

一年以上使わないものは、移住(引っ越し)と共に、捨てることにしました。
棚に入って埃をかぶっているほとんどのものが、捨てるものです。
次の生活で必要なら、新たに買うことでしょう。

モノだけでなく、人心も整理しています。
お礼を言いたい人には会い、会えぬなら思い出しています。
やっとできるようになった。
時間的な理由より、経済的な理由が大きい。

そんな終活の真似事をしています。
すればするほど、フレッシュになり次のステップが見えてきます。
夢と欲は膨らむばかりです。
6年前の仕事ぶり(空き家の再生、耕作放棄地の開墾)は、もう無理でしょう。
無理なら、仕事を縮小してやるだけです。
豊富にある自由時間を細切れに使うだけです。
ただ、世間からどう見られているか(白髪混じりのくそ爺)だけは、肝に銘じておきます。
ブログを書き続け、「心の羅針盤」をじっくりと読み解いています。
恥ずかしい人生の軌跡です。
この先も路線変更なしでしょう。

目指すは、ランディ―・ジョンソンが言った、
’’Good’’ではなく、’’Great’’です。
誰もが到達できぬ遥かかなたです。
できなくてもよいのだよと、自らを慰めています。

2021年8月15日

<<終活とは>>
日本人の長寿化に伴い、老後の時間も長くなりました。
 仮に、大学を卒業する22歳から定年を迎える65歳までの43年間、毎年2,000時間(=1日8時間×週5日×50週)働くと累計86,000時間になります。一方、65歳から85歳までの20年間、毎日12時間の自由時間があると87,600時間(=12時間×365日×20年)と現役世代が働く時間を超えるのです。
 この長いセカンドライフを、自分らしく生きがいを持って生き生きと過ごすことはとても大切です。これから何をやりたいか、誰と会いたいか、どこに行きたいか、など整理してみることをお勧めします。それらの実現に向けて行動することが、充実した毎日を送ることにも繋がります。

 悔いのない人生だったと言えるように、また大切なご家族のためにも、上手に終活を行ってみてはいかがでしょうか。
(日本FP協会ホームページより)

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もうひとつの恩返し

2021-08-13 17:54:12 | プロフェッショナル

この子が、今日のタイトルに相応しいとは思わない。
どの子でも同じ印象である。
絵のタイトルは、「めぐりめぐって」です。


見た目より 巡り巡って 温もりに 

恩返しってなんだと、広辞苑を引く。
受けた恩に報いること。
(広辞苑より)

今日のタイトルは、「もうひとつの恩返し」です。
「受けた恩」というのは、年上の人や自分よりゆとりのある人や地域で受けたものと思いがちです。
ニートや都会で暮らせぬ若者が、過疎の村に引っ越してきた。
村人は、若者に何があったかを問わない。
寒村で暮らす独居老人の隣に若者が来た。
老人は恩返しに似たものを感じる。

金は天下の回り物。.
意味は、金は一箇所にとどまるものではなく、常に人から人へ回っているものだから、
今はお金が無い人の所にもいつかは回ってくるという励まし。
つまり、この場合の「金」は若者を差す。
暮らしが成り立たぬから、若者が出て行き過疎になった。
過疎だから、都会で暮らせぬ若者が入ってきた。
若者は、老人が丹精込めて作った野菜をいただく。
何にもできない若者は、老人から田舎の暮らしを学んでいく。
若者は、お礼を言うばかりで恩返しらしきものはできない。
老人は、「それは、反対」だという。
むしろ、自分が恩返ししなければと。

子供の恩返しは、4歳で終わっている。
目上の人が、若者に恩を売る時代ではなくなった。
目下の者(代表者は子供)が報いることでもなくなった。
「もうひとつの恩返し」とは、繋がりのようなものかもしれない。
毎年訪ねてくるボランティアに、今年はこれができたと伝えることが励みになる。
コロナ禍で、都会で暮らすのは辛いことである。
義務感を背負いリストカットを繰り返す。
こんな若者の逃げ場で良いではないか。
元気になった若者は、また都会に出て行くかもしれない。
または、地元に残り歯車の担い手になるかもしれない。

そんな仕組みをやんわりと創り広げるのが、地域おこしではないだろうか。
かつてのようには、もうならないのである。
かつての繁栄が正しかったとも言えない。
水は高きから低きへ流れるのである。
時には淀み、時代の激流に飲まれる。
ダムを造り、低きから高きへ水を揚げるエネルギーを使う必要はない。
空と森と海は、けっして急いではいない。
熱さえあれば、水蒸気となり上昇し、雨となって降りてくる。
その熱が何かを探る知恵と愛情が試されている。

2021年8月13日
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あんずしそ巻

2021-08-12 06:49:33 | よもやま話

絵のタイトルは、「できるかな、できるとも」です。
多感な少年時代。
島を取り囲む海が、私の閉塞感を助長していました。
台風の前、江田島湾に見たこともない船が30数隻避難してきました。
この海は、世界に通じていると実感しました。


縦を横 嫌いが好きに ぽこペンだ

今日のタイトルは、「あんずしそ巻」です。
川中島古戦場の売店で買った「あんずしそ巻」はこれから食べます。
杏は、栃木県でたくさん作られていると聞いた。
杏も紫蘇も素朴な食品である。
群馬の有限会社杏林食品が製造されている。

故郷に帰って、何を植えるか二人で話している。
加工できるもの(圧搾、乾燥、粉砕、発酵)で、B級品も活用できるもの、猪が嫌いなものなど
候補をあげることができる。
私は、「絞る物」を植えたい。
オリーブ油、荏胡麻油、菜種油、ヒマワリ油、椿油、ゴマ油やミカンの皮油などである。
搾油器(手動、あるいはモーター付)を買いたい。
1Kgの乾燥原料から300gも採れれば上等である。
さっそく、ネットで調べたところ1KW以下の電動負荷で自動油圧搾機が10万円前後で売られている。
手動式は数万円である。

妻は、紅八朔、レモン、ミカン、杏、柿など植えたいと言う。
それぞれ2本の苗木を植えれば十分である。
カフェをやらないから、大量の野菜は必要なくなった。
芋類(ジャガイモ、里芋、さつまいも、くわい、沖縄のイモ類)も病虫害の心配が少ない。
芋類は猪の大好物である。やるなら彼らと知恵比べになるだろう。
千葉県では、猪に積極的に餌をやって、作物を荒らさないように工夫している話も聞いた。

海に囲まれた島である。
週に何回かは釣りができる。
多く釣れても捌く(売る、近所に配る)ことはできないので、
乾燥(一夜干しの冷凍品)して、友人に送る。
あるいは、海風で乾燥(粉砕も追加)して煮干しなどの調味料として使うこともできる。
昔は、貝も豊富に獲れたが、砂浜も侵食され獲れないらしい。

たまにパン、ピザ、お好み焼きを焼き、地域の人に配ることができればよい。
これまで、旬のいろんな野菜、果実や木の実を入れて焼いた。
どれもB級品を利用した。
売ることは考えていない。

絵を描き、小説も書けるだろう。
特に、広島にある郷土資料館に足を運び、郷土の歴史(特に戦前戦後)や人々の暮らしを学びたい。
ひょっとしたら、70歳で芥川賞も夢ではない。

「あんずしそ巻」のように、ひと工夫した食べ物を作れればよいと考えている。
東北で採れて西国には届かないもの、逆に西国で採れて東北には届かないものが多くある。
そんな食品や果物を双方に紹介したい。
量は必要ない。
わずか数箱の宅急便代で私達の交通費が出ればよいのである。
年に数回は、東北の友人たちと、また東京の友人たちと交流したい。
東北でゴルフをし、広島で釣りができるよう健康と体力を維持したい。
船舶免許も10万円前後で取得できるようなのでチャレンジしたい。
中古船舶は溢れており、繋留代金も年に数万円とリーズナブルである。

私達は、さらに忙しくなるだろう。
エンジニアリング、カフェ、耕作放棄地や空き家の再生、地域活性活動すべてが生きる。
これまでも困難を楽しいことに変換できた。
きっと、できるだろう。

2021年8月12日

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