故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

なんでんなか、笑顔だっちゃ。
毎日、空雑巾を絞り上げてやっと一文をものにします。
絞る(搾る)の意味を調べたけど長かったので文末にします。
赤子が、出ぬ乳を搾るように飲もうとする。
栄養不足の母の心境たるやどんなものでしょう。
赤子は、ついにあきらめて眠る。
絞り染めという技法があり、一度きりの風情を見る。
今宵が最期になるかもしれぬ、男女のいとなみを連想させる。
袋の口をしぼる。ここまでよと話しと興味を終わりにさせる。
わいわいと騒ぐ袋の口を絞る決断やいかん。
何しろ、毎日絞り出しています。
絞る袋の周りには滴のような面白いがにじみ出てきます。
その面白いを取り上げているにすぎません。
その絞るエネルギーが何かということです。
真剣に生きたいなのか。
ゆるゆるのときこそ、じゅわーと湧いてくるものなのか。
ルーチンワークを仕上げた後に、台所の机に向かいます。
頭をかっらぽにしてやるルーチンワークは、潤滑剤のようなものです。
頭の整理には最適です。
大事なところでクエスチョンマークの上司から年賀状が届きました。
「その節は、お世話になりました」と返事を書くのかと迷っています。
今朝も外は寒いだろうな。歩くと氷になった残雪が割れる音がするだろうな。
こんなタイトル(絞り出す)にふさわしい絵手紙があったっけ。
結局、毎日絞り出す動機が思いつきませんでした。
ブログを書かないと気持ちが悪い。
毎日変化する想いを残したい。
大変なんだけど、凄いでしょうと思ってもらいたいのか。
感動を伝えたい。伝える練習をしているとも言える。
まあ、稽古のようなものです。
アスリートが、毎日身体と頭を鍛えるようなものです。
体重が、ベストより3Kg増えました。
絞らなければならないでしょう。
菜を洗う 家族の笑顔 なんでなか
2018年1月8日
絞る(搾る)とは、
絞めつけたり、押し付けたりして中の水分を出す。
・ねじりしめて水けを出す。
・物を圧搾して液をとる
・まぶたを強く閉じて、涙をはらう。
・涙を流す。ひどく泣く。
無理に出すようにする。
・出せない声を無理に出す。
・むりやり出させるだけ出させる。
・能力などありったけのものを出す。
厳しく攻めたてて、脂汗の出る思いをさせる。
厳しく訓練する。きたえる。
絞り染めをする。
弦(つる)を十分に引いて弓を強くたわめる。弓を強く張る。
たたみよせてくくる。
拡散したものを小さくまとめる。
・写真で、レンズの開口をせばめる。
・話題・対象をそれに限定する。
・スピーカーの音量を小さくする。
相撲で、相手の手を自分のわきに挟んでしめつけ、力が出せないようにする。
しぶり腹の下痢をする。
(広辞苑より)

楽しそうに、のんびりと何かを見ています。
興味があったんでしょうかね。
今日も書きだすまで、相当な時間を要しました。
今日のタイトルは、「役に立っているか」です。
そのことのために十分適している。
用をなすにたる。
(広辞苑より)
私の職業は、「地域おこし協力隊」です。
就職して、二年が過ぎようとしています。
さて、私は役に立っているか。
答えは、簡単ではない。
生きていて、人の役に立っている、地域のためになっていると
実感なんてないと言った方が良い。
ここに来て、やったことは廃屋二軒を住めるようにして、使えるようにしたこと。
通りの価値を高めたいと、草刈りをして剪定し風通しをよくしたこと。
耕作放棄地を耕して、野菜を植えたこと。
会った人の似顔絵を描いたこと。
地域の人が儲かることをした訳でもないし、元気にしたこともない。
かつてのように、地域内で回っていたサービスとお金が回れば良いと考える。
しかし、経済のネットワークは、地域内から日本へ世界へと広がっている。
その広がりに応じて、人も流れている。自然の成り行きである。
さて、話を戻そう。
「そのこと」も「用をなす」もゴール(目的)があって、
適している(役に立っている)か判断される。
「地域おこし」のゴールは、今日まであいまいなままである。
一方的な流れ(人口、経済、情報など)が、せめて双方向になればと考える。
そんなことは百も承知でこの仕事を選んだ。
採用されるまでの半年間、いくつかの自治体と採用を巡って話してきた。
足りないものの補充と、誰かが儲かる話ばかりだった。
ここに来て、いくつかの組織のイベントを手伝った。
「地域おこし」の一つと誰もが信じて参加しているように見えた。
だけど、私の心を打つものは、お盆祭りと奉納相撲の二つであった。
誰もが、「おらが町」を自慢する行事です。
私は、ゴールについて、誰かと相談することを一時やめることにした。
二年目にして、住むことと友人を増やすことを選んだ。
地域を回す歯車になりたいと思った。
縁側のようなカフェをオープンした。
売れ残るパンと、賞味期限を迎える食材でお好み焼きを作って地域に配った。
お礼に野菜をいただいた。野菜の作り方を教えていただいた。
友人を紹介してくれた。知り合いになった友人の似顔絵を描いた。
似顔絵の主が、来店してくれるようになった。時には友人を連れて。
いただいた野菜で、パンやおまかせ料理を作るようになった。
捨てると聞いたB級品をいただいて、美味しいものに加工し、また配った。
美味しいものを、もう一つ欲しいと言う方が現れた。
都会から、外国から来られる人と地域を結んだ。
両方の似顔絵を描いて、その人だけのカレンダーを作って渡した。
自分たちで作った野菜やいただいて持て余していた野菜を都会に送った。
都会から美味しい物と情報が届いた。
地域の人と一緒に飲んで食べて笑った。
私のゴールはいまだに見えない。
自分がこれからも住みたいと思う地域になった。
飲んでも歩いて帰られるからと、カフェを利用してくれるようになった。
一緒にパン焼きをしよう、編み物をしようと妻は地域に呼びかけている。
やってみたいと地域の方が言われる。
こうすればできると、地域の方と一緒にやっている。
「役に立っているか」は私が談じることではない。
蜜めぐり あぶらとありが 共に生き
2018年1月7日

この風景を見て、故郷に恩返しをしなきゃ、したいと思いました。
朝は、しなきゃから始まる。
食器を洗い、洗濯をしてご飯を炊く。
元気が出てきて、ブログが書けて朝餉を作る。
夜は、したいで終わる。
風呂に入って温まりたい、飲みたい、眠りたい。
今日のタイトルは、「したいとしなきゃの繰り返し」です。
したいばかりでは、ゴミの山になってしまいます。
片づけなきゃとなります。
何をするにも、着ること(防寒対策)から始まります。
何かをしている途中でも、手指を温めながらとなります。
面倒でも習慣となればなんということはない。
したいがしなきゃに負けることがあります。
小便にいかなきゃと思いながら、ぬくぬくの布団から出られない。
毎朝のことで、困ったことです。
私は、しなきゃを片づけてからしたいとなる方です。
妻は、したいが優先でしなきゃは後回し派です。
バランスが取れています。
よって、私は年中皿洗いと洗濯が係です。
したいが、次から次に洗い物を出します。
しなきゃが、洗って追っかけます。
片づけて、手指を温めて次のことをしたいとなった頃、何々をしてと頼まれます。
おおい。とぶつぶつが始まります。生返事が続くようになります。
危ない。バランスが崩れてきました。
ここです。
しなきゃは、やめなければなりません。
したいにシフトした方がよい。
心の機微の変化を読み取る。
これが思いやりです。
よろしくね。
言い過ぎた 後悔するも 受けて立つ
2018年1月6日

のんびりした顔立ちです。
幸多かれと祈るばかりです。
薄氷を踏むようなピンチを多く経験しました。
ここでダメか、もう駄目かと何度も思いました。
後から振り返れば、今のこの状態が転げ落ちているかもしれません。
今日のタイトルは、「ピンチはチャンス」です。
何を能天気なことを言っているんだと叱られそうです。
ピンチになると、誰も立ち止まります。
何か変だぞと、予兆を感じるものです。
未知だが、突っ切るか。その覚悟をします。
あるいは撤退を選択します。
この一瞬立ち止ることが、大事なことでした。
無謀なことをしたな。簡単には降りられぬところまで昇ってしまった。
ここから先のことを冷静に分析する。
残されたカードを切れるか。そしてあるのか。
命さえ助かれば良い。あとはすべてを捨てる。
いっぱい欲張ってきました。
守るものも多かった。
俺にはこれしかないな。と気づきます。
多くのことを諦め、一つを選択しました。
世話になった人を裏切ってしまう。
私はそうして生きてきました。
長い人生の中で経験したピンチでした。
今でも、世話になった人に恩返しはできない。
だけど次の世代の人にはできるかもしれない。
しがみつかなくて良かったと、思える時が来るかもしれない。
そんなことを考えながら、チャンス到来を待っています。
今がその時かもしれません。
しようと思えばできるのです。
ピンチの時にいっぱい学びました。
だから、こうして生きています。
生かされていることは、何かをやりなさいと
言われているような気がしてなりません。
山茶花が ぽとりと落つる 赤でした
2018年1月5日

昨年もそうでしたが、前髪を垂らした女の子が実に多いと感じた。
昔は、前髪ごと後ろでまとめていたように思うが、古いか。
今日のタイトルは、「甲斐甲斐しい」です。
かいのあるさまである。思いどおりのさまである。
有能である。頼りがいがある。
骨身をおしまず、てきぱきしている。はりがあって、いきおいがよい。
(広辞苑より)
「甲斐甲斐しい」という言葉は、死語となるであろう。
私の知る限り、この言葉は女性を褒める言葉としてあるように思う。
また、上のものが下の者を評価するときに使う言葉でもある。
男女雇用均等法の後は、女の人も男と同じように働けることになった。
主婦という言葉さえ、今や女のひとの憧れの職業となった。
今日は、賀詞交歓会があり一年ぶりに背広を着た。
出かける一時間前に、妻から普段着で行くのと言われ、「きょとん」とした。
やっぱり駄目かなと思い直し背広を着た。
収納場所と状態が心配であったが、やむを得ない。
一人で仕度をすることにした。案外できるものである。
妻は夫のスケジュール(どこで何をするか)を把握しており、
それに相応しい服装なり、用立てなりをするものと考えるのは
古いと言わざるを得ない。
稼ぎが少ない癖に何を偉そうに。とは言わないまでも。
自分のことは自分でするのである。
子供に言っているではないか。
忸怩たる思いがあるものの、思い直すことにした。
私達は、60歳で再婚したのである。
60歳まで、自分が服装にどんなに無頓着であったか反省をした。
一人で生きる力をつけてから、結婚することである。
玉手箱 60の手習い 道険し。
2018年1月4日