故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
今日のタイトルは、「あなたは、休めますか(Part3)」です。
休むことに関心を持つインターバルが定常化してきています。
あらためて、休むことについて書きます。
過去、2回の「あなたは休めますか」では、
休むことが難しい状況では休んだ方が良いと書いています。
今回は、休まなければならないと思うようになったことについて書きます。
仕事はきりがありません。
気にかかることもきりがありません。
こんな状況でも、頑張ってきました。
頑張ってきたから、今があるとも言えます。
反面、頑張っても良いことはありませんでした。
ほとんどの場合、空回りでした。
いやいややる仕事は、結果が伴いませんでした。
やっつけ仕事になりがちでした。実がないとでも言いましょうか。
風邪をひく。
風邪を引ける状態になったということです。
風邪さえひけない場合が多かった。
この辺りでは、「さなぶり」や「ちゃねんぶつ」といって、
定期的(示し合わせて)に休まれます。
昨日も、カフェに80歳を越えたお母さんたちが4人集まりました。
食べて飲んで、大いにおしゃべりを楽しんでいかれました。
長い間、「働くために休む」を繰り返してきました。
そうではありませんでした。
堂々と、「休むために働く」と考え直した方が良かった。
南の国では、シニエスタといって長い昼休みをとります。
休むことが優先です。
休んでばかりいられないから、働くような感じです。
次の休みには何をしようか。
疲れて、寝るだけの日曜日でした。
家族とどこかへ出かけると、月曜日を休みにしたかった。
休みを楽しめていなかった。
休みこそ、生きがいのはずです。
自分を殺す必要はないのです。
「ありときりぎりす」の話がありました。
長い間、ありのように努力しなければならないと信じていました。
この頃は、きりぎりすこそ本当の生き方をしていたんじゃないかと思います。
笑ってこそ 脳が働き 見えてくる
2017年11月10日
<<参考記事>>
2017年6月21日投稿記事「あなたは、休めますか」
時として、頑張らない方が良い時があります。(抜粋)
と書いています。
2017年8月30日投稿記事「あなたは、休めますか(Part2)」
出来ることなら、休んでやった方が良い。
思いつくことも、焦がれることも、数十年後には空手形です。(抜粋)
と経験を書いています。

「毎日がおりゃてなもんで」と実につまらぬ自画像です。
今日のテーマは、「ボランティア」です。
市の広報に載っていた高校生の見解、
「ボランティアは無償のお手伝い」ではなく、
進路に対する考えを深めたり(高校や大学の単位に含めれば良い)、
人生を豊かにするもの(まさにこの通り)に変えたいと言っていました。
ボランティア仲間の分裂を時々耳にします。
立ち上げた時のメンバーだけが残り、
新しいメンバーが入って来ないとも聞きます。
震災以降、ボランティアの数は激減しています。
但し、嘆いていない。
まだ手伝ってくれてる人が多く(コップに半分の水)いて、助けになっている。
どうしても足りない専門職の代行や、
むしろボランティア自身の生きがい(挑戦)になっている。
震災時、茫然自失の状態の時、多くのボランティアが来て、
流れた廃材を、同じくあってはならない泥を片付けてくれた。
なんとか、自分たちでもやろうと言う気になった。
これです。
地域おこしはビジネス(仕事)である。
少なくとも、挑戦(プロジェクトとして)であり、生きがいである。
奉仕活動は、時々「やってやっている」(無償のお手伝い)になってしまう。
やらせていただきます(自己研鑽)。とはならない場合が多い。
カフェを開店する前に、ひたすら草を刈り剪定(竹抜きも含む)をしました。
地域の方は、何が始まったと不思議な顔をして通り過ぎて行かれました。
誰からも声がかかりませんでした。放って置いてくれた。
毎日が楽しくて仕方がなかった。
私のような人種(職人、プロジェクトエンジニアー)は、
成果が見える仕事を好みます。
誰にも言わない、独りだけの楽しみでした。
それがばれちゃった。
そんな面白いこと、俺にも手伝わせろいう方が出てきた。
そんなに言われるなら、手伝っていただきます。
やはり、何らかの職人の方々でした。
そして、忙しい方々でした。
金を払おうとしました。
そんなら手伝わないと言われました。
それはいけません。
私たちができること(パン焼き、お好み焼き)でお返しをしました。
それは、気持ちよく受け取ってくれ感謝されました。
回らくなった(金とサービス)田舎です。
回る手助けをするのが、ボランティアかもしれない。
仕事柄、外から目線で見て、内から発信してくれと良くお願いされます。
それは、無責任な評論家のやることです。
汗をかかぬものが発信しても伝わらない。
カフェを開いても、SNSや報道(新聞、テレビ)で
集まった遠くの人じゃ意味がない。
まずは、近所の縁側です。
時々来られる地域外の人(薬売りのような方)と話ができれば良い程度です。
暇な人この指とまれと言ったって、誰も来ないのです。
何だか面白そうだな。
本当にやれるのかと皆さんが見ておられます。
おらが町にもう一つ面白いことが始まった。
これこそ挑戦です。
独りよがりの面白いことなんて続かない。
こうしたらいいんじゃないと、カフェに来られる方が言われて行きます。
そうですね。そうしましょうと、どんどん変わっていきます。
こんなはずじゃなかったはありません。
目的がしっかりしているはずだから。
目的は、実にシンプルです。
縁側を作りたい。
内の人は外が見え、
外の人も内が見える。
彼女を口説こうとカフェに来られるお客さんがいます。
それも良しかな。人間のやることだもの。
テーマは、「ボランティア」でした。
屁をひとつ 静かなカフェに 鳴り響く
2017年11月9日

歳をとると、努力して笑顔を作らないと、
近づきがたい表情になりがちです。
一生懸命の笑顔です。
こうして書くことが出来るようになりました。
今日のタイトルは、「ほらほら、また痩せられた」です。
この2週間というもの、開店準備の頃のように忙しかった。
今年の1月に、蔵を借りる契約が成立しました。
借りたいと意思表示して、4カ月を要して契約ができました。
蔵の中に溜まったゴミを出すのに1か月かかりました。
蔵の中をほぼ空っぽにして、業者と改造方針を詰めました。
自分が描いた設計図を基に、業者にどうしたいか相談しました。
雷の被害を調査した後、電燈をLEDにし、動力線(100V,200V)の引き回しをしました。
レイアウトに合わせ、配管(給水、排水、ガス)を引き直しました。
なるべく明るく安全な家庭のような一体感のある空間を大工にお願いしました。
畳をもらい受け、1ヶ月間陽に当てて臭いを抜きました。
ソファを置き、椅子(2人掛け、4人掛け)を並べ、畳(6畳)を敷きました。
子供連れが安心して食事ができる空間を目指しました。
20人のお客さんが顔を見ながら話ができる空間。
2人連れのお客さんのプライベートの会話ができる空間。
外構(ウッドデッキの手直し、車椅子で入れるアプローチ)をやりながら、
安全、安心に主眼を置いた(階段の手すり、蔵の戸で目隠し)工事をしました。
予算の都合から業者都合優先のスケジュールで1ケ月を要しました。
設備(電気オーブン、ミキサー、お好み焼き台、シンク、テーブル椅子など)や
備品(食器、料理器具、棚など)を揃えました。
足りないものは、軽トラックで川崎まで買いに行きました。
安全衛生教育を受講し、保健所に通い「食堂」の営業許可証をもらいました。
開店の知らせのビラを印刷(1500枚)し、メニューを作りました。
出す料理とパンの試作を繰り返しました。
何とかできるようになった頃、近所の方と協力者を別々に招待し試食会をやりました。
2か月はあっという間でした。予算を遥かに超える費用と労力がかかりました。
金の工面をつけ、妻と二人だけの奮闘が続きました。
見かねて、友人の多くが手伝ってくれました。
今回は2週間のドタバタ劇でした。
やれるかな、やれたじゃないと多忙を楽しめました。
妻から、再三「こんなことを始めて」と愚痴もでました。
コミットしたからには止めるわけにはいかない。
体力の限界。張り詰めた気持ちの維持。
また、良い経験をさせていただいた。
結果、ご褒美のような体重減(4Kg)でした。
楽しまなきゃ、楽しませなきゃがモットーです。
なんとか乗り越えられました。
なぜできたか。
死んだまんまの空き家に入った経験が生きました。
人が亡くなると言うことは、誰も片付けなければ、
生活をしていたそのまんまということです。
全然知らぬ8枚の遺影が見下げる居間で寝ることから始めました。
いつか片付けようと思ったまんま亡くなられていました。
私たちが、片づけ傷んだ箇所を修繕しました。
そして、大量のゴミを捨て、クリーニングをしました。
長年(6年)放置された背丈より高い庭の木を剪定し、
竹と雑草が伸び放題の庭を開墾しました。
ついでに前の山の低木と雑草を刈りました。
これが実に半年かかりました。
都会の空き家(不動産屋が管理)と違うところです。
「ほらほら、また痩せられた」でした。
畳陽に 赤子ハイハイ 立ち歩き
2017年11月8日

「うふふ」というタイトルの絵です。
丘一面に、コスモスが咲いていました。
どの子を中心にしようかなと写真を撮りました。
今日のタイトルは、「嵐のような一週間」です。
まだ後片付けが終わっていませんが、なんとかこなした感じです。
コミット(宣言、約束)したら、やり切るしかない。
妻が淹れてくれたブルーマウンテンを飲みながら書いています。
カフェを始めて半年が過ぎました。
ブルーマウンテンはないのかと言われて仕入れましたが、
売れたのはたった三杯です。
ないのかと言われたお客さんは、それ以来来られませんでした。
カフェは、予約のお客さんで連日大忙しでした。
朝からパンを焼くも昼間のお客さんは来られません。
天気が悪いと来られるお客さんも少ないようです。
夜の仕込みに精を出せるので、ちょうど良いなんて気楽なもんです。
ところがこの一週間は、
横浜と東京から11人のお客さんが我が家に来られ大忙しでした。
チュニジアと中学校の国際交流授業、
収穫祭への出店、チュニジアダンスのお手伝いでした。
ダンサーの中には、私たちより先輩の方々も多かった。
ボランティアでやっておられます。
頑張っておられました。
来年も再来年も続くと良いなと願います。
来られた皆さんも私達も一つずつ歳をとっていきます。
どうでしょう。
初霜がおりました。
急いで、里芋とうづら豆の収穫をしました。
もてなし料理用の野菜を畑から収穫し、美味しいと言ってくださいました。
里芋は、まだ半分残っています。今日、掘らなければと計画しています。
忙しい日々はまだまだ続きます。
パン用の粉を製粉工場から直接購入することが出来るようになりました。
7年前に、製粉機械の営業をしていました。
若いお客さんが、新製粉工場建設の担当でした。
そして今はその方が社長さんです。
直接、社長に依頼しました。
その方も忙しい中、対応してくださいました。
ビール機械の営業担当もしていました。
ビール工場の若い人達と大勢で飲みに行きました。
若い人たちは、次から次に偉くなっていかれました。
本社に行かれた若い人を訪ねると、大事にされました。
人生、一勝一敗です。
目先のことを考えた営業はしなかった。
ひたすら若い人達の応援をしてきました。
何があるか分からない。
自分が売った機械が挽いた粉で、パンを作るなんて思いもしなかった。
忙しい中でしたが、嬉しいこともいっぱいあった。
コミットしたことは、どんなことがあってもやり抜くのが流儀です。
妻には、苦労をかけています。
こんな人生を送るなんて想像もしなかったことでしょう。
ありがとう。
中学生の皆さんと約束した似顔絵描きに精を出す日々が待っています。
そんな中でも遊ぶことだけは忘れません。
ゴルフで負けたのが悔しいから。
「嵐のような一週間」でした。
里芋は 干して土とれ ばあちゃんが
2017年11月7日

団塊の世代という絵です。
教室に溢れていた生徒たち、今や各教室20人足らずです。
時代は、急速に変わっています。
何時の時代もそういわれてきました。
それぞれの時代で一生懸命です。
今日のテーマは、「無人化」です。
中国で、無人コンビニエンスストアのビジネスが伸びているそうです。
日本でもローソンが、ロボットなどを使って、
無人化に向けて試験販売を始めた。
何処で買っても同じ値段の煙草を、毎日一個だけ同じコンビニで買いました。
あのおばさんから買いたいからです。
コンビニまで10分で行けないと、コンビニ難民と称されます。
約500mの中に、一軒のコンビニがあると生活できると言われています。
食べ物の他に、税金も払え住民票も打ち出してもらえる。
ばあちゃんが、少しおめかしをして
乳母車にすがりながら歩ける距離が500m(=50m/分x10分)です。
夜中に流行っているうどんやがあると聞きました。
自動販売機から熱々のうどんが出てくるそうです。
どうしても午前中だけ店を閉めて、店主は病院に通わなければならない。
その間、活躍するのは惣菜も生活用品も売る自動販売機です。
インターネットで在庫管理、衛生管理をするのは、都会の会社です。
料理が作れない独身者が利用をするのがコンビニ弁当です。
塩分が強いため、なんどか緊急入院を繰り返す糖尿病患者の話。
沖縄で見た、何も買わないおばあが、店先の椅子に座って、
何時間も友達と話していた。
一昨日話した小学校の校長先生は、できるだけ地域でものを買うように
先生方に話しているとか。
点と点の生活を線にして、地域にとけ込んで欲しいと願っている。
タイで見た、バイクの洗浄業者。数十円で洗ってもらっている間の
しばしの談笑。
30年も前に見た、スイスでの自動給油スタンド。
1コインでガソリンを入れていた。
日本では、無人の改札か自動改札。
ヨーロッパの多くの国で、高速道路に料金ゲートがありません。
駅にも改札がない。
レストランやホテルに行くと、チップを渡していた。
今は、チップがサービス料として自動課金される。
それぞれの国々が、長い間の経験からこれがあったらよいなと始めました。
それぞれの地方で、困った末に考え出された知恵です。
安いレクサス(トヨタの高級車)は売れないそうです。
それぞれの人にこだわりがあります。
だだっ広いスーパマーケットで買い物をするだけで疲れてしまう。
関連商品は、近くに置いとけと言いたい。
独りの満足を集約化はできない。
対人商売が廃れない理由です。
「無人化」はもろ刃の剣です。
使い方を間違えると、自分が傷つくことになります。
JR東日本が開発した自動販売機は、多くの利点があります。
カメラで買う人の顔を見て、おすすめ商品が液晶画面に表示される。
各飲料会社の売れ筋商品だけを置いている。
スイカで支払いができる。
インタネットで在庫管理とマーケッティングをしている。
駅中にスーパーや本屋ができ、今や体操教室までできている。
駅から出なくてもいろんな用事ができる時代です。
それには、階段を上がり降りする体力が求められます。
だから、弱者のために各駅では、エスカレーターやエレベーターを設置する。
エスカレーターの半分は、人が走っている。
走る奴のために空けた通路に人が乗れば、同じ人数を運べるのにそうしている。
しかも関西は左を、関東は右の通路が走る奴のために空けてある。
ボヤキのような、「無人化」考察になりました。
どうか、それぞれの「独りの満足」だけは忘れないでほしい。
そのうち、線路わきのスペースに太陽光パネルが設置され、
高速道路には、振動式の発電パネルが埋められ、
通過すると同時に、自動給電される電気自動車が走るのだろう。
繰り返しになりますが、「無人化」と便利・満足は別物です。
多くの利便性が、お客をつかむと同時に、失うことになります。
さてどちらを採りましょう。
そのうちに 猫が小判で 餌買った
2017年11月1日