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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

いつまでも怖い恩師

2015-12-21 05:05:43 | 思い出話

80歳を過ぎての手習いです。

恩師を訪ねました。
昔話に話が咲きます。
こんな先生がいた。
昔はこうだった。

いかん。
眠くてたまりません。
飲み過ぎのまま、あわてて帰省し、したいことを立てつづけにしたので疲れていたのでしょう。

私は、コンピューターを出し、自分の絵手紙作品を見て頂きました。
初めは、山国川の絵を、次に一番気に入っている太平洋(静岡の海)の絵を見ていただきました。
恩師の目がきらりと光りました。興味を持たれたのです。

海の波の横の線。空の斜めに走る線がこの絵に力強さを与えている。
褒めてくださいました。
私は、自分で描いたこの絵が好きでした。私は何故好きなのか自分ではわかりませんでした。
恩師が解説してくださいました。
中国新聞を出されてきて、海面を飛んでいるさよりの写真を見せてくださいました。
なるほど、海面は横の線の波です。さよりが斜めになり、空中を飛んでいます。
絵には、横の線と放射線状に伸びる線が必要で、その線が絵に力強さを与えると再度解説してくださいました。
先生は、若い時絵を勉強され、子供達に図工の楽しさ、絵の楽しさや音楽の楽しさを教えてくれたのでした。
ぼんやりの私は、その時は夢中になりませんでした。

私の絵手紙は、60歳を過ぎての手習いです。

話は転じて、コンピューターの話になり、「ペーパーレス」をしていると言われました。
携帯電話などの支払明細書をネットで検索すれば、明細書の郵送は必要ありません。
おまけに100円安くなります。
私は、ブログを読んでいただきたくて、お気に入りに登録していただきました。
操作は妻の役でした。
先生は、「Windows 10」の解説本で勉強していると見せてくださいました。
いつからですか。
2年前から勉強していると言われました。
コンピューターの先生は、村の若い人であったり、孫さんです。

恩師は、私達が訪ねた日が偶然にも87歳の誕生日でした。

驚くというより、怖ろしさを感じました。

絵手紙の解説しかり、コンピューターの手習いについても、まさに脱帽でした。
最敬礼で、恩師の家を後にしました。

島の道 沢から風が あたまなで

2015年12月21日

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広島市郷土資料館

2015-12-20 06:42:35 | 思い出話

広島市郷土資料館に行ってきました。

市民の足、路面電車は実に便利な乗り物です。
朝夕、渋滞になっても路面電車の軌道だけは空いているのです。
すいすいと止まることなく走ります。
昔は、手すりを掴んでよっこらしょと、乗り込んだものでした。
今は、電車の床と電停の床の高さが同じです。

県病院前で降りて、頼々亭の中華そばを食べました。
実に懐かしい味です。横浜から来たと伝えました。
先代の親父さんの写真が飾っていました。
親父さんは、3日3晩煮込んだ濃い豚骨スープをあっさり味で食べさせてくれました。
金糸卵が山のように盛られていました。
お腹透かしの高校生にとって、この世のものとも思えない旨いものだったのです。
夢中で食べ進むにつれて、もうこれだけしかない、もっと食べたいと思ったものでした。
同じ気持ちで、大盛を頼みました。間違いでした。
スープこそ昔より薄味になっていたけど、麺の量は同じでToo-much でした。

広島郷土資料館にくるのは、民俗学の資料(特に本)が豊富だからです。
瀬戸内海のものに限らず各地の歴史や民族について、実にユニークな資料があるのです。
毎日通って、本の虫になりたいくらいです。
先人たちは、なんと詳細に大胆に残してくれたのでしょう。
忘れていた私の本の虫が、起きだしてきました。そろそろと牙をむきだしそうです。
東京に帰ったら、さっそく図書館に通おうと決めました。
特に民族学に関する資料が読みたいのです。

ここに来る理由は、もう一つありました。
小説「さなさん」を書いたとき、恩師から調べたのですか。と問われた時からです。
追い込み漁の話をなにげなく、焼玉エンジンの話、小船で本船まで渡した話、
砲台の話などについて記憶を頼りに書きました。
一片の真実は、無限の想像を遥かに上回ります。
そうです。私は吉村昭のように調査しなかったのです。
「さなさん」を書き上げた後に、この郷土資料館で、記憶の検証をしていたのです。
ほっと、胸をなでおろしたのを昨日のことのように思い起こします。

今日も、恩師に会います。妻と一緒です。
絵手紙を見て頂こうと、コンピューターを持ってきました。
画像フォルダを一枚ずつ観て頂こうと思います。
恩師は、市の展覧会によく作品(油絵)を出されていたそうです。
いつまでも、恩師は怖いのです。そして優しいのです。
90歳に近いはずです。

眼力に ちじみ上がりし 還暦子

2015年12月20日

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60過ぎ、再婚の是非(Part3)

2015-12-19 04:27:06 | よもやま話

いつもは、安心して酔っぱらえるのに、昨日は相方に先にやられてしまった。
よって、私の酔いは後回しになりました。

飲み屋さんには、多くの訳アリの人が来られます。
ママも独り者、お客さんも独り者です。

いつものばばあの店である。
私は、ことさらお年寄りが経営される店を好むのです。
気がおけて、料理が旨いのです。料理がまずかったら取得はないのです。

ばあさんは、鹿児島出身です。お客さんは地方の方が多いようです。
まあお母さんのようなものです。昨日は娘さんもおられました。

死別にしろ、生別にしろ孤閨を守るのが一般的です。
相方も奥さんを亡くされて20年とのことでした。
子どもの弁当を作らなければならなくなって困ったそうです。
初めは、コンビニ弁当を買って来て、弁当箱に詰め直したと聞きました。
子供を男手一つで育てたのです。
言ってみれば、必死で育てたのでしょう。
再婚のチャンスを探そうにも、それどころではなかったのでしょう。
昔なら世話好きばあさんが、見かねて新しい女性を紹介したりしたのではないでしょうか。

今日のテーマは60過ぎの再婚の是非です。
過去、同じテーマで2度書いています。

最初の記事は、コミュニケーションのことから始まりました。
子供が巣立った後の独り者は、孤独になりがちです。
二度目の記事は、新たに結婚するのは経済的な負担が増えると書きました。

今回は、ではなぜ一人を選ぶのか考えてみます。
最初にも書きましたが、どうやら守ってきた家族の中に
異分子を入れたがらないとでも言いますか、そんな雰囲気があるのです。
子供が巣立つ時は、パートナーの出現に家族全員がオーケイです。
しかし、新しいお母さんやお父さんとなると話は別になります。
これは、子どものパートナーと違って、家族が増えることにはならないのです。
こちらは、取られるとなるのです。つまりお父さんかお母さんがいなくなると同じなのです。

そんな雰囲気のなか、私は家を出ることを選択しました。
これは、イーブンの考え方です。減るでもなく増えるでもなく。
お父さんは、少し長い出張に出ている感じです。時たま帰って来るのです。
昔のお父さんと同じです。出張先に、新しい女の人がいるみたいな感じです。

こんなことでは、家族は成熟しないと考えます。
娘のパートナーは、いつまでも「ますおさん」状態です。
60歳を過ぎても、新たに結婚することは家族が増えることなのです。
若い人たちが結婚するのと同じなのです。
認めるべきだし、歓迎することなのです。
このことを見落とすと、60歳過ぎての結婚は家族にとって不幸なような気がします。
家族は、今いるメンバーだけではないのです。増えたり減ったりしてきたのです。

母の3回忌のため、今日から広島に帰省します。
日頃から、あんまり仲が良いとは言えない兄弟です。
しかし、母の前では頭(こうべ)を垂れるのです。
亡き母が合わせてくれるのです。母とて昔は赤の他人だったのです。
それが縁あって、父の嫁となり私達の母となったのです。

再婚は、家族が増えると歓迎できればその結婚はうまくいくような気がします。
そうでない場合は、難しいかもしれません。
家族から離れる分、さらに孤独になるかもしれません。
私は、あきらめず家族に働きかけるつもりです。
私達は、素晴らしい新しいメンバーを得たのだよ、皆で喜ぼうと。

ほろほろと 結び目解けて また結ぶ 

2015年12月19日

<<参考>>
2015年2月3日の記事、「60過ぎ、再婚の是非」と
2015年12月2日の記事、「60過ぎ、再婚の是非(Part2)」をご参照ください。





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百本のばら

2015-12-18 06:47:58 | よもやま話
  
久し振りに横浜の家に帰ってきました。
妻と老犬の仏壇の前で、よく寝ました。

コンピューターがありません。
息子のコンピューターがちゃぶ台の上に出ていました。
スイッチを入れました。インターネットでブログにつながりました。
なにしろ、お気に入りに「お父さんブログ」とありましたから簡単でした。
息子は、私のブログを読んでないという割に、お気に入りに入っていました。

昨夜は、末娘がみそ鍋をしてくれました。
私が買ってきたセブンイレブンの惣菜と併せてにぎやかな夕食になりました。

二番目の娘が、プロポーズされた話をしたがっていました。
あまりに唐突なので、息子、末娘と私は戸惑いました。
視線が泳いでいました。

この夏、二番目の娘はいきなり宣言して同棲を始めました。
同棲かい。と初めは鼻白んだものでした。
思えば、私達も同棲です。娘に注意もできません。

百本の赤いばらをもらった場所は、モーターショーらしい。
プロポーズの相手は車の開発者らしい。
娘は、彼の要請で車のそばに立って、モデルの手伝いをしたとのこと。
車のトランクに百本のばらは仕込んであったらしい。
モーターショーのために来た彼の仲間の前で、
娘は、そのばらをプロポーズの言葉と一緒にもらったらしい。

娘は、思い出したのか上気して話していた。
話が少しずつ呑み込めてきたのでした。
仕方なしに、皆はよかったねと言いました。
身内ののろけ話は、なんとなく恥ずかしいのです。
息子と、一本500円としても5万円だねと密かに話しました。

内心、これで二人かたづきそうだ。と思ったものでした。
お姉ちゃん、早く籍にいれてもらいなさい。
財産は半分自分のものだから。と末娘は、ぼんやりの姉に勧めていました。

いい話を聞きました。
あきらめていたブログが書けて良かった。
もうすぐ、息子が仕事に出かける時刻です。
起こさなくても行くから感心です。

木蓮の 家出た我が家 今実家

2015年12月18日

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憎まれっ子世にはばかる

2015-12-17 03:01:47 | よもやま話
玉ねぎの赤んぼです。いつしかすくっと立っていました。


「憎まれっ子」とは、皆から嫌われる生意気な人のこと。
「はばかる」とは、幅をきかす。のさばること。
と広辞苑に出ていました。

老犬の墓石を探してきました。
亡き妻の墓石はまだです。

皆から愛される一人と一匹が先立ちました。

順番から言って、次は私です。
憎まれっ子なので、順番を外すかもしれませんね。

冒頭の絵は、玉ねぎのちび坊主です。
株分けしたときは、土の上に横たわりもう駄目かと思いました。
水を吸い、栄養をとり、いつの日か立ち上がっていました。
それに、古い小さな葉は枯れて、次なる若葉が出ていました。
生命力を感じました。
こちらは、憎まれっ子ではありません。

藤沢周平の小説、暗殺の年輪(文春文庫)の中にある「ただ一撃」という短編小説に
刈谷範兵衛という年寄りが出てきます。いつもは、洟を垂らす爺さまです。
嫁三緒に懐紙で拭いてもらうのです。
藩では、士官に来た武士に手合わせした藩内でも屈指の若い侍がことごとく敗れてしまいました。
ある日、範兵衛の昔を知る家老の依頼で訪ねて来た武士に、試合に出てくれと頼まれるのです。
爺様の自信に気づくのは、嫁だけです。
洟たれ範兵衛は、夜陰疾駆する天狗となり、その試合に「ただ一撃」で勝つのです。
藤沢周平作品を読み続けるきっかけになりました。

憎まれっ子をやっつけるヒーローのような小説でした。
世間にいる役に立ちそうもない、爺様の眼光に時々驚くことがあります。
差し違いも辞さないという迫力です。

憎まれっ子世にはばかる。
まだまだ、長生きしたいと思います。
娘たち、息子たちいかがでしょう。

椿花 ぽとりと落ちる 人知れず

2015年12月17日

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