故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

ゾーリンゲンと和包丁

2020-01-28 03:55:58 | プロジェクトエンジニアー

自宅と思しき屋根より高い農地です。
斜めに鍬を打ちながらそばを作っています。
タイトルは、「そばを作る人」です。


国際的という言葉に触れることがよくあります。
世界は広いということか、
世界で生きることを指すのか、
はたまた世界に恩返しはできないかと考えることなのか。
杉山家三代の報道を観て考えさせられました。

今日のテーマは、「ゾーリンゲンと和包丁」です。
外資系機械メーカーの営業をしている頃、初老の日本人営業マンが展示会を訪ねてくれました。(10年前)
この方が、現役バリバリの頃、大手ビール会社に外資系の機械を売りまくってくれました。(30年前)
敬意を表して、次の年も展示会の招待状を出しました。亡くなって行けないと奥様から返事が来ました。
30年前から、この方を知るドイツ人のマネージャーが日本を訪ねた時、一緒に仏前を訪ねました。
鎌倉にある家で、いろいろと懐かしい話をしておりました。
訪ねる前に、ドイツ人を浅草に案内し、近くにある台所資材・機材を売る横丁を案内しました。
そこで、彼は和包丁(鋼三枚の合わせ包丁)が気に入り、砥石と共に買いました。
そのことを奥様に話したところ、チェコに仕事で赴任していた頃、ドイツで買ったものがあると、
ゾーリンゲンの包丁を出されてきました。今でも重宝しているとする包丁は10本近くありました。
それから数年間、ドイツから来る年末の挨拶品(チョコレートとカレンダー)を鎌倉まで届けました。

スイスのナイフ、スウェーデン鋼の車体など、世界の鉄の歴史と産物は古く広い。
私は、30代の頃、数年間もみ殻と格闘したことがある。
やっかいな農業副産物のもみ殻を工業資源として活用する機械の開発に携わりました。
国の援助もいただき、大手金属会社(販路担当)と共同して粉砕機を作りました。
もみ殻を粉砕(150マイクロンの粉~動物薬キャリア材の大きさ)することで、用途は飛躍的に広がりました。
籾殻粉は、炭カルに代わる塗料の原料として、大手自動車会社が興味を示しました。

問題は、もみ殻を強固に保護するリグニンとガラス質のケイ酸でした。
リグニンは、粉砕環境を150℃以上にすることで解決しました。
ケイ酸はやっかいで、もみ殻を粉砕(エクストウルーダーを使用)するとき、
粉砕スクリューが摩耗することでした。

名だたる鋼メーカーにスクリューの開発依頼をしました。
550℃でじん性マトリックスを出した100万円もする鋼製スクリューも200時間でお釈迦でした。
安来の鋼(刀に使う)も試しました。これも同じ結果でした。
ホウ素化合物をスクリュー表面に析出させて試しましたが、母材ごとめくれあがってしまいました。
一番摩耗が進む先端部にセラミック部品を取り付け試しました。
セラミックの脆さをカバーする設計力がなく、18秒で破壊されました。
なんとか市場に出すために、先端部スクリューを比較的安価な精密鋳造品(はくせん)にし、
あとのスクリュー本体は焼き入れ品としました。

ゾーリンゲンは、一枚刃で鋼そのものが固くて強いものでした。
和包丁は、両側の軟鋼で真ん中の刃金を挿んだ三枚刃です。固さと靭性を備えていました。
どちらも切断する能力は、優れていました。

洋の東西で、古くから使われ始めた鉄製農機具です。
杉山直樹が、インドの砂漠地帯の緑化に成功しました。
ヒマラヤ山脈につながるインドの国道一号線沿いに、ユーカリの木を植林しました。
地下水をユーカリの木の根が吸い上げ、不毛の地を灌漑する。
ユーカリの木は、木炭となり鉄の鋳造に使われる。鉄は農機具となり、包丁となる。
古くから日本に伝わる「治山治水」をインドの地で実現しました。

私は、この地で剪定した枝は暗渠に利用し、カフェで出た食物残渣を農地に返しています。
気の遠くなるような農業です。年々腕も上がり種類と収量が増えています。
採れる野菜は余すことなく、都会の捌ける友人に送り、カフェでおまかせ料理として使っています。
杉山三代のスケールには到底及ばぬものの、地産地消に微力ながら取り組んでいます。

故郷にある田畑は、耕作放棄地となっています。先祖代々が築き上げた段々畑です。
私に何ができるでしょう。

遠き山 目指して三代 登りきる

2020年1月28日
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