故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

誰かに話す

2022-03-03 10:53:39 | よもやま話

絵のタイトルは、「これからぞ」です。
我が家の雛人形です。


ひなまつり 我が家の姫も 仲間入り 

三回目のワクチンを打ちました。
畑仕事は激しい運動だから、と考え控えました。
気になっていた松の木の剪定をすることにしました。
ワクチンのせいか、脚立の昇り降りが応えたのか、熱も普段より5分あがり、疲れました。

今日のタイトルは、「誰かに話す」です。
義(長)兄が、義兄の面倒を引き受けてくれと、亡くなる時かみさんに依頼しました。
かみさんに協力し、義兄の食事一週間分を作り、毎週彼の家の冷蔵庫に保管しました。
かみさんも同じ年に亡くなりました。
私は、依頼ごとを引き受け、約7年間義兄が亡くなるまでサポートしました。
借地の上の持ち家を壊し更地にするまで、さらに5年かかりました。

在宅で治療を続けたい義兄の希望をケアマネージャーに相談しました。
悪くなると入院する。出てきても、週三回透析をしておりました。
義兄が入院中、病院の事務の方が金の管理をしてくださいました。
ケアマネージャーのアイデアでヘルパーさんが、糖尿病用の食事を作り置きしてくれました。
私は、海外出張前に食材を届け、帰国したら空港から直接義兄の家に行き、食材を届けました。
借地権を売り、家を解体する。
義兄が約束していた負の遺産の処理もありました。
司法書士事務所が、理解を示してくれ、5年かけて相続から各種手続きをしてくれました。

私にはなんの知識もありませんでした。
都度、関係する方に面会し相談しました。
「誰かに話す」以外なかったのです。
亡くなる前に葬儀屋さんに相談し、
亡くなった後は、お寺さんに相談しと言った具合です。
義兄のサポートをした12年間で、私は3か所に住みました。
途中から一緒になった、妻にも助けてもらいました。

運が良かった。
そうとも言える。
私は、「誰かに話す」ことで救われたと思います。
周りの誰もが、心配してくださいました。
「誰かに話す」ことで、プロフェッショナルの方々の知恵を借り、惜しみなく協力してくれました。
コロナ禍で、コミュニケーションがとりにくくなっております。
面会がだめなら、手紙を書いたり、病院と同じメニーの食事を作り味わう。
温もりの所作や想いは、きっと伝わるはずです。

さらに友人は減り、読み慣れた小説の作家も減っていくことでしょう。
義兄のサポートで、世話になった方々はすべて年下の皆さまでした。
独りで抱え込むことはありません。
誰かに話せば、その方ができなくても、何かアイデア(共感)をいただけます。
独りで決め込むことはありません。
様々な知恵と工夫が、温かくしてくれます。

2022年3月3日
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