
絵のタイトルは、「無言で語るおんな」です。
テレビが気になり、妻の話が耳に入らない。
自分が話す番になったら、妻は居眠りです。
これって、何なの。
「聞く耳、話す目」と自分でも気づいています。
今ある状態を、いったん横に置いて、「どうしました」と何故言えない。
「聞いてもらいたい」に、正面から向き合うことから始めます。
似顔絵を描き始めてから、相手の小さな変化に気づくようになりました。
残像記憶の最たるものです。
今日のタイトルは、「野菜と話す」です。
この時期、野菜はあの手この手でアピールします。
十分大きくなったから、収穫しておくれ。
朝見たら、もう少しかなと感じたきゅうりが、夜には肥大化していた。
昼間は、葉がしおれているように見えました。
水分蒸発を防いでいたのでしょう。
その証拠に、朝露の頃はパリッとしています。
ある日、ピーマンが倒れていた。
水をやり、肥料を足しました。
もう支えきれないと、根が浮くように倒れます。
支柱を足してやると、「そうなんですよ」と元通りの元気な姿です。
水分補給しようと、毛根を伸ばす。
「いつでもくれるもの」と野菜に思わせない。
したがって、じゃぶじゃぶと水を上げない。
ほら見たことか、根腐れしたじゃない。
野菜は話さない。
野菜のアピールをより感じる猛暑です。
野菜と話すことに夢中になり、暑さで疲れたのか妻と話せない。
出会った頃に求めた、水が滴(したた)る「話す目」に向き合ってない証拠です。
朝昼晩と表情の違いに気づかない。
妻は、いつも同じと思い込んでいる。
その証拠に、奥さんの似顔絵に、「これは、誰?」と気づかない。
写真のようには復元できないけど、気づかない表情を切り取っているでしょうに。
声しか聞いてない。
その辺りにいるだろうと、空気と暮らしている。
毎日の愛してるの発信に、「聞き飽きた」と返す妻です。
それでも、口角があがったのを見逃さない。
2025年7月9日