絵のタイトルは、「洗い清めて」です。
彼女と初めてのデートで国分寺跡の湧水を訪ねた。
水はきれいに決まっている。
今日のタイトルは、「どこまでがきれい」です。
都下昭島に住んでいるころのことです。
夏が盛りになるにつれ、水道水のカルキ臭が気になり始めました。
市内に住む同僚に確認しました。
彼のうちでは、臭いはしない、美味しいよと言われました。
我が家は浄水場に近く、彼のうちは街はずれでした。
多摩川上流にコーヒー用の湧水を取りに行っていました。
途中にあるキャンプ場はごみが散乱していました。
ここはだめだと、さらに上流に行きポリタンクに取水しました。
ある日、さらに上はどうなってるのと、車で林道を上がりました。
ぽつんとテントが一張り川沿いに見えました。
それ以来、コーヒーの水は水道水にしました。
島の水は、日中はお湯です。
皆が使いだす夕方になり、やっと普通の水温になります。
海辺の衆は、山水を山の衆から分けてもらえませんでした。
海辺の友達のうちに遊びに行き、飲料用の井戸水を飲みました。
塩味(えんみ)が残っていました。
青年海外協力隊に参加した先輩に聞きました。
東南アジアの村では、水瓶(みずがめ)を一回たたいてから柄杓で掬うと聞きました。
ぼうふらがびっくりして沈んだところを取水するそうです。
かみさんが料理をする。
異物を舌で感じて取り出します。
それで、なんでもない。
汚いものが見えなくなりました。
悪口以外は聞こえなくなりました。
左を見て、右を見て、もう一度左は視ません。
「どっちが早いかの」と老人が島の道を渡ります。
間に合わないときは、睨んで車を止められます。
歩く時もけっして後ろは確認しません。
方向指示器なしでギュンと枯葉マークが曲がります。
皆がわかっています。
やーれ、馬鹿が蜜柑の苗をまた植えたと
80歳のばあさんが、90過ぎの爺さんをなじります。
夫婦喧嘩は、近所に筒抜けです。
近所が100m先だから、気になりません。
どこまでがきれい。
それは、生きてるものが判断する。
2023年7月30日