国分寺跡の冷水で、菜を洗っていました。
冷たい水に手を入れて、「おいしくなあれ」と念じるのです。
タイトルは、「洗い清めて」です。
心も洗われました。
今日のタイトルは、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」です。
意味は、
苦しかったことも、過ぎ去れば全く忘れてしまうことのたとえ。
また、苦しい時には人を頼み、苦しさが去ればその恩を忘れることをいう。
(広辞苑より)
哀しみも歓びも長続きはしない。
臥薪嘗胆と言って、悔しさを忘れぬために薪の上に寝る。寝心地が悪い。
肝を干して舐める。苦みが悔しさを思い出させる。
こんなこと、誰もしない。
早く寝ても、夜更かしをしても、起きるのはこの時刻、早朝4時頃となる。
ある人は、夜寝られないと悩む。この人に、昼間電話すると、いつも寝ぼけ声です。
他人から見ると、バランスは取れている。夜中に起きだし、考えることは「孤独」です。
「孤独」、これ幸いと日頃できないことをやる。
習慣となると、いささか具合が悪い。
私は、苦しい時(例えば、タイトルが思い浮かばない)は、ルーチンワークをすることにしています。
昨日できたことが、今日できるとは限らない。
晩秋になり、冷え込んでくると寝床から出られぬものです。惰眠をむさぼりたい。
昨日、草刈り機のタンク3つ分、草刈をしました。腕も腰も張っています。
頭では容易(楽しいこと)だった草刈が、身体はきついと応えてくれます。
ブログが書けない日があります。
順繰りにして、夜が来た。飲んでしまえば、寝るだけです。
長いレンジで、考えたり思い出したりする。
返す当てのない恩返しです。返そうにも相手がいない。
結局、孫に返すことになる。甘くなるのも当然です。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、よいのです。
恩を仇で返す。こんなこともあるでしょう。
親の希望通りの人生を歩む子供は、高がしれている。
反発、大いに結構。子を持てば、同じことの繰り返しです。
誰だって、初舞台です。特に恋は、いつも「どうして、こうなん」です。
昨日の喜びも悲しみも、今日は忘れている。
ひょっとしたら、明日(大いに未来)思い出すかもしれない。
平凡な生活を毎日繰り返すことです。
なかなかできるものじゃない。
お袋の味が忘れられない。ふとした時に、舌が思い出す。
宝くじで、百万円当たった。あの喜びは消え去り、今日は一億円の夢をみる。
私達は、阿呆です。
そして、とても利口です。そんな訳ないよな。
具合が良いことばかり続くことが不満となる。ここまでくると、阿呆の珍物です。
結婚はゴールじゃない。厳しいスタートでした。知らぬどおしがチャンチキおけさです。
美人は三日で飽きて、ぶすは三日で慣れる。こんな自分勝手なことを言いだすのです。
奥山の ことりと落つる 滝滴
2020年10月20日
<<あとがき>>
思い出せば、苦汁ばかりが喉元にむせ返ります。
ささやかな幸せで、飲み込みました。
それでもいつの日か、またむせ返る。