「あなたに会いたい」というタイトルの絵です。
昔の思い出が彷彿と思い出される。
華麗故に少しもの悲しい物語です。
私のブログは、「生きる」ことについて多く書いています。
生きようとする人を応援する記事であったり、叱咤する記事であったりします。
自分に対する戒めのようなものです。
青虫が、炎天下のコンクリートの上を地味に這うような生活です。
視ていていじらしい。
したたかに獲物にたどり着き、むさぼるように食べる姿です。
負けじと日々退治する。
そんな繰り返しの毎日です。
今日のテーマは、「昔取った杵柄」です。
若い頃に身に付けた餅をつく腕前は、年をとっても体が覚えているため衰えないことから。
(故事ことわざ辞典より)
認知症になった老人がいます。
何度も徘徊を繰り返し、役所や警察の方に自宅まで送り届けていただいています。
「これこれの特徴の方がいなくなった」と有線放送で呼びかけた後は、
知り合いの方が、「どこへ行くの」と声を掛け自宅まで送り届けてくださいます。
それでも、毎朝出かけます。
日焼けして、脚は鋼鉄のごとくしっかりしています。
山に行くための訓練をされています。
彼は、昔山岳ガイドでした。
歩くのは、生きる証のようなものです。
暑い日も雨の日も傘を差して出かけます。
息子さんに、「あそこから、ここまで」と行動範囲を制限されています。
時々は思い出すが、ほとんどは境界を越えてしまいます。
地域の方が、家の中から田んぼの畔で見守っています。
あの人は、今日も歩いている。
今日は来ないな。
心配だ。
盛大にかいている鼾が、時々無音になる。
あれ、大丈夫かとじっと覗くようなものです。
またかき始めた。よかった。
様々な生き方があります。
どれも精一杯です。
時々、笑えるな。
そんなことを切り取るようなブログです。
私も青虫のように、臭いを嗅ぎつけ獲物を探し、
たどり着き、息をつき、
むさぼりたいと日々思っています。
花の頃 卵産みつけ 栗に虫
2017年9月30日