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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

故郷へ恩返し

2014-09-28 03:28:16 | 故郷再生

001      老犬ジンの水浴、孫と
私の故郷は、広島の島です。
吉幾三の有名な歌、俺は田舎のプレスリーに出てくる一節。
「信号もね、俺はこんな田舎は嫌だ。」と故郷を40年前に出てきました。母の法事に帰って見た故郷の変わり果てた姿。あの段々畑は、山に帰っていました。鏡のような海面と温かくて爽やかな日差しは昔のままでした。
少し残った耕地は、柵で囲われていました。中には、電流が流されている柵もありました。駆除されない獣達から、収穫物を守るための柵でした。
原爆が落とされて荒廃の地となった広島へ食料を送り続けた島でした。より高く段々畑は伸びていきました。その段々畑は、戦前の姿まで戻っていました。広島から30分のこの島でも、さらに人口減少が加速されています。残った年寄りたちが櫛の歯を抜くがごとくこの世を去っていきます。廃屋だけが増えていく島の現実です。

この島、故郷に役立つことはないものかと思い、ブログを始めました。この島に帰ることが、役に立つ一番の道ではないかと思いました。しかし、故郷を離れて40年、今更のこのこと帰られる場所でもないのです。年齢を重ね子供達が独立した家族にできることはあまりないのです。帰って、議員にならないと変えられないことなのかと考えもしました。横浜に家を作り、東京で生活をする今、どれも現実的ではありません。

一つ思いつきました。私には、故郷を思う気持ちがあります。そして、文章を書くことができます。「故郷再生の物語」はどうだろうと考えました。村おこしのヒントになればと考えました。

「さなさん」は、そんな気持ちで書き始めました。故郷の賛歌となっています。戦中の砲台作りがモチーフです。軍都広島を守備する最後の砦のような砲台の構築でした。登場人物の伊藤金得は、学生時代の恩師今はなき先生の名前をいただきました。一度も使われることが無かった島の砲台です。島の人達の、特に子供達の生き生きとした姿を書きたかったのです。

次は、何を書こうかと思います。
あの荒廃した段々畑の再生プロジェクトです。橋が唯一の交通手段、2000m2以上の平たん地が存在しない島でもできる産業の構築がモチーフです。地震や自然災害は少なく、四季を通じて変動のない気候を生かしたプロジェクトはないものかと考えました。思いついたのは、兵庫三田地区にあるコンピューターのサーバー基地がモデルです。雨が少ないため、太陽光発電には向いている地域です。コンピューターには不可欠の安定した電力を作るのは、あの段々畑です。地震が少ないのがヒントです。通信手段の光ケーブルは、海底ケーブルでも橋を通してもできます。大きなインフラ工事は必要ありません。蜜柑畑に太陽光発電のキットが並ぶ姿は異様でしょうか。パラボラアンテナはいかがでしょう。
人が、頭脳が動くだけであれば高速艇で十分です。国際都市広島であれば、外国人の頭脳を集約できます。温暖な土地は、外国人にも好まれるはずです。周りには、たくさんの島があります。狭いけど太陽光発電のためであれば土地は無尽蔵です。こんな夢を描くことも故郷への恩返しになるのではないかと考えます。

2014年9月28日

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