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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

捨てる神あれば拾う神あり

2021-04-19 06:07:18 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「去る者は追わず来る者は拒まず」です。
過去にとらわれず、しなやかに未来を生きたい。


春一番なのか、雨に続き大風が吹いた。
トタン屋根の一部が、風にあおられカフェの前の道路を転がっていた。
空き家の小屋のトタン屋根と壁を補修した。
隣りの空き家の窓ガラス(一枚戸)が割れ、テレビのアンテナが屋根から落ちた。
どこまでやったら良いのか迷いもあるが、草刈に邪魔だし獣の棲み処になっても困る。
アンテナは細かくして燃えないゴミで出し、ガラスの代わりにべニア板を打ち付けよう。

今日のタイトルは、「捨てる神あれば拾う神あり」です。
もうすぐ移住の準備です。
田舎に住んでいた親の遺産を都会に根を張った息子が継承する。
都会の人が持つ空き家の、何とか住めそうな家と敷地が売れそうである。
買いたい人に、「それでは困る」と、売主は悩みの種である農地と山もつけて売りたいという。
買主は、そんな(負の遺産)のいらない。
話は決裂するかと思いきや、
「いいでしょう。家が気に入っているから畑も山も一緒で買いましょう」
「荒れた畑の維持経費もかかるから、値引きしてほしい」
「助かった。応じましょう」と話は急展開で合意となった。

「待った」と仲介業者(地元の不動産屋さん)が言う。
「あんた(売主)は、畑にある墓(8基)も一緒に売ると言うのか。それはない」と注意する。
墓の持ち主(一部で2基)である、地元に住む遠い親戚に、売主は「墓守」を依頼し、畑を譲渡する。
畑の売買も譲渡も、持ち主が変わる時農業委員会の許可が必要となる。
優遇税制を受ける(20年間だったか)農地転用は、慎重に施行される。
売主が持て余していたやっかいな畑を、買主は買わなくてもよくなった。
売主は、一気に長年の心配事が解決した。

不要物が、我が家にも溢れている。
移住の際、必要なものは限られている。
鍋釜など、毎日使うもの、少なくとも一年以内に使うものだけになる。
あとに続くのは、趣味の一品である。すぐに続けることに限る。
あとは、捨てる。必要とするものがいれば、「使って」とあげることになる。
土地が変われば、その土地に行き求めればよい。
その土地でも不要となり溢れているものが、新しく住む者にとって必要なものである。

子供がいない義兄の持ち物であった、都会の古家を解体する。
墓守がいなくなった都会の墓も継承した。
都会にある私の持ち家は、息子に譲った。
都会にいたら、怖気づき何もできなかっただろう。
まんまの空き家を片づけ、住み、耕作放棄地を耕したから勇気が出たのであろう。
悩むことはない。どうしたいか強い意思で想いを発信すればよい。
歳をとり、虎の子は限られている。
捨てたい人のやっかいものを拾うことになった。
大事に使わなければならない。

友人は、継承した親の財産(家&畑)を、無償で住みたい若者に譲った。
その後を、友人に代わって見届けた。
新しい住人が大事に上手に使いこなしていると、友人に報告した。
友人は、安堵し喜んだ。

息子に事の次第を逐一伝えることにしている。
近い将来、彼が背負うことになるであろう、厄介ごとをKnow-howごと伝えようと思う。

伝えるは 価値と想いで ものならず

2021年4月19日

<<あとがき>>
「捨てる神あれば拾う神あり」とは、
一方で見捨てる人がいるかと思うと、他方で救ってくれる人がいる。
世間は広く、世の中はさまざまだから、くよくよすることはない。
(広辞苑より)
フリーマーケットなるものがあります。
時々、「こんな値段で売れた」と喜ぶ声を聞きます。
買った者は、永年欲しかった掘り出し物を見つけたよと喜ぶ。
私は、カフェで銘入りの高価な茶碗を使っています。
友人が両親から継承した古家を解体するとき、趣味人の父君が収集した茶碗の処理に困りました。
それを無償で譲り受けました。
もったいないくらい良いものです。ちょっとだけ、デザインが古い。
私は、譲ってくれた友人に、地域で採れたものあるいは私達の手作り品を続けて送っています。
ここでは誰も見向きもしない、山菜、山椒の実、茗荷、筍や柿と自家製野菜です。
都会では売ってないし、売っててもとても高価な代物です。
ここでは広島産の柑橘類が喜ばれ、広島ではこの地で採れたりんごが喜ばれるのと似ています。
(筆者)



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聞く力

2021-04-17 07:05:08 | プロジェクトエンジニアー

別れの宴に友人が集まってくれた。
一年物の梅酒で乾杯し、時短の料理でもてなした。
いつまでも、忘れない。元気でいてね。


1分間で、嘘を見抜くゲームをやっていました。
矢継ぎ早に質問する。嘘をつく相手に考える余裕を与えない。
引き返し、少し角度を変えて同じ質問をする。
結果は、見事に嘘を見抜いていました。
キーワードは、嘘の上塗りはできないこと。
知らないことは、やはり知らない。
曖昧な答えを繰り返す。

今日のタイトルは、「聞く力」です。
世界中のミャンマー人がデジタルレジスタンスを繰り広げています。
SNS上で溢れる動画を時系列ごとに並べ一つの確信を得る。
動画に映っている人に電話をし裏を取る。
軍の政治の嘘を暴き、デジタル通信で世界中に発信する。
ここまでは、当事者の活動です。

投稿を読んで正しく判断できる人がいる。
暴力に屈し、反対意見を封じ込める体制下の国民にできることは限られている。
身近の人に始まり、世界中の人々が同情し、真実を知る。
そこからが問題です。
世界中の人々の「聞く力」が試されます。
民主主義国家が、軍事態勢に協力するものに制裁(資産凍結、渡航禁止など)をする。
世界の声を無視してビジネスを展開することはできない。

私は、国際的な機械メーカーに勤務したことがありました。
次から次に雨後の茸のごとくコピー会社が誕生しました。
開発費のかからぬコピー機は、飛ぶように売れた。
数十年の耐用年数を誇る機械です。
10年後故障し、摩耗部品を交換したい。
茸の会社は、すでにこの世に存在しません。
売り逃げです。
日本の会社(機械を購入する側)の担当者の言葉が沁みた。
「俺が偉くなっても、足を引っ張らない機械を導入したい」
少々高くても本物の会社から買いたい。

デジタル発信が、いじめの温床となる。
誰かの血がにじみ出る努力の結晶を、さも自分の開発品(オリジナリティー、真実など)のごとく発信する。
中国でカルビーがポテトチップスを生産し売り始めた。
コピーメーカーが追随し、少し安い価格で売った。
販売網を独占し、90%のシェアを誇った。
コピーメーカーの社員が、カルビーの製品を食べるにあたり、コピーだがよくできていると言い放った。
どちらが真実で、嘘なのか、人々が判断する。
一発で立ち直ったビール会社がある。
出会うほとんどの人が、俺が貢献者だとひっそりと話してくれた。

「聞く力」が試されています。
「利き酒」のように、本当の力が試されます。
真実を見抜く力です。
私達の良心に問いかけています。

真似許す 学んだあとに 試される

2021年4月17日
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移住の自由(Part3)

2021-04-11 17:52:32 | プロジェクトエンジニアー


人々が、「このままここで」(絵のタイトル)と望むものの、
流転の旅は、続く。


空き家問題が、国家の難題になりつつあります。
空き家を見学した。
空き家になるには、理由がある。
古い。不便。その土地に魅力を感じない。付属しているものが好ましくない。

土地(環境)に魅力を持つと、古くても不便でも、余計な付属物があろうと苦にはならない。
例えば、街を歩いていてゴミが落ちていない、人々が親切である。
日当たりが良く、景観が良い。
こんな土地なら、多少の苦労(空き家の補修、草刈など)は気にならない。

今日のタイトルは、「移住の自由(Part3)」です。
移住の自由とは、どんな困難があろうと楽しめることです。
人々は、孤独では生きていけない。
移住者が、孤独を感じない環境があれば、なじんでいけるし、どんな努力だって惜しまない。
孤独を感じない環境とは、地域にウェルカムの雰囲気が溢れていることです。
人々の意識として、街をきれいに保つ、人には親切にする。
そのうえで、「何をしてもいいんだよ」と包み込んでくれる。
私たちが大事にしていることだけを守ってくれる人なら、誰でも歓迎だよという雰囲気です。
それは、一度訪ねたら感じます。どこか違う。
地域を大事にしない場所に移住者を募ったって、誰も来ない。

仲間に入れてくれてありがとう。
移住したその日から、胸を開いて、いっぱい空気を吸える。
民度が高い地域には、次から次に人が集まる。
期待されない不自由なんていつしか忘れて、自由にできることに夢中になる。
面白そうな人が来たと、地域に流れる空気は澱んでいない。

泡沫(うたかた)が 水草からめ とどまらず 

2021年4月11日

<<参考>>
2019年3月28日投稿記事「移住の自由」では、
ミシガン大学の山下由紀子教授は、
「米国は決して完璧な国だとは思いませんが、自分が移民になったことはとても良かったと思います。
移民になると言葉も通じないですし、もちろん大変です。
しかし、自分がよそ者になると、ステレオタイプの期待をされなくなります。
私は何も期待されていない、ああしろ、こうしろ誰にも言われない。
ものすごく自由になりました。それが良かったです。」
(記事より抜粋)
と言われています。
2021年1月25日投稿記事「移住の自由(Part2)」では、
それを読んだ私は、
「山下さんが言われる「何も期待されない」孤独感を感じました。
地域おこしは、私にとって実験的なプロジェクトでした。
もっとも難解で、時代があらゆる解を求めていました。
自分に何ができるのか、確かめたくてこの仕事を選びました。」
と書いています。

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覚悟

2021-04-06 03:18:00 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「中央道東へ」です。
多摩から都心へ向かう高速道路で朝焼けを見ました。
不安な気持ちと、今日もやるぞと意気込んでいたことでしょう。
ブログを書き上げ、過去描いた絵を選ぶこの頃です。
本当は、新作の絵を載せたい。
今の「覚悟」にあったイメージです。


今日のタイトルは、「覚悟」です。
自分が書いたブログに、キーワード「覚悟」を入れて検索した。
嫌と言うほど、いや反吐が出るほど「覚悟」という言葉を使っています。
無理もありません。
少し動くと、疲れが溜まる。疲れは腰に来て、各所の痺れとなって症状になる。
因果関係が分かるうちはよい。休んで、そこを重点的にケアすれば、ほどなくして回復する。
これも経験です。
癌になり生還した先輩の多いこと。そのような先輩に健常な自分が、ゴルフで負ける。
背中の張りを、背中の筋肉を使って伸ばす。そうしないと、曲がったまま歩行するようになるからです。

痛さで夜中に目が覚める。
目が覚めたところで、何もすることがない。
腸は脳の言うことなんか聞かない。起きたんなら、小便、排便しろとせかす。
身体から水分と老廃物が抜けると、水が欲しくなる。栄養を補充したくなる。
休ませてはくれない。身体で起きる現象に、脳が刺激を受けて、さて始めるかとブログを書き始める。
こんな毎日です。

「覚悟」は、これから戦場(社会など未経験の場)に向かう若者が使う言葉と思っていました。
何があっても不思議はないぞと、自分に言い聞かせています。
浮かんできた多くの言葉で、考えを紡いできました。
年齢を重ねても、筋肉は再生されるいや増やすことだってできる。
筋肉を動かす脳は鈍化し、蝶番(ちょうつがい)は錆びついています。
やっと気づく。さて、どうしたものかと考える。

成長の速度を落とすしかない。
高速道路で、120Km/時間の運転は、いつしか100km/時間になり、
今じゃ、高速道路にも乗りたくなくなった。
1300km走ろうと、国道の速度60km/時間が安心で快適です。
そのうち、移動距離を短くしようとなるでしょう。じゃあ、歩くかとなる。
時間は、たっぷりある。何々しなければなんて、皆無に等しい。

「覚悟」は、工夫の一端である。対処の準備の号令のようなもの。
初々しき頃、女子を抱く時のほとばしる荒々しさなど、とうに忘れた。
これから向かう暗黒(未知)の世界に、櫓を漕ぎだすしかあるまい。
手元を明るくするのは「覚悟」であり、遠くの闇を見透かすのは経験が醸す勇気です。

越し方が 輝きもたれ 闇に発つ

2021年4月6日

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広島弁「はねまかし」

2021-04-01 10:00:30 | プロジェクトエンジニアー

絵のタイトルは、「やることがいっぱい」というタイトルです。
墓地の小堂で、「やることがいっぱい」あるだろうと、帰らされます。
そうかな。そんなにあるかな。とこの頃は自信が薄れてきます。

今日は、エイプリルフールです。かわいい嘘の一つもこさえましょう。
「そりゃ、なんでも美味しでしょうよ。好きな人と食べるものは」と、大昔の浮気を責められる。
今、この前の妻が作ってくれた料理を褒めたばかりに、しっぺ返しをされました。
何がいけなかったんでしょう。
愛人と瀟洒なレストランでいただいた美味しいものが霞ます。


隣りのばあちゃんが、「いるかい」と今朝も来られました。
何にも植えないけど、畑には草一本生えていません。
何か植えても、だだっ広い畑にほんの一筋だけ。
草取り命のばあちゃんが、この頃少し変です。
私の鎌が見えないんじゃが、あんたが持っていないか。と毎朝のように訪ねて来られます。
「持ってないか」は、「拾って預かっていないか」と言う意味らしい。

一週間前、そりゃ大変だねと、私達夫婦共々一緒に探しました。
ばあちゃんの行動範囲を目いっぱい探しました。ありませんでした。
その日は、「一緒に探してくれて、ありがとね」と別れました。

その日から連日、「ばあちゃんの鎌捜索」は続いています。
ばあちゃんの息子さんに、状態を伝えた方がいいのではと、二人で話していました。
今朝も「いるかい」と来られました。
耳が遠くなったばあちゃんに、「私達は、持っていない。そんなこと(盗ったり)はしない。」と
妻は、今日は大きな声でばあちゃんに言った。
私が笑って、そりゃ毎日来るぞ、毎日付き合ってあげなさい。と妻に言ったところ、
あんたは、私に「はねまかし」(広島弁。今日のタイトル)じゃあない。と目を剥いていました。
息子さんに話しても、ばあちゃんが怒られるだけだし、いったん注意されても忘れることでしょう。
「はねまかし」とは、広島弁(いやもっと小さい地域だけで通用)で、
一切かかわらず知らん顔ということです。

妻が時々使う広島弁に、懐かしいやら嬉しいやらです。
カフェに来られる方で、私が苦手なお客さんが二人だけいます。
私は、こっそり裏口から逃げ出します。
一人は、同じことを言い続ける女性。もう一人は、猫の言葉が分かる男性です。
妻は根気よく付き合っています。あとで、私に面白かったことを話してくれます。

家が大騒動(広島弁)じゃけ、来てもらわれんわいね。と妻が話した。
「大騒動」とは、家がさばけている(これも広島弁)。
つまり、掃除がされていない汚れていると言う意味です。

なつかしい「はねまかし」が広島弁だと茶化す私に、妻はぷんぷんです。
羊羹を食べかけで、ばあちゃんの対応に妻は追われていました。
私は私の分を食べきって、妻が残している二切れを眺めていました。
ああでもこうでもないと、ばあちゃんの認知症(気味)について話は続きます。
あれれ、私の皿に妻の食べ残しの羊羹が一切れ載っています。
「ありがとね」と妻に礼を言い、私は美味しく食べ終わりました。

あなたに羊羹をあげてない。するわけがないと、妻は息巻いています。
ありゃありゃ、数秒前のこと(興奮して無意識の行動)を忘れたんだね。
またまた妻と一緒に大笑いしました。
妻の皿から羊羹を取り上げたのかと、私も自信がなくなりました。

まくしたて 妻の口にゴミ はよう言え

2021年4月1日
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