故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

絵のタイトルは、「金目鯛」です。
面相は悪いが、美味な魚です。
豪快は 時にして怪 そして喜々
広島にロキシー座というストリップ劇場があった。
そこのバックスクリーンにはのこれくらい(指で丸を作る)の穴が開いとるんじゃ。
お姉さんは、客に後ろを向いて脱ぐんじゃが、わしらからは丸見えじゃわいの。
緞帳(どんちょう)の修理に行った時のお土産話である。
姉さんに呼ばれて、行水のお手伝いもしたとか。
私は高校生の頃、お世話になりました。
今日のタイトルは、「奇々怪々」です。
御印綬さん(寺の坊さん)と話した時のことじゃ。
子供の登校拒否やら若いもんが大変じゃろ。と尋ねる。
坊主曰く、子どもじゃないんで「先生」が大変なんじゃけえ。
先生とは、医者のことらしい。
常々、学校の先生ほど馬鹿はいない。(理由は世間知らず)とおっしゃる。
妻は、警鐘を鳴らされていた。
妻の手前、思っていても「その通り」とは言えない。
「奇々怪々」は妻のおじさんである。
遊びに来いと言われて、さっそく訪ねた。
私と業種が近いこともあり、面白い話をごっそり聞けた。
美味いんじゃけえと、食卓で奇々怪々が揚げる熱々の天ぷらをいただいた。
鶏の砂肝、牡蠣、茸、れんこん、さつま芋と皿が空いたら新しい天ぷらがのる。
飲めるのかの問いにうなづくと、ビール缶が開いた。
この世代は、戦後の食糧難を生きて来た戦中派です。
仕事をいっぱいし、遊びも家族サービスも豪快である。
身体のどこかに故障を起こしているのもこの年代です。
生き抜いたどの人も根性がある。
京都から取り寄せた杉苔がびっしり生えた庭を見た。
太陽の光量に合わせて、松の葉の量を変えている。
見事な庭を褒め上げた。
お返しに手漕ぎボート(4人乗り免許不要、船外機を付けて2人乗り免許要)をいただいた。
いつか、軽トラに積んで持ち帰ろうと思う。
妻は勝手に似顔絵の約束をし、夫婦の写真を撮らせていただいた。
出来栄えによっては、ボートの話はキャンセルになるかもしれない。
島の唯一の友人から電話が入っていた。
鯛をもらったけえ、あんたにやろうと思うての電話した。
電話を返したのが遅く、他の誰かに渡っていた。
こうして、徐々に島人になっていく。
2021年12月2日
「奇奇怪怪(ききかいかい)」とは、
常識では理解できない不思議なさま。非常に怪しく不思議なさま。
出典:デジタル大辞泉(小学館)

絵のタイトルは、「気品」です。
帝国ホテル前の彫像です。
どんなに足掻いたって、気品だけは具わらない。
生まれ育った氏素性です。
表情だけは、自分が作るもの。
今日のタイトルは、「等身大」です。
起きて半畳、寝て一畳です。
会社の面接二題。
最後の面接で、社長もいい加減疲れていた。
証拠に、社長は机の下で靴を脱いで干していた。
どんな仕事がしたいに、「現場で働きたい」と答えた。
社長の一文字の眼が見開いた。
二社目の面接では、私は歯痛で苦しんでいた。
趣味の問いに、「山歩き」とぶっきらぼうに答えた。
足を見せろと言われた。
どうやら面接官も山歩きが好きらしい。
ふくらはぎを見て、面接官は山の会話に私を引きずり込んだ。
どちらも受かった。
現場とふくらはぎで受かるのだからいい加減である。
生涯現場に張りついた。
部下を持たず、常に外回りの仕事を続けることになった。
こういうことだったのか。
初対面で、自分を大きく見せようとする。
相手が忙しいとか、興味がないと感じれば、挨拶だけで辞した。
8時間かけて行き、そして帰った。
この人は、自分のためにどれだけ働いてくれるか。
見抜く能力だけが磨かれた。
どんな人にもほころびがある。
ほころびがその人らしさである。
カフェを始めてから気づいた次第です。
遅かりしです。
切り刻んだ木々を山に捨て、畑を鋤いて、カフェを片付け、
クリーンセンターに不燃ごみを捨てた。
夕方5時になると、また明日の連続です。
リサイクル家電の引き取りを役所に申し込み、やっと荷積みです。
人一人ができることは、限られている。
突っ立っていれば半畳で済みますが、歩く軌跡は地球を一回りです。
2021年11月5日
等身大とは、
人の身の丈と同じ大きさ。
自分の境遇や能力に見合っていること。
(広辞苑より)

絵のタイトルは、「いちゃりばちょーでー」です。
別府の温泉街で見た様子です。
沖縄言葉で、「袖振り合うも多生の縁」という意味です。
何処に行っても苦労するが、楽しいことを見つけましょう。
今日のタイトルは、「ウルトラC」です。
ウルトラCは、広辞苑に出ていません。
現代用語辞典で調べなければなりません。(文末参照)
引っ越し荷物をどう運ぶかと考えあぐねています。
一回目は、重たいものを運ぶ。荷積みも荷下ろしも、若いしを頼みました。
妻に片棒を担がせるも、ぶら下がっているんじゃないかと錯覚します。
二回目は、生活必需品以外のものを運ぶ。
いよいよ三回目です。
生活必需品は、不定形のものばかりです。
農業機材は、最期まで必要でした。
軽トラ、カンリキ(耕運機)、草刈り機、チェーンソー、農機具、農業用資材、工具類、
苗木類(ブルーベリー、あじさい、ルバーブ、ネギ)、井戸用ポンプ、
レンジ、衣装箱、机と椅子、自転車、プリンター、旅行用カバン、ゴルフバッグなどです。
とても、軽トラと小型自動車に詰める容積ではありません。
そこで、考えついたのが、「ウルトラC」です。
ダンボール箱に入るもので、比較的軽いものは、宅急便で送ることにしました。
鍋釜、トースター、収穫した根菜類(ジャガイモ、里芋、トロ芋、豆類、ネギ)、調味料と衣類です。
収穫したものは、都会の友人に送りました。
送る者、受け取る者の双方が喜びました。
今回(三回目)は、定型外で容積のある物を運ぶことにしました。
宅急便で、段ボール20箱運んでも約4万円です。
レンタカー(例えば1tトラック)だと、往復6日間で4万円余りでした。
ガソリン代と高速代が加わります。
なにしろ、多忙な時に6日間も拘束されます。
ウルトラDがあるとしたら、移住先で買える物は廃棄処分することでしょうか。
冷蔵庫、洗濯機、テレビなどは捨てることにしました。
もう十分使ったし、移住先にもあります。
ソファ、肥料、蘭類、苗(葱、ニラ)類は地域の友人にもらっていただきました。
鉄とプラスチックを分解して、鉄類は地域の方へ頼んで、廃品業者に売っていただきました。
鉄の値段が上がっている昨今、喜ばれました。
布団を含め、多くのガラクタを不燃ごみで捨てました。
木々やゴミを捨てるのに、軽トラは大活躍でした。
反省点は、早くから宅急便を活用すればよかった。
2軒(カフェと住居)の家から持ち出したものが、軽トラ三台分で済みました。
自分たちで苦労して運びましたが、金額的には引っ越し業者に依頼するのと同じでしょう。
私達には時間(3か月要した)があり、過去を見直し、未来を予測しながら取捨選択ができました。
移住先の修繕(打ち合わせと工事)も出来る予定です。
慌てない分だけ、心の整理(地域の友人と話ができ、ゴルフも楽しめた)の時間がとれました。
予測したスケジュール通りに、片づけと引っ越しは終わりそうです。
2021年11月4日
<<あとがき>>
インターネットで調べたら、
「ウルトラCとは、体操の造語で、「C難度を上回る難易度」のことを意味します。
1964年に開催された東京オリンピックにて、日本代表の体操チームが最高難易度の『C』を越える技を披露したことから生み出された造語になります。以降、高難度のことを指して用いられるようになりました。」
と出ていました。
あれから60年弱、今では、H難度なんて聞いたりします。
女性の胸回りのサイズではありません。
温室効果ガス(二酸化炭素、メタンガス)の削減に成功し、
1.5℃(産業革命以降)以下の温度上昇を実現できるかもしれませんね。

いつも、「ふわふわからぴょんと生まれます」(絵のタイトル)
柔軟に謙虚に生きたいものです。
朱くなり 青く残るも それが森
音楽を聴いて、小説を読んで勝手に想像力を働かせます。
今日のタイトルは、「想像力」です。
なんか違う、工場見学をさせていただいたとき思いました。
私のフィルターを通過するとき、違和感を感じるものが不具合であり長所でした。
瞬時の判断です。見学後一時間で、数枚のレポート(解決策含む)に書き上げました。
受け取った工場長のレポート評価は、真っ二つに分かれました。
何がわかるか。
ありがとう、参考にします。
大きな地震があった。
この地の被害は少なかった。理由は、地下は岩盤で強いから。
都心から一時間で来れるし、原発事故後、自然由来の発電が進んでいる。
サーバー基地にどうか。
ヤフーは先見の明があり、すでに基地を造っている。
食品の売価は、1円/gである。薬は、10円/g。そしてセラミックは、100円/gである。
近くの町で採れる海化石の主たる用途は、肥料(0.1円/g)である。
海化石を焼結金属にすれば、排水設備の嫌気で使える。
玉葱生産の地中菌を退治できる。
栗田工業は一億円で買い取りたいと申し出た。
ごみを廃棄物として処分すると、1万円/tである。
果物のB級品を加工する六次化が進んでいる。
りんごジュースの売価は600円。
生産者(六次化の当事者)の取り分は100円(運賃、加工・瓶詰を引いた額)である。
しかも、売れ残りは生産者の責任である。
ロット(加工ラインに合わせ、最低ロットが1t。保管冷蔵庫が必要)が小さいのか、
保存料を入れるから味が落ちるのか、理由はわからないが売れない。
きっと、もう一工夫必要だったのだろう。
プロジェクトエンジニアーにとって、想像力は必須能力です。
想定外の事象はない。あったら、会社を去ることになる。
プラントを売る時から、エンディング(正しい使い方、損益計算書)ストーリーを描いて見せる。
大きな会社のゴーストライター(本社へ提案)も引き受けました。
面白いことに、本社から私的に提案内容について相談を受けました。
旦那様が口を開けると、奥様が「あーよね。こうよね」と後を引き継ぐ。
旦那は、人の悪口を言う機会がない。いい人だ。
奥様に「大助花子」の漫才の下りの話をした。
「皆さん聞いてえーな。この人は黙っているだけ、私がすべて話していますねんで」と。
大うけだったのか、少し奥様の弾丸トークが一時期鳴りを潜めた。
似顔絵を描く時、私の好きなショットを絵にする。
きっと、こんな方なんだろうな。コメントを付ける。
絵もコメントもぴったりだったらしく感謝される。
あとは、十年来のお友達となる。
「想像力」は、両刃の剣です。
感性を磨くには柔らかくありたい。
悟性を鍛えるには、休んでいられない。
他人にやさしくないと、どちらも得られないであろう。
2021年10月31日
想像力とは、
カントでは、感性と悟性の性質を分有し、両者を媒介して認識を成立させる能力。構想力。
ニーチェ・サルトルらでは、芸術経験の創造・享受両面における形象生産の契機。
悟性とは、思考であり、カントのいう理性と感性の中間にあり科学的思考の主体。
形象とは、表にあらわれた形。姿。
人間によって知覚された事物の像、また観念などの具象化された像。
(広辞苑より)

絵のタイトルは、「奥山にコトリと水落つる」です。
小さな滝は、繰り返し水を溜め、そして放っている。
夏越えて 捨てる秋あり 拾う春
引っ越しの準備をしています。
今日のタイトルは、「名刺」です。
この8年間で、名刺を探したのは、確か一度だけでした。
年賀状と共に、どう考えたらよいのでしょう。
仕事上のKnow-howを積極的に伝えてきました。
理由は、このプロジェクトに遭遇するのは、あっても5年後だから、開発したものが失われてしまう。
伝えなきゃ、伝わらないのGive&Takeも考えました。
Know-how(何故、いかに)は伝わっても、神髄(考え方、あきらめない)は伝わりにくい。
会社で、「クレーム集」の編纂に関わる専門社員がいました。
同じ失敗は、繰り返さない。後輩につなぐためでした。
一発勝負のプロジェクトです。
「クレーム集」を大いに利用しました。
転職をした私は、業種が変わるごとに、関係会社から新鮮な気持ちで学ぶことが多かった。
交わした名刺は、勤め人の勲章のように感じていました。
年賀状は、個人的な交際の尺度と思っていました。
どちらも、よくも悪しくも遺物です。
豪のものがいました。
転職する前に、仕事で作成した書類をすべて廃棄した。
重要書類(名刺含む)だけは、持ちだした。
そして、同じ職種で起業した。
成否は書かぬことにしましょう。
私が辞める際、名刺の持ち出しに待ったがかかりました。
理由は、謀反を未然に防ぐためでした。
断捨離は、生活のスタイルにあわせ必要なものだけを残し、不必要なものを捨てることにある。
元々は、持たないでシンプルな生活(秋山兄は茶碗は一つだけを貫いた)を送るのが良い。
普遍である技術資料と書簡は残すことにした。
名刺も含め、活動記録は捨てることにした。
過去の工夫と確かな技術的な基礎となる数値を、歳を重ねるごとに忘れてしまう。
同年代のエンジニアーが、苦笑気味に打ち明けてくれました。
私は、「社内で、そのことを知っている後輩の名前を覚えたら」とアドバイスしました。
整理が悪いと、どこに重要書類が埋もれているのかさえ分からなくなってしまう。
今回も試される。
2021年10月7日