故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

絵のタイトルは、「あなたに会いたい」です。
文章を書いたあと、手持ちの画像を張り付けています。
新しい絵がないことを気にしています。
もう描けないのか、描かないのか。
すべて、自分次第です。
自分は認知症に罹っている。
続く人に、変わっていく自分を残していく。
そんな医師の話を聞きました。
この方の職業が医師だからなのか、自分しかできないと思われたからなのか。
医師ゆえに科学的に患者に接する如く、変わる自分を刻銘に綴っていく。
出来ないことだなと思いました。
今日のタイトルは、「日常を綴る」です。
タイトルのあとに、「勇気」を付けたかった。
それでは、いかにも偉そうであるとやめた。
気がかりだから、草を刈った。
1反近くの草を刈った。
毎朝一人だけが通る野道を、歩きにくかろうと先に刈る。
3時間をかけ、タンク(0.7リットル)2杯が空になった。
気が済んだ。
スナップエンドウ豆、ソラマメも実を食べるエンドウ豆も終わりです。
最期の収穫を済ませ、根を上げた。
妻の気がかりです。
収穫した野菜で夕食は満艦飾です。
昨年作ったキウイ酒を飲む。
キウイの苦みがほどよい。
なり始めの青臭さがとれ、豆も最後となると甘みが強い。
夕方6時だと言うのに眠くなり布団に入る。
変化が乏しい日常が楽しくない。
明日も同じ繰り返しです。
休むために働く。
働くために休むとは考えなかった。
そんな現役時代でした。
できるかな。
できるとも。
毎日が挑戦となった。
働ける(体を動かす)ことが嬉しい。
休むことも楽しい。
すべての人が送る日常です。
尊いとしか言いようがない。
2025年6月3日
(あとがき)
雨の日が嫌いでした。
外で遊びたいのに、ストップがかかる。
無条件に休める雨が、好きになる日が来た。
また、動ける。
きっと、動けるはずである。
認知症の医師も、そう感じたことでしょう。
今しか書けない。
自分しか書けないと「日常を綴る」。
SONGSに出演された香取慎吾さんを観て、書こうと思いました。
画面を通じて、彼の仕事に対する取り組み(生きざま)に心を動かされました。
(筆者)

わたしゃあなたのそばがよい。
絵のタイトルです。
小菅で見たそばを描きました。
都都逸風にしゃれてみました。
日本語を教えている交流会館で、国際フェスティバルがある。
参加することは叶わない。
かつて、フィリピンの家庭料理をいただいたことがある。
作ってくれたママに、妻が作ったパン(クルミ入りハードパン)を届けたい。
フェスティバルに参加できない訳がある。
今日は朝から桟橋周りの草刈りの日である。
私も貴重な戦力の一人です。
年に一度の公園の草刈りでは十分ではありません。
訪ねてくれる旅人が、憩える公園であって欲しい。
今日のタイトルは、「世話役」です。
地域の世話役は、定年退職したものと現役の方と半々である。
この辺りでは、集まる休日に働く(用事や仕事)人が多い。
それでも、何かの役に立ちたいと強制的に回ってくる世話役を引き受ける。
老人会の応援に至っては、世話係とされるものに年齢差はない。
田舎では、一歳ちがったら大変なことである。
一歳若い者は、「パシリ」である。
移住者(私はUターン組)にとっては、地域に溶け込める(私は浦島太郎)チャンスです。
役をこなしている内に、少しずつ地域の成り立ちや人間関係が見えてくる。
最初は距離を置く地元の方からも話しかけられ、頼りにされるようになる。
仕事の一つ一つ(草刈りや祭りの準備など)が面白い。
昨日のうちに、草刈り機を整備しあとは出かける時間を待っている。
早めに終えて、フィリピンのママにパンを届けたい。
教えている息子(高校生)が来ているか当てにはできない。
フィリピン語はできないので、習っている手話で頑張ろう。
2025年6月1日

絵のタイトルは、「そろりそろり」です。
カマキリ君の狩りの風景です。

同じ風景をさかさまに描きました。
絵のタイトルが、「あのウェストがたまらんな」と変化しました。
そんな風に人生は危うくいい加減なのです。
悩まず、すからかちゃっちゃです。
今日のタイトルは、「モチベーションの維持」です。
気がかりなことばかりです。
今月は、23日間のスケジュールが埋まった。
一日に2件のやることもある。
スケジュールが埋まると、忘れてしまうことがある。
気が進まない日には、理由を探す。
そして、さらに忙しくなる。
できないことはできないと開き直る。
忙殺されては、楽しめない。
「やりましたよ」と少しだけやる。
これが不思議。
少しだけでは収まらない。
もう少しと、必ず頑張ってしまう。
疲れても気が晴れた。
明日の朝ご飯も作らないと食べられない。
妻を助けるために始めた朝ご飯づくりが、今では私の役目となった。
妻を助けているうちに、冷蔵庫の残り物で料理ができるようになった。
洗濯も掃除も楽しくなった。
洗濯かごの洗い物をどう干すか、パズルの感覚である。
掃除は、次のごみを探す作業となった。
毎日やれば、免罪符。
草が伸びれば、刈らねばと気になる。
ゴミを見たら、拾いたくなる。
汚れたら拭きたくなる。
病気です。
だけど、すべての作業が手抜きです。
やれないではなく、やらないだけなのです。
気に病む時間があれば、少しだけやるのが得策です。
やったよと、自分に言い訳ができます。
頭は欲張りです。
身体は納得で、なにごともいい加減(適当)です。
そうして、心のバランスは保たれます。
2025年5月31日

10年前の末娘の似顔絵です。
タイトルは、「えへっ」です。

妻の娘が飼っている猫です。
どうやら、二人とも結婚後、幸せ太りのようです。
母に縁のなかった娘です。
母と一緒にご飯を作る経験のことです。
今日のタイトルは、「娘来たりて帰る」です。
プータローになったから行くね。
娘が帰ると、空間が広く静かになったような気がした。
再婚した嫁に母の日のプレゼントと少し早い私へのプレゼントを持ってきた。
花とお菓子とお酒である。
妻と娘が台所で料理をしている。
ソラマメに切り込みを入れると中まで均等に煮える。
今の大根(成長途上の中根)は柔らかくて、皮も葉っぱも美味しいよ。
娘は都会に住む身、野菜が高くて食べられない。
二人は、野菜尽くし(山菜含む)の料理を作っている。
妻の娘もやってきた。
猫繋がり(私の娘は3匹、妻の娘は2匹)で話が弾む。
私の葬式に、初見では可哀そうだと常々思っていた。
生前葬でもやらねばならぬかとも思い詰めてもいた。
あっさりと血のつながらぬ姉妹が顔を合わせた。
娘のいる風景は華やかです。
あれこれ言って娘の成長を止めるのだけはやめねばならぬ。
母と縁が薄かった娘がよくぞ育ってくれた。
送る車の中で、私のやらかした笑い話で盛り上がる。
父を軽蔑することもなく、一緒に笑う娘。
昨日行った宮島のロープウェイの中で、外国からの観光客と話した。
何やら通じているらしい雰囲気に、父を少しだけ認めた感じであった。
新たな実家が娘の帰るところであって欲しい。
結婚した、娘の帰るところはやはり旦那の待つ都会のようである。
それでよい。
2025年5月30日

絵のタイトルは、「どちらも咲いた」です。
桜を見に来た親娘がいた。
私が似顔絵を描くのを知っていて、描いてと頼まれた。
まだかと、連日カフェを娘さんが訪ねてこられました。
皺の数こそ重みと、思いっきり描かせていただきました。
心にしみるいい話、第2集(珠玉編、全国新聞連合シニアライフ協議会編)を読み始めた。
本の名のとおり、予想がつかぬいい話ばかりである。
寝床で、眠気が来るまで読んでいる。
どの書き手も淡々と書き進める。
要素を凝縮し、饒舌でない短文ばかりです。
眠るはずが、眠れなくなりました。
「やらかしたこと(恥ずかしい過去)も、歳を重ねれば笑い話」と、
朝ドラ「まれ」で田中裕子扮するおばあちゃんが言っていました。
いい話を読み進めるうちに、そうかなと考え込んでしまい眠れなくなった。
やっぱり、墓場まで持っていくしかない。
つまり、自分を突き放す勇気がないのです。
今日のタイトルは、「もっと赤裸々に」です。
林芙美子さんも、彼女を尊敬する桐野夏生さんも、
「ここまで書くの」と驚かされます。
仮面をかなぐり捨てた、血が通っている本性こそ美しい。
悪いことをした。
酷いことをした。
嘘をつくより、もっと人を傷つけた。
そんな気持ちが、どろどろと湧き続けました。
皺こそ人生。
冒頭の似顔絵を誰も咎(とが)められない。
気づいた時が華。
どうしたものかと、寝床で途方に暮れる。
残された時間を無駄にはできない。
2025年5月25日