故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

絵のタイトルは、「うふふ」です。
本当は、「ぱか」にしたかった。
手話の先生です。
実に、表情豊かです。
私が手話に食らいついている原動力になっています。
先生のような豊かな表情を作りたい。
毎朝、鏡の中の老人の無表情にがっかりしていましたから。
今日のタイトルは、「私の美学」です。
5年前に無職となりました。
信号もねえ、こんな島嫌だと都会に出て行った、故郷に帰ってきました。
恩返しをする人は、もういません。
空き家を求め、妻が君臨する家庭に入ることになりました。
二人で野菜を作っています。
妻がソフト担当、私がハード担当。
「どうしてに始まり、何を、何時、誰が、どこへどのように植える」と妻が決めます。
私は、そのための準備をします。後片付けをします。
腐葉土を集め、牡蠣殻を焼き、草を刈り、耕し畝を切ります。
「何々があったら、こうできたなら」と妻が言います。
それが、「あれせえ、これせえだ」とすぐに理解できました。
出来たこと(過去)は、今(Now)を生き抜く単なる経験です。
「できるかな」と挑戦の日々が続きます。
若い時に較べれば、できないことが多い。
だから、なに?!
若い時にできなかったことが、今はできています。
「ああだった、こうだった」と懐かしむ時間はありません。
私の一日は、「こうしたい」に溢れています。
過去の栄光を捨て去りました。
そうして、今ある美しい、楽しいを拾い集めています。
2025年7月19日

写真のタイトルは、’’Dom’’です。
ザルツブルグにある大きな教会の地下道です。
司教たちのミイラが安置されていると聞きました。
行かなきゃわからない。
感じなければ、記憶にも残りません。
好きな人と一緒なら、「不幸になってもかまわない」(今日のタイトル)。
幸不幸は、基準がない分だけ曖昧です。
好きかどうかは、基準を必要としません。
馬が合うというか、素の自分でいられる。
自分でもよくわからない感情が、「好き」ということでしょう。
幸不幸を追及すると、嫌いな人と暮らすことも厭わない。
素の自分を隠し通さなければなりません。
素の自分と付き合うために、二重生活です。
私を大事にしてくれる人が好きです。
裏返すと、好きだからあなたとの時間を大事にしたい。
あなたとの時間が、世間的に見ると「不幸」です。
金がないし、苦労ばかりしているように見える。
そうでしょうか。
好きな人は今どいうしているかな、と想像するだけでも幸せな気分になる。
好きは一人称の感情です。
この発露を誰も蓋はできない。
相手を殺すほど、好きになる。
殺されてもよいと思うほど、好きです。
大いなる勘違いも時にはあるでしょう。
経験の少なさより、流されることもあるでしょう。
不幸になってもかまわない。
そんな気持ちにさせる人と出会えた人は、幸せです。
2025年7月18日
(あとがき)
寝たのは、今朝2時でした。
ゴルフで全力を出し切りました。
その後、カープの応援に駆け付けました。
雨による長期中断が3度となりました。
コールゲームが宣言されたのが、夜の10時を回っていました。
駐車場まで帰り、濡れたものを乾いたものに着替え、日付をまたぎ家にたどり着いた。
中断に抗議するものが叫ぶ。
仕方がないと、隣の人と話しながらじっと待つ。
テレビ中継では味わえない場面を多く見ました。
臨場感一杯に満足して帰ってきました。
今日は、勝手に休みです。
おかげで、読みたかった小説を読了できました。
(筆者)

絵のタイトルは、「似島」です。
親のいない子供たちの学園がありました。
船に乗り、広島の高校に通いました。
このまま、東京まで行きたいな。
そして、毎夕この灯台を通り過ぎ帰島しました。
この灯台が、別れの一本杉でした。
’’Onley one’’が’’One of them’’に変わる。
あなたなしでは生きていけないと一緒になりました。
あばたもえくぼ。
落ち着いて周りを見渡せるほど、熱も鎮火しました。
そのころになると、「おたがいさま」(今日のタイトル)となります。
どちらも、同様に感じることのようです。
数々の失恋の反省が始まります。
力不足を思い出し、別れていったあのひとに申し訳なかった。
別れた理由を思い出し、これでよかった。
冷静になり、自分の選択肢に納得です。
割れ鍋に綴じ蓋。
一緒に暮らし始めると、不満も募ります。
体調が思わしくない、仕事が上手にいかない時に、言わなくてもよいことが口をついて出てきます。
出たものは仕方がないと、開き直り言い合いになります。
一晩寝たら、元通りです。
まことに、「おたがいさま」なのです。
俺様も、お姫様も、元をただせば孤独な独り者でした。
縁があり、努力の結果、今があります。
どうして好きになったか、思い出せますか。
思い出せる方は、果報者です。
「おたがいさま」とパートナーを許せるでしょう。
きっと、自分のことを反省できるでしょう。
「おたがいさま」と高め合えることでしょう。
そうなればよいですね。
2025年7月17日
(あとがき)
これからゴルフです。
プレイに刺激を与えるために、「10打差」のハンディをつけて競い合いました。
相手のミスをほくそ笑むようになりました。
精神的に楽しくないと、それぞれが目標スコアを設定することにしました。
自らに挑戦することで、汗をかくことが楽しくなりました。
まだまだ、続けられそうです。

絵のタイトルは、「稲荷橋」です。
爆心地から約1Kmです。
広島の中心街から広島駅に向かう途中にあります。
今日のタイトルは、「較べる幸せ」としました。
もっと、適切な表現があるのではなかろうかと始めました。
原爆が投下されて、80年が経ちました。
戦後、「原爆の子」という写真集が出版された。
当時小学生だった子供たちが書いた文章も載っていた。
いつも通りの暮らしを綴りながら、自らに突然起こったことを文章にしていた。
原爆被災の60年後、107人中24人の子供たちが追跡取材を拒否した。
被害者の立場でありながら、隠すことを選択した。
子供に恵まれても、産むことが不安でならなかった。
拒否されたことを載せなかったら、「原爆の子」を出版した意味がないと編集した写真家は言われた。
疲れた、辛いと私は投げやりになることがあります。
もっと背が高かったら、もう少しだけ美しかったらと子供心に思いました。
大人になっても、彼我の差を較べました。
老人になっても、若いころはなんでもなかったのにと嘆息します。
40歳を過ぎたころ、授かった命に責任を持つと決めたはずなのにです。
原爆による後遺症への不安は、私の想いをはるかに超える出来事だった。
被災された方は見た目元気そうなのに、手当をもらうのかと周囲から言われた。
原爆の子の一人が、遭ったものでなければ分からないと言われた。
原爆の子の想いをしっかり伝えることが使命と、写真家は広島の風景を切り取った。
幸不幸の悩みは人それぞれです。
較べることができない不幸について考えさせられました。
戦後80年の節目に、最後となる追跡取材で辿れたのは7人でした。
追跡取材のインタビューから、自らの足元を見つめなおす元気をいただけました。
2025年7月12日

絵のタイトルは、「無言で語るおんな」です。
テレビが気になり、妻の話が耳に入らない。
自分が話す番になったら、妻は居眠りです。
これって、何なの。
「聞く耳、話す目」と自分でも気づいています。
今ある状態を、いったん横に置いて、「どうしました」と何故言えない。
「聞いてもらいたい」に、正面から向き合うことから始めます。
似顔絵を描き始めてから、相手の小さな変化に気づくようになりました。
残像記憶の最たるものです。
今日のタイトルは、「野菜と話す」です。
この時期、野菜はあの手この手でアピールします。
十分大きくなったから、収穫しておくれ。
朝見たら、もう少しかなと感じたきゅうりが、夜には肥大化していた。
昼間は、葉がしおれているように見えました。
水分蒸発を防いでいたのでしょう。
その証拠に、朝露の頃はパリッとしています。
ある日、ピーマンが倒れていた。
水をやり、肥料を足しました。
もう支えきれないと、根が浮くように倒れます。
支柱を足してやると、「そうなんですよ」と元通りの元気な姿です。
水分補給しようと、毛根を伸ばす。
「いつでもくれるもの」と野菜に思わせない。
したがって、じゃぶじゃぶと水を上げない。
ほら見たことか、根腐れしたじゃない。
野菜は話さない。
野菜のアピールをより感じる猛暑です。
野菜と話すことに夢中になり、暑さで疲れたのか妻と話せない。
出会った頃に求めた、水が滴(したた)る「話す目」に向き合ってない証拠です。
朝昼晩と表情の違いに気づかない。
妻は、いつも同じと思い込んでいる。
その証拠に、奥さんの似顔絵に、「これは、誰?」と気づかない。
写真のようには復元できないけど、気づかない表情を切り取っているでしょうに。
声しか聞いてない。
その辺りにいるだろうと、空気と暮らしている。
毎日の愛してるの発信に、「聞き飽きた」と返す妻です。
それでも、口角があがったのを見逃さない。
2025年7月9日