PCをwindows10に切り替えた後、
機械がうまく動いてくれず、
Blogを二週間ほどお休みした。
ひな祭りになると、それぞれの星を持った三人の姉を思い出す。
雛あられを貰い、しろざけ(アルコールのない)を貰った。
三人官女や五人囃子、
雪洞(ぼんぼり)にひし形の三色のお餅、
どうして右大臣なんて言うのだろうとか、
思い出される。
三女の姉は90歳過ぎまで生きながらえており、
娘たちに、ああだこうだと厄介をかけているらしい。
老衰で96歳まで生きた長女、次女は生まれて間もなく、
四女の姉は高血圧症で52歳で、亡くなった。
育ち盛りが太平洋戦争であった四女の姉と小二のボクと二人、
父親の実家の片田舎に疎開した。
四方を山に囲まれた盆地の北側の山麓に、
盆地全体を見渡せる、
南向きの大きな家であった。
玄関を入ると、右側は冬季の作業場で板の間を入れれば、
十畳以上あっただろうか、
さらにその右側に厠があって、
夜などトイレに行くのさえ真っ暗で怖かった記憶である。
この作業場の北側が牛小屋になっており、
農耕を手助けする牛を飼っていた。
芭蕉の「おくのほそ道」ではないが、
・ノミ虱馬が尿(ばり)する枕もと 翁
ではないが、
夜にはその音が聞こえることはあった。
ボクの場合は牛であったが・・・・
玄関の土間に入ったところの左側は、
十畳の座敷が二間続いており、
奥の部屋には床の間があり、
その横に神棚が据えられていた。
信ずる宗教は神様であり、
おじさんの葬式の時は、
かね、太鼓、笙の笛による、
にぎやかでお祭り騒ぎのようで、
焼香するのではなく、サカキを供えて、
仏教のしめやかさではなく、
葬式なのに可笑しくて、
今にも噴出しそうになった記憶である。
話がそれてしまったが、
育ち盛りの姉は空腹に耐えられず、
木にある柿をとって空腹を満たしていた。
「居候三杯目にはそっと出し」の諺ではないが、
食事時に、三杯目のお代わりは、女性のすることではないと、
叔母からきつく諫められていたからだ。
そんなことで育ちざかりに戦後の食糧不足で、
身体がうまく成長できずいたに違いない。
秋深く、少し寒々しくなった折、
食後に、少し疲れたので、
先に休ませてほしいと亭主に告げて、
布団にくるまった。
52歳だった。
亭主の話では、やがていびきが聞こえてきたので、
よほど疲れていたのだろうと思い、
食事の後かたずけをし終わって、
自分も就寝の用意をすべく、姉に近づいたところ、
すでに亡くなったという。
桃の節句というのに、良い思い出はなく、
せめて今日は、節句の日にでた料理を楽しむことにしよう。
(スイスの名物料理、チーズフォンヂュ)