・七重八重花は咲けども山吹の
実の(蓑)一つだになきぞ悲しき
この短歌は、太田道灌が狩の途中、
雨に打たれて、雨合羽の蓑を借りようと、
さびれた山家を訪れた時に、
応対したおうなの 紅皿(女性の名前)が差しだした山吹の枝と色紙、
そこに詠まれた歌である。
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(今盛んに花咲く山吹)
太田道灌は雨合羽の蓑を貸してくれと、頼んだのに、
山吹の花と歌が記された色紙を差しだされ、
腹を立てて、雨に濡れて帰る。
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(七重八重、七つ八つどころでは無い、沢山咲く山吹)
山吹が咲く時期になると、太田道灌の話とこの歌を、
必ず思いだす。
太田道灌は家来にこのことを話すと、
家来は次のように話しました。
この歌は表現の上では、
・七つも八つも重なって、美しく咲く山吹ですが、
一つとして実の生らないのが、悲しい事でございます。
このような意味です。
同時に、この歌には、
・美しく咲く八重山吹ですが、
貧しい我が家には雨合羽になる蓑一つさえないことが、
悲しゅうございます。
歌の中にこんな意味が込められております。
それを聞いて太田道灌は我が身の無知さ加減に気付き反省し、
以後、歌の勉強をしたと言う。
そこで植物学上一重の山吹には、実が生ることが解っている。
実が成らないのは八重山吹である。
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(八重山吹の花)
この後は、
2015年6月9日のブログ「七重八重」をご覧ください。