楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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七重八重-ななえやえ

2021年04月03日 04時11分19秒 | ひとり歩き旅
・七重八重花は咲けども山吹の
      実の(蓑)一つだになきぞ悲しき

この短歌は、太田道灌が狩の途中、
雨に打たれて、雨合羽の蓑を借りようと、
さびれた山家を訪れた時に、
応対したおうなの 紅皿(女性の名前)が差しだした山吹の枝と色紙、
そこに詠まれた歌である。

(今盛んに花咲く山吹)

太田道灌は雨合羽の蓑を貸してくれと、頼んだのに、
山吹の花と歌が記された色紙を差しだされ、
腹を立てて、雨に濡れて帰る。

(七重八重、七つ八つどころでは無い、沢山咲く山吹)

山吹が咲く時期になると、太田道灌の話とこの歌を、
必ず思いだす。

太田道灌は家来にこのことを話すと、
家来は次のように話しました。

この歌は表現の上では、

・七つも八つも重なって、美しく咲く山吹ですが、
 一つとして実の生らないのが、悲しい事でございます。

このような意味です。

同時に、この歌には、

・美しく咲く八重山吹ですが、
 貧しい我が家には雨合羽になる蓑一つさえないことが、
 悲しゅうございます。

歌の中にこんな意味が込められております。

それを聞いて太田道灌は我が身の無知さ加減に気付き反省し、
以後、歌の勉強をしたと言う。

そこで植物学上一重の山吹には、実が生ることが解っている。
実が成らないのは八重山吹である。

(八重山吹の花)

この後は、
2015年6月9日のブログ「七重八重」をご覧ください。






コメント (4)
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