清水坂の途中にあると言う大善寺-現在の総泉寺は、
志村坂上の交差点を旧街道の方に入らず直進する方が早い。
あるいは都営地下鉄三田線の「志村坂上駅」下車、
地上へのエレベーターで降りると、
信号を渡る所に薬師の泉の案内看板があるので、
案内に沿って進むと良い
(薬師の泉への案内看板)
(志村坂上の交差点)
上の写真の右側の道路、国道17号線(現中山道)の右側を進む。
志村坂上と言うから、ここから坂下へ向かって下って行くと、
途中で右に上る道に出る。
ここを昇った所が総泉寺である。
納骨堂の屋根が見え「妙亀霊廟」の金文字も目に入る。
その先に葬祭会館の看板が目に張るからすぐわかる。
(総泉寺の納骨堂の屋根)
しかし、今は「薬師の泉庭園」を目指すので、
この大善寺こと総泉寺を横目で眺め直進すると、
庭園があると思われる林と白壁が続いている。
もともと薬師の泉庭園は、大善寺、現在の総泉寺の庭であった。
白壁の途中に古風な屋根付きの門があり、くぐり戸が開いている。
そのくぐり戸の前に「薬師の泉」の案内看板がある。
(薬師の泉庭園の白壁)
(古風な屋根付きの門)
(薬師の泉の案内)
(くぐり戸)
くぐり戸を覗くと、森があり、その向こうにマンション」の五・六階の部屋が見える。
と言うことは、薬師の泉はこれから坂下に向かっておりて、
その下に庭園はあると見受けられる。
案内看板を見て、入口のくぐり戸を入ると急な下りの階段がある。
階段を進むと、粋な古庭園の枝折り戸が見え、
薬師の泉庭園の一部が見えてくる。
(下り階段)
(下り階段と中門)
(薬師の泉庭園の一部)
どうやら入り口とは言いながら、
裏口から入って来たような感じがするが、やはりここが正門である。
道路脇の白壁に沿って坂を下り、次の交差点で右折すると、
本来の薬師の泉庭園の入り口に思えるが、ここは北門になる。
(薬師の泉の看板)
(北門の入り口)
庭園の入り口から見ると、薬師の泉庭園はもっと下にあるらしく、
くだりの階段があり、その先に庭園の中門が見える。
(さらに下る階段の先の中門)
自然石のごつごつした階段を下る途中の右側に大きな説明板がある。
(薬師の泉庭園の説明板)
(説明板の左手の休憩場所)
挿絵の説明によると、
(「境内山の腰より清泉湧き出で」と
「江戸名所図会」の挿絵に描かれた薬師の泉は、
かってこの地にあった大善寺という曹洞宗寺院の境内にありました。
江戸時代、八代将軍徳川吉宗が志村周辺で鷹狩をした際、
大善寺に立ち寄り、境内に湧き出す清水を誉めて、
寺の本尊である薬師如来を「清水薬師」と命名したと伝わっています。
――中略――
板橋区では、先の挿絵(下図)をもとに庭園整備を行い、
平成元年12月に「薬師の泉庭園」を開園しました。
挿絵は、現在のあずまや付近から見下ろした境内の風景を描いています。
画面左上に見える道は、中山道の清水坂です。
泉の水は、中山道を通る旅人の喉をも潤していたでしょう。)とある。
(板橋区教育委員会)
(挿絵の拡大図の薬師の泉)(WEBより)
(薬師の泉庭園の中門)
(苔むした中門の屋根)
(湧き出る水屋)
(湧き出る清泉水)
(説明にあるあずまや)
(東屋の庭園内の位置)
(東屋から見た庭園)
(庭園の池ー薬師の泉)
(薬師の泉2)
(薬師の泉3)
(庭園内の地蔵)
(階段下無造作に置かれた自然石の石柱)
(薬師如来の線刻像が刻まれている)
つぎは大善寺=総泉寺の清水薬師へ
志村坂上の交差点を旧街道の方に入らず直進する方が早い。
あるいは都営地下鉄三田線の「志村坂上駅」下車、
地上へのエレベーターで降りると、
信号を渡る所に薬師の泉の案内看板があるので、
案内に沿って進むと良い
(薬師の泉への案内看板)
(志村坂上の交差点)
上の写真の右側の道路、国道17号線(現中山道)の右側を進む。
志村坂上と言うから、ここから坂下へ向かって下って行くと、
途中で右に上る道に出る。
ここを昇った所が総泉寺である。
納骨堂の屋根が見え「妙亀霊廟」の金文字も目に入る。
その先に葬祭会館の看板が目に張るからすぐわかる。
(総泉寺の納骨堂の屋根)
しかし、今は「薬師の泉庭園」を目指すので、
この大善寺こと総泉寺を横目で眺め直進すると、
庭園があると思われる林と白壁が続いている。
もともと薬師の泉庭園は、大善寺、現在の総泉寺の庭であった。
白壁の途中に古風な屋根付きの門があり、くぐり戸が開いている。
そのくぐり戸の前に「薬師の泉」の案内看板がある。
(薬師の泉庭園の白壁)
(古風な屋根付きの門)
(薬師の泉の案内)
(くぐり戸)
くぐり戸を覗くと、森があり、その向こうにマンション」の五・六階の部屋が見える。
と言うことは、薬師の泉はこれから坂下に向かっておりて、
その下に庭園はあると見受けられる。
案内看板を見て、入口のくぐり戸を入ると急な下りの階段がある。
階段を進むと、粋な古庭園の枝折り戸が見え、
薬師の泉庭園の一部が見えてくる。
(下り階段)
(下り階段と中門)
(薬師の泉庭園の一部)
どうやら入り口とは言いながら、
裏口から入って来たような感じがするが、やはりここが正門である。
道路脇の白壁に沿って坂を下り、次の交差点で右折すると、
本来の薬師の泉庭園の入り口に思えるが、ここは北門になる。
(薬師の泉の看板)
(北門の入り口)
庭園の入り口から見ると、薬師の泉庭園はもっと下にあるらしく、
くだりの階段があり、その先に庭園の中門が見える。
(さらに下る階段の先の中門)
自然石のごつごつした階段を下る途中の右側に大きな説明板がある。
(薬師の泉庭園の説明板)
(説明板の左手の休憩場所)
挿絵の説明によると、
(「境内山の腰より清泉湧き出で」と
「江戸名所図会」の挿絵に描かれた薬師の泉は、
かってこの地にあった大善寺という曹洞宗寺院の境内にありました。
江戸時代、八代将軍徳川吉宗が志村周辺で鷹狩をした際、
大善寺に立ち寄り、境内に湧き出す清水を誉めて、
寺の本尊である薬師如来を「清水薬師」と命名したと伝わっています。
――中略――
板橋区では、先の挿絵(下図)をもとに庭園整備を行い、
平成元年12月に「薬師の泉庭園」を開園しました。
挿絵は、現在のあずまや付近から見下ろした境内の風景を描いています。
画面左上に見える道は、中山道の清水坂です。
泉の水は、中山道を通る旅人の喉をも潤していたでしょう。)とある。
(板橋区教育委員会)
(挿絵の拡大図の薬師の泉)(WEBより)
(薬師の泉庭園の中門)
(苔むした中門の屋根)
(湧き出る水屋)
(湧き出る清泉水)
(説明にあるあずまや)
(東屋の庭園内の位置)
(東屋から見た庭園)
(庭園の池ー薬師の泉)
(薬師の泉2)
(薬師の泉3)
(庭園内の地蔵)
(階段下無造作に置かれた自然石の石柱)
(薬師如来の線刻像が刻まれている)
つぎは大善寺=総泉寺の清水薬師へ