(新越谷駅)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/0f/39945d443c62d9cf4a5a44e8c47149d5.jpg)
(越谷宿)
新越谷駅は、武蔵野線南越谷駅が出来てから、
これと連絡できるように出来た新駅のように思える。
駅を出て、日光街道へ向う。
街道に出ると、左に武蔵野線のガードがあり、潜って進む。
しばらくは、何の変哲も無い町の中を進んでいくと、
道路はY字路になり、左へ行くと道路が細くなる。
旧街道はこの細い方へ進むのであるが、この手前に歩道橋があり、
その右に照蓮院駐車場の看板が見える。
(武蔵野線のガード)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/e0/89e0eece851e63dd7c3267b23935968e.jpg)
(道路はY字路となり、左が旧日光街道)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/c2/d30e18292728a186b05c0d3b9529dc13.jpg)
(照蓮院の看板)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/a2/6b7f740449a1b71fe3622d6644c33e21.jpg)
(山門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/fa/11a30cd620ca0e03f42f90662235164f.jpg)
駐車場の先を右折すると山門があり、
門前に「真言宗 照蓮院」の石柱が建っている。
この寺院は、信玄の子 武田勝頼の遺児
千徳丸の供養塔があることで知られる。
門を入り本堂に向うと、千徳丸供養塔の案内がある。
(瓦曽根(地名)秋山家の祖は、甲斐の国武田氏の家臣秋山信勝であり、
その子長慶は、天正十年(1582)三月、武田氏滅亡の際、
勝頼の遺児千徳丸を伴って、この地瓦曽根村に潜居した。
千徳丸は早世したが、それを悲しんだ長慶は照蓮院の住職となって、
その菩提を弔ったと伝える。
寛永十四年(1637)秋山家墓所に「御湯殿山千徳丸」と
刻まれた五輪供養塔が建立された。――後略)(越谷市教育委員会)
なお、照蓮院のご本尊は越谷市の文化財「木造地蔵菩薩立像」であるという。
(照蓮院の本堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/ba/ce3e655728d8aa4d296ad2af65854179.jpg)
(本堂左手の秋山家墓所)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/49/cc9a7ff9f2444d8f6f13960855823479.jpg)
(湯殿山千徳丸の五輪の塔真ん中の小さい墓石)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/76/da9eb410766b32b49344756b4242490e.jpg)
照連院を出て、Y字路を左へ進む。
ここからが越谷宿で古い建物を見ることができる。
元名主であったのか、黒塀に冠木門の大きな家、
蔵が横にある宿場の風情を残す家(塗師屋)、
その隣の鍛冶忠(以前は鍛冶屋だったのか)、
蓮子格子の家、などなど。
(黒板塀に冠木門の家)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/67/a03217761c57d6f19d4c6ffd45416700.jpg)
(塗師屋の建物)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/99/4b62c3315ce6ed4c538a91a924f399cc.jpg)
(元鍛冶屋?の鍛冶忠)![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/3c/fa0cbd9b7355a9e0216bfcc966082cd0.jpg)
(蓮子格子の家)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/82/0e1290c6148d18d1468923e87fe8e67e.jpg)
その先で元荒川に架かる大橋にでて、越谷宿はここで終わる。
下流を見るともう一つの橋があり、これは49号線に架かっている。
この橋、元荒川橋の右横に道路があり、
その奥に越谷御殿跡の碑があるというので、
寄り道であるが進む。
徳川家康が日光街道を制定し、越ヶ谷宿に御茶屋御殿を造り、
鷹狩の拠点としていたが、明暦三年(1657)の江戸の大火で、
江戸城も被災したため、このお屋敷を江戸に運び、江戸城を再建した。
その後も家康・秀忠の別荘があったところとして、
「御殿」として今に至っている、と言う。
(元荒川の大橋)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/42/8226422e7ee6b5d891bcc0bd51a89657.jpg)
(川下の49号線上に架かる元荒川橋)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/77/d3a8b9f046a4df403a2d2e8304927dcc.jpg)
(元荒川橋の橋脚)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/1d/3daaae9ac5c4cd1a76cfd918ec57d4cc.jpg)
(元荒川橋の右横の道路へ入る)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/7f/414ea90361f01662bc9ca2fcdec5920f.jpg)
(越ヶ谷御殿跡の碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/dc/e4d0bfe9466a0b54386e328dbaf6c3a1.jpg)
(越ヶ谷御殿跡の碑、左横に板碑の案内がある)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/b3/870ecd06110ca01f2d08c453bf00b225.jpg)
(左横に板碑の案内)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/1a/81486a6374cdb11846a94f396afe411b.jpg)
この御殿跡の碑の先50mの所に、建長元年の板碑があるというので、
寄り道ついでに、見て回ることにする。
板碑そのものは、建長年間によく造られたもののようで、
我が家の近くの龍福寺にもある。
秩父産の緑泥片岩で出来ている塔婆と言われている。
表面には梵字で阿弥陀三尊が刻まれているのが多いのですが、
ここの板碑はどうも線で描かれた阿弥陀像のようである。
(板碑のある場所)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/68/e4808e8a32b6b886bd25db1aa07b11c6.jpg)
(板碑にある線描画が仏を表している様)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/cf/bbd105afbc65d8906e1658c0639bca1a.jpg)
元に戻って元荒川の「大橋」を渡り、街道を進むと、
左の奥に東武線元越谷駅が見える。
さらに進むと、東武線の高架と平行するが道なりに進むと、
道路は高架下へと左折する。
左折した道路は元荒川の土手にぶつかり、
右へ曲がっていく先に三体の石造物がある。
近寄ると、一番奥の碑の正面に青面金剛と刻まれ、
文字の下に三猿が刻まれている庚申塔である。
左横には難しい文字で「左 じおんじ道 乃じま道」と彫られていて、
道標にもなっている。
埼玉県には有名な慈恩寺(*)がさいたま市岩槻区にあるが、
ここまでの道しるべであろうか。
(大橋を渡る)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/2e/202b6eaa15553bcc47d8d52ec0cda5e1.jpg)
(東武線元越谷駅)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/6c/cd023aed4f8c3f5a5c82c6f3336ed494.jpg)
(東武線高架と並行する)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/d5/eaac9d367123234306d9e6b85c605636.jpg)
(高架を左折する)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/c9/c2b92f438d5002acae80cb05961de36c.jpg)
(左折して出たところ元荒川の土手が見える)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/33/d84f1c97915c6eae6f5873336dad3148.jpg)
(土手にある三体の石造物)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/1d/68004985a90a3d84aaf0a7956029d271.jpg)
(青面金剛の文字と下部に三猿が刻まれている)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/7a/034bf4381549840feefd798c89529b66.jpg)
(道標左じおんじ道の文字)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/33/d381f87e06c4bd6b53e8c5c2129d53fa.jpg)
(*)埼玉の慈恩寺は、天台宗の寺院。山号は華林山。院号は最上院。
本尊は千住観世音菩薩であり、この寺は坂東三十三箇所の第12番札所である。
戦争中、日本軍が南京で発見した、孫悟空が出てくる西遊記で有名な、
玄奘三蔵法師の頭骨を持ち帰り、
この寺に納められていると言う。
先に進むと、左手に「宮内庁埼玉鴨場」の入り口が見える。
冠木門で宮内庁が管理しているらしく、門は閉ざされている。
鴨の狩猟期間は11月~2月と言うが、
天皇のお客様接待の場として使用されるというが、
今までに使用されたと、ニュースでも聞いたことが無い。
この鴨場、埼玉鴨場というから、他にも鴨場はあるかと、
調べた所、千葉県市川市にもあるという。
(宮内庁埼玉鴨場入り口)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/92/04eb743dcc2e7004a199dd649f693eeb.jpg)
(閉鎖されている埼玉鴨場の冠木門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/60/0604c4e2df9b6caf2095b1ddc6c7713e.jpg)
街道を進むと東武線の踏み切りに出て、これを越えてしばらくすると、
国道四号線と交差する。四号線はこの先で左折するから、
今歩いて居る旧街道と平行して進み、この先で合流する。
合流して直ぐ東武伊勢崎線「せんげん台」駅左への案内看板が見える。
時間も16時を回ったところでもあり、
早くも日が落ちて、まもなく暗くなりそうで、
「せんげん台駅」から帰宅することにした。
(東武線の踏み切り)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/b2/990f872230117497898988bba29e4ed6.jpg)
(国道四号線と交差する)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/fa/f5ac19f3fbb015941f60726dab855cf2.jpg)
(四号線は直ぐ左折する)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/92/ab1fd7fe66fa3b3c0791aeb82e223f68.jpg)
(せんげん台駅入り口)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/45/c80a07409c138a259727fa02bfeba01b.jpg)
(東武線せんげん台駅)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/44/feac4d393100add92a2f54651292e478.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/0f/39945d443c62d9cf4a5a44e8c47149d5.jpg)
(越谷宿)
新越谷駅は、武蔵野線南越谷駅が出来てから、
これと連絡できるように出来た新駅のように思える。
駅を出て、日光街道へ向う。
街道に出ると、左に武蔵野線のガードがあり、潜って進む。
しばらくは、何の変哲も無い町の中を進んでいくと、
道路はY字路になり、左へ行くと道路が細くなる。
旧街道はこの細い方へ進むのであるが、この手前に歩道橋があり、
その右に照蓮院駐車場の看板が見える。
(武蔵野線のガード)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/e0/89e0eece851e63dd7c3267b23935968e.jpg)
(道路はY字路となり、左が旧日光街道)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/c2/d30e18292728a186b05c0d3b9529dc13.jpg)
(照蓮院の看板)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/a2/6b7f740449a1b71fe3622d6644c33e21.jpg)
(山門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/fa/11a30cd620ca0e03f42f90662235164f.jpg)
駐車場の先を右折すると山門があり、
門前に「真言宗 照蓮院」の石柱が建っている。
この寺院は、信玄の子 武田勝頼の遺児
千徳丸の供養塔があることで知られる。
門を入り本堂に向うと、千徳丸供養塔の案内がある。
(瓦曽根(地名)秋山家の祖は、甲斐の国武田氏の家臣秋山信勝であり、
その子長慶は、天正十年(1582)三月、武田氏滅亡の際、
勝頼の遺児千徳丸を伴って、この地瓦曽根村に潜居した。
千徳丸は早世したが、それを悲しんだ長慶は照蓮院の住職となって、
その菩提を弔ったと伝える。
寛永十四年(1637)秋山家墓所に「御湯殿山千徳丸」と
刻まれた五輪供養塔が建立された。――後略)(越谷市教育委員会)
なお、照蓮院のご本尊は越谷市の文化財「木造地蔵菩薩立像」であるという。
(照蓮院の本堂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/ba/ce3e655728d8aa4d296ad2af65854179.jpg)
(本堂左手の秋山家墓所)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/49/cc9a7ff9f2444d8f6f13960855823479.jpg)
(湯殿山千徳丸の五輪の塔真ん中の小さい墓石)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/76/da9eb410766b32b49344756b4242490e.jpg)
照連院を出て、Y字路を左へ進む。
ここからが越谷宿で古い建物を見ることができる。
元名主であったのか、黒塀に冠木門の大きな家、
蔵が横にある宿場の風情を残す家(塗師屋)、
その隣の鍛冶忠(以前は鍛冶屋だったのか)、
蓮子格子の家、などなど。
(黒板塀に冠木門の家)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/67/a03217761c57d6f19d4c6ffd45416700.jpg)
(塗師屋の建物)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/99/4b62c3315ce6ed4c538a91a924f399cc.jpg)
(元鍛冶屋?の鍛冶忠)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/3c/fa0cbd9b7355a9e0216bfcc966082cd0.jpg)
(蓮子格子の家)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/82/0e1290c6148d18d1468923e87fe8e67e.jpg)
その先で元荒川に架かる大橋にでて、越谷宿はここで終わる。
下流を見るともう一つの橋があり、これは49号線に架かっている。
この橋、元荒川橋の右横に道路があり、
その奥に越谷御殿跡の碑があるというので、
寄り道であるが進む。
徳川家康が日光街道を制定し、越ヶ谷宿に御茶屋御殿を造り、
鷹狩の拠点としていたが、明暦三年(1657)の江戸の大火で、
江戸城も被災したため、このお屋敷を江戸に運び、江戸城を再建した。
その後も家康・秀忠の別荘があったところとして、
「御殿」として今に至っている、と言う。
(元荒川の大橋)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/42/8226422e7ee6b5d891bcc0bd51a89657.jpg)
(川下の49号線上に架かる元荒川橋)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/77/d3a8b9f046a4df403a2d2e8304927dcc.jpg)
(元荒川橋の橋脚)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/1d/3daaae9ac5c4cd1a76cfd918ec57d4cc.jpg)
(元荒川橋の右横の道路へ入る)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/7f/414ea90361f01662bc9ca2fcdec5920f.jpg)
(越ヶ谷御殿跡の碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/dc/e4d0bfe9466a0b54386e328dbaf6c3a1.jpg)
(越ヶ谷御殿跡の碑、左横に板碑の案内がある)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/b3/870ecd06110ca01f2d08c453bf00b225.jpg)
(左横に板碑の案内)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/1a/81486a6374cdb11846a94f396afe411b.jpg)
この御殿跡の碑の先50mの所に、建長元年の板碑があるというので、
寄り道ついでに、見て回ることにする。
板碑そのものは、建長年間によく造られたもののようで、
我が家の近くの龍福寺にもある。
秩父産の緑泥片岩で出来ている塔婆と言われている。
表面には梵字で阿弥陀三尊が刻まれているのが多いのですが、
ここの板碑はどうも線で描かれた阿弥陀像のようである。
(板碑のある場所)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/68/e4808e8a32b6b886bd25db1aa07b11c6.jpg)
(板碑にある線描画が仏を表している様)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/cf/bbd105afbc65d8906e1658c0639bca1a.jpg)
元に戻って元荒川の「大橋」を渡り、街道を進むと、
左の奥に東武線元越谷駅が見える。
さらに進むと、東武線の高架と平行するが道なりに進むと、
道路は高架下へと左折する。
左折した道路は元荒川の土手にぶつかり、
右へ曲がっていく先に三体の石造物がある。
近寄ると、一番奥の碑の正面に青面金剛と刻まれ、
文字の下に三猿が刻まれている庚申塔である。
左横には難しい文字で「左 じおんじ道 乃じま道」と彫られていて、
道標にもなっている。
埼玉県には有名な慈恩寺(*)がさいたま市岩槻区にあるが、
ここまでの道しるべであろうか。
(大橋を渡る)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/2e/202b6eaa15553bcc47d8d52ec0cda5e1.jpg)
(東武線元越谷駅)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/6c/cd023aed4f8c3f5a5c82c6f3336ed494.jpg)
(東武線高架と並行する)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/d5/eaac9d367123234306d9e6b85c605636.jpg)
(高架を左折する)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/c9/c2b92f438d5002acae80cb05961de36c.jpg)
(左折して出たところ元荒川の土手が見える)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/33/d84f1c97915c6eae6f5873336dad3148.jpg)
(土手にある三体の石造物)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/1d/68004985a90a3d84aaf0a7956029d271.jpg)
(青面金剛の文字と下部に三猿が刻まれている)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/7a/034bf4381549840feefd798c89529b66.jpg)
(道標左じおんじ道の文字)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/33/d381f87e06c4bd6b53e8c5c2129d53fa.jpg)
(*)埼玉の慈恩寺は、天台宗の寺院。山号は華林山。院号は最上院。
本尊は千住観世音菩薩であり、この寺は坂東三十三箇所の第12番札所である。
戦争中、日本軍が南京で発見した、孫悟空が出てくる西遊記で有名な、
玄奘三蔵法師の頭骨を持ち帰り、
この寺に納められていると言う。
先に進むと、左手に「宮内庁埼玉鴨場」の入り口が見える。
冠木門で宮内庁が管理しているらしく、門は閉ざされている。
鴨の狩猟期間は11月~2月と言うが、
天皇のお客様接待の場として使用されるというが、
今までに使用されたと、ニュースでも聞いたことが無い。
この鴨場、埼玉鴨場というから、他にも鴨場はあるかと、
調べた所、千葉県市川市にもあるという。
(宮内庁埼玉鴨場入り口)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/92/04eb743dcc2e7004a199dd649f693eeb.jpg)
(閉鎖されている埼玉鴨場の冠木門)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/60/0604c4e2df9b6caf2095b1ddc6c7713e.jpg)
街道を進むと東武線の踏み切りに出て、これを越えてしばらくすると、
国道四号線と交差する。四号線はこの先で左折するから、
今歩いて居る旧街道と平行して進み、この先で合流する。
合流して直ぐ東武伊勢崎線「せんげん台」駅左への案内看板が見える。
時間も16時を回ったところでもあり、
早くも日が落ちて、まもなく暗くなりそうで、
「せんげん台駅」から帰宅することにした。
(東武線の踏み切り)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/b2/990f872230117497898988bba29e4ed6.jpg)
(国道四号線と交差する)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/fa/f5ac19f3fbb015941f60726dab855cf2.jpg)
(四号線は直ぐ左折する)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/92/ab1fd7fe66fa3b3c0791aeb82e223f68.jpg)
(せんげん台駅入り口)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/45/c80a07409c138a259727fa02bfeba01b.jpg)
(東武線せんげん台駅)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/44/feac4d393100add92a2f54651292e478.jpg)