楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

惜別の歌

2004年05月19日 20時53分00秒 | つれづれなるままに考えること
(ボクの惜別のうた)
「時は暮れ行く春よりも、さらに長きはなかるらん
 恨みは友の別れより、さらに辛きはなかるらん」

誰の詩であったか思い出せない。
友人に永遠の「お別れ」を言いに、病院を訪ねて一か月がたつ。
お別れを言って覚悟は決めてあったが、ボクの心は揺れ動く。

あの病院での「お別れ」の挨拶の際、
友人「葬式では、花の写真を二枚飾りたい。BGMに何の曲を流すか考えている」
ボク「自分の葬式を演出するのか?」
友人「ん、戒名はどうしようかも考えているんだ」
ボク「今のままの名前で良いじゃないか、別に新しい名前など付けなくても」
奥さん「昨日、戒名の件で夫婦喧嘩になったのですよ」
ボク「ゆっくり考えてよ。時間はあるんだから」
友人「悲しんでもらいたくないんだ」

誰が悲しむものか。

苦しみも痛みも無い天国か極楽へ行くというのに、
喜んで送ってあげるよ。
ただ、この世に残されたボクは話しの出来る友人がいなくなるのがつらいんだ。
そう言ってやりたかったが、黙り込んだ。

そんな会話があった時、僕の頭によぎったのは、
BGMには♪ありがとうって つぶやいた・・・♪の歌。

歌の名前は「涙(なだ)そうそう」
しかし、これはボクの心に浮かんだ友人への別れの歌。
まだ時間はあるBGMや戒名はじっくり考えて欲しい。
耐え難い痛みに耐え時間を過ごすには、
何かを考えているのが一番良い事をボクは知っている。

友人はすい臓にガンが出来て、
発見された時は全身にがん細胞が転移していた。

末期がん。それでも、医師は病人に告げる。

「長くて三ヶ月」

冷酷無比。

ボク「ボクがガンの告知を受けたときは、三年生存率30%と、言われた。
病期は、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ期とあって、そのⅣ期。
治療はこうこうします。
五日後から始めますので、それまでに身辺の整理と心の整理をしてきてください」

と自宅に帰された。

友人「整理は出来たかい」
ボク「身辺の整理は出来たが、心の整理は病院へ帰る瞬間まで出来なかった。
でも、病院へ着いた時、残された家族のことを考え、きっと悲しむに違いない。
心配ないよと激励しよう。
そう思ったとき、整理がついた。
それまで自分のことしか考えていなかったので、
どうなるか、治療はうまく行くのか、
いろいろ考えている内は、覚悟が決まらない。

他人を思い遣る気持ちが出来て始めて心の整理が付く。
自分が中心なのに、自分のことを考えている。
自分を中心にして回りにあるものに気が付かない。

やっと気が付いて、悲しんでいるカミさんを激励して
(電話をかけてやってくれ)
と子供たちに頼んだ時、悟りましたね」

友人「全くそうだ。お前さんの言うとおりだ。
他人を慮ることが出来て始めて心の整理が出来る。」

身辺の整理と心の整理を告げられた時は、
(これは生きて病院を出られないかもしれない)と思った。

「お別れ」の最後に病院から帰ろうとすると、
友人に握手を求められた。
本当なら、そしてそんな習慣があるなら、Hugしたいところだ。

友人「暖かい手だなあ、さようなら」
ボク「ん、力がみなぎっているからな。じゃあ」(じゃあ元気でな)と言いかけて、

(別れ)を言いに来たのに(元気で)とは言えず、そのまま手を振って別れた。

決して後を振り向かなかった。振り向いたらどっと涙が流れる。
ボクの手は、血がたぎっているから、
暖かい。友人の手は、引き潮の海のように血が退いているから、冷たかった。

それから30日たった。
その間に自分で撮った「たんぽぽ」と「バッキンガム宮殿の花壇のチューリップ」の写真を絵葉書にして送った。

「たんぽぽ」の写真は、黄色の鮮やかな花四輪と種をのせた綿帽子二つが上下にある図柄で、
生まれてきて咲き誇る花と子孫を残そうとしている綿帽子は「生々流転」を表していた。

(生々流転[しょうじょうるてん]=万物は永遠に生死を繰り返し、絶えず移り変わっていくこと。広辞苑)

また「バッキンガム宮殿の花壇」は天国の花園をイメージして撮った写真であった。
「たんぽぽ」には、

・駆け抜けし 昭和の君に 感謝せん
        次代に残せし その礎に

の一首を。戦後の時代に50年も、寝食を忘れて働き、
現在の日本経済の基礎を固めた友人を思った。

「バッキンガム宮殿の花壇のチューリップ」には、
・人は人 我は我にと 春は来る
       人それぞれに 思い違いて

の一首を。

他人にも、自分にも等しく春は巡ってくる。

人それぞれに春を思う気持ちは違っても
、やっぱり四季は巡ってきて、新しい時代を築いていく。
それぞれに短歌を載せた。

どこまで理解してもらえたか、全く違う意味に捉えたか、知る由もない。
でも「おい!辞世の一首はしたためたか?」
と催促の意味を込めたことには、気付いたに違いない。

そして、ついに昨日訃報が届いた。
2004年5月9日 友人は死亡。享年71歳。
ボクには、72歳と言った。
数え歳だったのだろうか?

♪惜別の歌♪(島崎藤村)

遠き別れに たえかねてこの高殿に 登るかな
悲しむ無かれ わが友よ旅の衣を ととのえよ
別れと言えば 昔よりこの人の世の 常なるを
流るる水を 眺むれば夢恥ずかしき 涙かな
君がさやけき 目のいろも君くれないの くちびるも
君がみどりの 黒髪もまたいつか見ん この別れ
君が優しき なぐさめも君が楽しき うたごえも
君が心の 琴の音もまたいつか聞かん この別れ 

    *     *     *     *

無名の経済戦士に 黙祷!
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