駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

小説もどき

2011年05月11日 | 小説
小説ふうの駄文を書いてみました。。。

「新幹線」の巻

その時、営業系のサラリーマン玉岡実太(たまおかじった)は新幹線ホームで舌打ちした。
「ええっ、禁煙って?チッ!」
せっかく「ひかり」3号車の乗降口前に並んでいたのに、今まで喫煙車両のはずが、今年の3月に禁煙車両に変わっていたことを知らなかったのである。
実太は愛煙家で、たまの出張に新幹線でのんびりとタバコを吸うことが楽しみの一つでもであった。
今まで、出張の際にはわざわざ「ひかり」の自由席を選んで乗っていた。
なぜなら、ひかりは16号の車両うち、1~5号車だけが自由席で、そのうち3号車が喫煙車両だった。
そのため、自由席の乗客が混雑する時間では、他の車両が満席になっていても、タバコを吸わない乗客が敬遠して、3号車だけは少数の愛煙家の客だけでゆったりと座れるのだった。
その空いた車両で、吸わない乗客を尻目にのんびりとタバコの煙をくゆらすという、喫煙者だけに与えられる特権感覚がなんとも心地よいのだった。
わざわざ指定席を購入しなくても好きな席に座ってタバコが吸えるので、経費は浮くし、優越感は満たされるし、一挙両得な気分がたまらない。
「タバコも吸えない貧乏症な貧民たちと違うぞ」「俺様はお前らよりリッチだ」というような優越感を満喫できることが唯一の快感なのである。
他に優越感を持てるようなものはほとんど持ちえない実太であった。
実際、タバコが値上がりするたびに挑戦する禁煙に失敗して、結局未だに禁煙ができなかった自分への自己嫌悪と自己憐憫の表れなのだろうと、実太は自分でも分かっている。
この際、自分はタバコと心中するのだぐらいの意気込みは毛頭ない。
ただ、タバコが止められずに、渋々バカ高いタバコを買い続けているだけなのだ。
そればかりか、震災以降、自分の吸いたい銘柄さえ自由に買うこともできないので、周りにはこれが機会と止めた奴もいる。
「悔しいが、おれにはできない」しかし、この言葉は自分で飲み込むだけである。おれにも男の意地があると、実太は思いたいのである。

実は、このところずっと「やるじゃん新幹線」みたいな気持ちがあった。
ニッポンの世界に誇る大動脈の新幹線が、実際は世界的ムーブメントでもある「嫌煙運動」に反して、愛煙家を優先するという状況はまさにこの世の「奇跡」に値するぐらいだと思っていたのである。
ここ数年、ローカル電車やバスはもちろん、待合室や屋外の駅のホーム、更にはタクシーすらも禁煙車両になり下がり、喫茶店もレストランでもタバコが吸えないこのご時世に、新幹線だけは喫煙者天国だった。
これはきっと、愛煙家の財界の大御所が、「何が何でも新幹線だけは禁煙したら許さんぞ!」と脅しをかけているに違いないとも思ったりもするが、自分もその恩恵をただ甘んじて享受しているだけなのだ。
しかし、その優越感も一気になし崩しである。
「くっそー、俺等のバカ高いタバコの税金の恩恵を受けいるのと違うのか!」と一人うそぶきながら、もはや禁煙車になってしまった3号車に、タバコ嫌いの情けない女子供などと一緒に乗り込むのであった。

やることのなくなった実太は、仕方がないので寝ることにした。
ニコチンを欲しがる体にイライラしつつ。
実太は酒を飲まない。
実太は新幹線で酒を飲む奴らが鬱陶しく思う。
団体が乗り込むと決まって「プシュ~」とやりだし、そのうち酒に酔って声がでかくなる。
近くに座られたらたまらない。
喫煙者の多くは、酒好きでもあったりすることが気に入らない。
喫煙車両でくつろいだ途端、あとから近くに酒好きの仲間連れが陣取ったりすると、実太は気分が悪い。
酒臭いのがたまらなく嫌である。
気持ちが悪くなる。
タバコ臭いのも実はイヤだ。
自分のヤニ臭いのは当然ながら我慢できるが、他人のタバコ臭いのはどうにも嫌いだ。
実太は、煙の立ち上ることのない3号車で、「まあ、こんなんだったら酒も飲むしタバコも吸うようなワガママな奴らは、近くに来ないであろう」と無理やり考えることにして、自分を慰めて落ち着くことにしたのである。

ところが、「こだま」であれば自由席の喫煙車両があることを後に知った実太は、それ以降、こだまの15号車に乗り込むことにしたことは言うまでもない。
コメント (2)
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